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ダッシュと裸足、闊歩とハイヒール、そして、スキップとローファー


今でも高校時代の頃の夢を見る。大抵は悪夢だ。
高1までは楽しかった学校生活。文系、理系できっぱり別れ、クラスの8割が女子になった途端、何にも楽しくなくなってしまった。

自称進学校が故の規律のキツさ、文化部に対する理解のなさの上に、思春期のいざこざが乗っかり、自分は文系だけど気の合う人は理系が多かった私は、けっこうしんどい日々だった。

わかりやすく虐められたり、学校に行けなくなった訳ではないけど、ただ普通にしているだけでチクチク刺さるバカにしたような目線や理不尽はキツかった。
何が嫌かって、あれから15年も経つのにあの時の不快感が全く拭えていないという事だ。子ども時代の寂しさは一生の寂しさ、思春期の葛藤は一生の葛藤となりうる。忘れたくても忘れられないアレコレ……。


だから私は、高校生活が楽しい!楽しかった!あの頃に戻りたい!という人が羨ましくてたまらない。自分とは違う人種だ…と、どこかスッと引いてしまう事すらある。わかっている。相手が悪いのでは決してなく、自分がとことん捻くれているのだ。


そんな捻くれ者だというのに、いわゆる青春モノの漫画にハマっている。作者は富山県射水市出身の高松美咲さん。タイトルは、「スキップとローファー」

なんてかわいいタイトルなのだろうか。どうせキラキラ眩しくて途中で読めなくなるに違いないと、捻くれスイッチをオンにして斜に構えながらページをめくっていたけれど、読み進むうちに捻くれスイッチはぶっ壊れ、正座し丸1日で最新刊まで読破した。これは、思春期楽しくなかった派にこそ読んでほしい!!


石川県のはしっこのほう(珠洲〜能登市あたりがモデルの街)から東京の進学校へ入学した美津未。勉強以外はどこか“天然”な彼女の、大恋愛もイジメも略奪もスポ根もない“普通の”高校生活を描いている。


“普通の”と書いたけれど、自分にとっての普通が相手にとっての普通とは限らない。
そもそも“普通”とは何なのだろう。
美津未は中学まで同学年が8人しかいなかった。赤ちゃんの頃から知り合いで、お互いの事を深く知っているのが普通だった環境から、いきなり大都会東京、一学年6クラス。お互いに過去の事は知らず、腹の内側まで見せる事のほうが珍しい、田舎に比べたらドライな人間関係の中で、入学当初の美津未はどこか浮いている(まあ、ちょい天然なのもあるけど)

それでも彼女の明るさとひたむきさは、作中の言葉を借りると「万人受けしなくても理解者はできる」といった具合で受け入れられ、男女問わず羨ましい位良い友だちに恵まれる。

友だち同士であっても他人同士ではあるから、やっぱり自分の“普通”と相手の“普通”は異なる。その小さな違いにモヤッとしたり嫉妬したりする。

例えば、入学式の日に遅刻した美津未と同級生の志摩くん。
「たかが入学式」だから遅刻しても気にしない志摩くんに対して、美津未は「入学式だからこそ」遅刻したくなくて、ローファーどころか靴下まで脱ぎ裸足で学校までダッシュする。
そんな美津未の事が、志摩くんはずっと羨ましいのだ。彼のほうがいわゆるクラス内のカーストは上位で、イケメンで、人気者だというのに。

もう一人志摩くんが嫉妬してしまう存在として、演劇部の兼近先輩がいる。
彼は子どもの頃から演じるのも脚本を書くのも好きで、「そういうものが自分の人生からなくなるのが想像できない」と豪語する位演劇にのめり込んでいる。人手不足で女役を演じなければならず、役作りのために学校の廊下をハイヒールで闊歩するくらい、人目など気にせず好きな事に打ち込む。
幼い頃から自分の気持ちよりも母親が喜ぶ事を優先するしかなくて、自分の気持ちすらあやふやな志摩くんにとって、兼近先輩は眩しい。それでも志摩くんの存在を通して、自分は何が好きで何が嫌いかわかるのは、けして“普通”ではないという事を、読者は気づかされる。


人はみなそれぞれ色々あり、色々ある事の半分すら自分で気づいてなくて。

自分の気持ちすら自分でわからないのだから、クラスメイトどころか仲良しグループの友人の胸の内すら本当のとこはわからない。

相手の事を全部わかれる日なんて永遠に来ないけれど、美津未や志摩くんのように落ち込んだ時にただ一緒に居てくれる友人がいるって羨ましい。下手すれば青春コンプレックスが再発しそうになるけれど、美津未の叔母のナオちゃんみたいに“青春全く楽しくなかった派”の存在もちゃんと描かれていて、ささくれだった心も目の荒いヤスリでサッと撫でた位には角が取れている。


この作品で描かれているのは、アクシデントを派手に解決したり、大泣きしながら胸の内を吐露したり、そういうドラマチックな事ではない。
美津未たちの楽しいばかりじゃない高校生活をチラ見させていただきながら、自分の“あの頃”に思いを馳せてみる。
完璧に見えたあの人、嫌な事されたアイツ、理解なんて出来なかった他人の言動にも、きっとそれぞれの“普通”の中から生まれた葛藤があったに違いない。
青春時代の葛藤は生きてる限り続くだろうけど、この作品を読んでいると「まあ、それぞれ色々あったんだろうな」と思える位には、私の“心の許さじノート”もちゃんと過去のものとして仕舞われていく。どこまでも優しく、心の整理を手伝ってくれる。


志摩くんが美津未に、「僕たちはゆっくり大人になろうよ」というシーンがある。ローファーでは少しやり辛い、スキップをする位のペースで、ダッシュや闊歩には追いつかずとも、少しずつ自分の事がわかれば良いと思う。
自分の中に存在する、育ちきらないあの頃の自分は、そうやって育てていくしかないのだから。


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