それは彼女が決めること
実写版のワンピース見たさにネットフリックスに加入し、見たいものが沢山ある!という、充実した毎日を送っている。ワンピースは真剣佑が完璧にゾロだった。ウソップは鼻が長くないのにウソップだった。ルフィ役のイニャキ君はオフショットでもルフィみたいな夢見るキラキラの瞳をしていた。キャスティングの素晴らしさよ…
海外ドラマを見漁りまくり、ちょっと前に流行った「ブリジャートン家」を見た。とはいえ、ガッツリ見ている暇はなかなか作れないため、皿洗いなどしながら流し見程度。シーズン1、シーズン2とも面白かったけど、ざっくり把握した位のモチベーションでいたはずなのに、スピンオフの「クイーン・シャーロット〜ブリジャートン家外伝」で心奪われてしまった。正座して見た。
ブリジャートン家シーズン1、2とも、歴史のある地点を舞台とした王室や貴族のスキャンダルを描いている。過去を舞台とする上で、その時確かに存在した人種差別や女性軽視を、“今を生きる”制作者が“今を生きる”視聴者に合わせてどのように扱うかがかなり難しいところだったはず。ブリジャートン家では、その辺りの設定が見事だったと思う。過去のある地点での“極端な例”である王室や貴族たちの心の叫びは、今を生きる一般市民の私たちにもきちんとリンクする。シーズン2でエロイーズ嬢が「なんで男が女より偉い事になったのかはわからない!」と、プンスカ怒っていたけれど、令和のジャパンの私たちも、もれなく一度は思った事、あるぜ!
さて、「クイーン・シャーロット」は、シーズン1からアリスのハートの女王の如く君臨しているシャーロット女王の若かりし頃のお話だ。
イギリス王室史上初の黒人の女王として、ドイツの小国から嫁いだシャーロット。結婚式のその時まで結婚相手の顔すら知らない、完全なる政略結婚である。極秘事項である王の精神疾患、他の黒人貴族の運命を背負う重圧、義母の圧力や世間の監視の目、「結婚って、こんなはずじゃなかった!!」と、何度思った事だろう。何にも考えずに、義母や摂政に言われた通りに生きていく事も出来た。しかしシャーロットは、自分の信じる愛を成し遂げるために、「今から王妃になりにいく。」と決意する。そして、持ち前の賢さと図太さで、強く凛々しいピカピカの王妃様として君臨していく。
シーズン2で、「このままあの人と結婚していいのかな。」と悩むある人に、シャーロット王妃は、「それはあなたが決める事よ。」と言う。女は子どもを産むためのもの、血筋を残すのが大事!結婚出来ない女はヤバい!というゴリゴリの女性軽視の貴族社会を、シャーロットはいつも自分の決断で切り拓いてきた。
重篤な精神疾患を抱える王を愛すると決め、臣下である貴族達の生活を守ると決め、王の血筋を絶やすまいと奔走すると決めた。女は選ばれる側ではなく、選ぶ事だって出来ると知っていた。だからいつだって、「かかってこいや!」の臨戦態勢なのだ。そうあるべきだと、若い世代にも容赦なく伝えている。毎年社交界デビューした女性の中から、“今年のダイヤ”と呼ばれる女王お墨付きの称号を与えるしきたりも、もしかしたら「選ばれるのではなく、選べるようになれ!」という叱咤激励なのかもしれない。
わかりやすいフェミニズム要素だけが印象的だった訳では無い。国王であるジョージとのラブストーリーも素晴らしい。精神疾患に全く理解が無かった時代、幼い頃から先代の王による虐待を受けてきたジョージは、不安が強い時にパニックや鬱の症状が出る。「王としての役割がこなせない。自分には半分しかない。」と嘆く彼に、シャーロットはこう告げる。「半分しかないのなら、それを最高の半分にすれば良い。私たちは2人で1人前なのよ。」
自分の役割がこなせない、人と比べてなんにも出来ないという絶望を、知っている人と知らない人では世界の見え方がまるで違う。半分しかないというのは絶望ではあるが、その弱さをそのまま受け入れてくれる人が現れたら、世界は再び色を変える。安心と信頼によってもう半分を満たし、自分なりの幸せの形が完成する。ジョージとシャーロットは、パズルのピースのようにぴったりと補い合っていた。強いシャーロット、弱いジョージ、ありのままで、自分たちらしく。
ブリジャートン家シリーズの女たちは、それぞれがすさまじく強い。それは元々強かった訳ではなくて、誰を愛し誰を守るかを自分で決めて、自分で勝手に幸せになると決めたからなのだ。
腹をくくる。自分で決める。理不尽がいくら降ってこようとも、選択の自由は常に自分の中にある。
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