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最終ラウンド ーIruthi Settru atクラハ[20210613]

鑑賞日 20210429
於 アップリンク渋谷
製作 2016年
監督 スダー・コーングラー
出演 マーダヴァン、ラティカ・スィン、ナーサル

 IDEのなかでは異色(笑)、正統派のスポーツ映画でした。一人の少女にのせて、スポーツ界の女性の立場や下位カーストの現状などを絡めて一気に気持ちよく駆け上る成長の物語でもあります。話題になったマーダヴァンの素敵容姿も大事ポイント。

★前半あらすじネタバレあり★

 (IDEより…)プラブ(R・マーダヴァン)は優秀な女子ボクシングのコーチだが、その気性の激しさから協会から疎まれ、チェンナイへ左遷となった。粗末な設備しかない場所で黄金の才能を持った少女を見つけたが、彼女はボクシングに興味を示さなかった…

 コーチ・プラブが最初に紹介されたのは姉だったが実際に才能があったのは妹マディのほうだった。しかしマディはボクシングは姉のもの、自分には関係ないと興味を示さない。プラブはそんなマディに「トレーニングに来るなら毎日金を払う」と伝える。マディはお金目的でトレーニングに通いはじめるが、すぐに才能を発揮し、だんだんと名が知れ渡るようになる。それによる姉との関係もぎくしゃくし、ひとり頭角を現したことによる仲間との軋轢などでボクシングに反発して大事な試合でわざと負けプラブの怒りを買う。その後マディはプラブがさまざまな障害から自分を守っていてくれたことを知り、プラブへの感謝を感じ真面目にトレーニングに取り組むようになる。

★ここから本気のネタバレand感想領域★
 ポイントは”マディの成長”これに尽きるかと。登場した時のマディは野生児というかむしろ無知が故の凶暴さでほぼ野犬。この無知も下位カーストという境遇ゆえに発生しているのだろうと思う。
・自分は魚売りをしながら家計を助けている
・姉はボクシングで活躍しその実績を認められて警察官になって働く予定、つまりボクシングをやる権利は姉にある(男性ではないがやはり長子が権利をもっているのかと)。
・そしてこういう家に限っている、威張るだけの無職の父親。
すでに世界が決まったなかで生きてきたマディは自分の可能性や違う世界があることを知るきっかけがない。だからプラブの話も最初は他人事で全く聞く耳を持たなかった。
 この野生児マディにとってプラブは自分とちゃんと対峙してくれ人物だったと思う。初めて自分を認めてくれた人物、理想の父のように自分を守ってくれる人物、頼りがいのある男性、自分の未来を託すことになる男性、彼が真摯に彼女に対応するのだから、まだ10代で新しい世界にとびこんだばかりのマディが彼に恋をするのはいたって自然だった(ついでに猛烈イケメンだし)。

 ここでこの映画のよいところはプラブがマディの恋心をはねつけるところ、無駄に恋愛パートに入っていかない。マディの恋のアタックはプラブの寝室へ忍び込むなど、子供っぽい発想でほぼ本能のまま、見ている側としては痛々しくて苦笑しかなかったし、プラブにも全くその気がなかった。もちろんマディは失恋で痛手を負う。
 ここからマディは野犬から人間へと成長する。感情のままにただ喚き散らすだけだったマディはプラブの愛情の意味や期待を知り、姉との葛藤、実はたくさんの人物に支えられていたこと、女子ボクシング界で自分に課せられていること、いろんなものを悟る。いろいろあってプラブはコーチを降りてしまうが、副コーチのもとに身を寄せ黙々とトレーニングを続ける。

 インドスポーツ界なのか、スポーツ界全体なのかは定かではないけれど(できればそういった世界は一掃されていることを望むけど)枕営業はやはり描かれていて、この映画では以下のような感じ。
・インドスポーツ協会(いい歳の大人の男性たち)が将来の国代表選手候補の10代の女性達の身体を求める。
・女性選手もコーチや協会役員に贔屓してもらうため自ら誘うこともある。マディも『プラブが彼女を贔屓にするのはマディがプラブと寝たからだ』とクラブのメンバーたちに陰口をたたかれていた。

 インド映画の女性スポーツものとしては「ダンガル」「メアリー・コム」など実録モノがありこれらは実録ならではの見応えがある。この映画も実話にインスパイアとのことなのでいつかその選手の名前が分かるかもしれない。

マディ役のラティカ・スィン(当時17歳)は実際にキックボクシングの選手だったがこの映画で演技が認められて女優としても活躍しているとのこと。

♪踊るマディがたくましくていいのだ。最初のシーンにダヌシュの「無職の大卒」ポスターがあるよ。


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