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ペンネームを持つ女


深夜に停電した。

冷蔵庫の中身が心配だったので、電気が復旧するまでの間、ゆっくりチマチマみようと思っていたブリジャートン家シーズン3をイッキ見した。頭も肩も重たい。泣きすぎて目も腫れている。素晴らしかった。

配信物の海外ドラマは、次に繋げるために話題を無理やり引き延ばしたり、ロングシーズンに耐えきれずに同じ展開の繰り返しになってしまいがちだ。

だけど、ブリジャートン家はシーズンが進む毎に、描きたいテーマ・コンセプトが明確になり、研ぎ澄まされているように感じた。

このドラマは過去のある地点のヨーロッパの社交界を舞台とした、フェミニズムの現代劇だ。
ドレスのひだや美しい装飾品、繰り広げられる舞踏会の喧騒の中に、今を生きる女性たちの涙とため息が垣間見える。辛くとも音楽は止まらず、ダンスを躍り続けるしかない。

社交界を騒がすゴシップ紙の筆者が、自らの正体を明らかにするというのが今作のテーマ。
ホイッスル・ダウンというペンネームで、貴族たちの恋愛模様やお家騒動を書き、密やかに発行し報酬を得てきた。

女は結婚して家庭に収まることが良しとされていた社交界で、彼女は誰にもバレずに権力と財を築いてきた。

そんな彼女も、自分自身の恋愛を成就させようとすればするほど、大切な人にペンを持つ自分を隠さなければならなくなっていく。
彼女が書くのはゴシップだ。沢山の人を陥れ、傷つけていることは紛れもない事実なのだから。

ホイッスル・ダウンという名はペンネームだけど、それは彼女の裏の顔でも一部分でもなく、彼女自身だ。

自分自身だと言いきることができる仕事を見つけた彼女は素晴らしい。それでも、生活や結婚の中にペンネームが入り込むには、軋轢や葛藤は避けて通れない場合がある。

自分らしさを隠して生活しなければならないのは、物語の中の貴族たちだけではない。Tシャツと短パンでウロウロできる私たちも、息が詰まるような世界でなんとかかんとか生きている。

ドラマの結末、ホイッスル・ダウンの賢さと勇気は、ダンスフロアの女性たちを捕らえていた柔らかな蜘蛛の糸から開放した。

美しく舞えよ、と思う。また捕まってしまっても、自分を受け入れ前に進む事さえできたなら、きっと本当の愛を見つけられるから。

自分を偽らずに生きていくしか、生き延びる道はない。
深夜の停電はいつしか復旧し、どちらにせよ朝日は昇る。現代を生きる私たちは、夜ではなくともダンスを踊ることができる。

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