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目に見えない何かについて考える。奥能登国際芸術祭2023

5歳の息子と2人で奥能登国際芸術祭に遊びに行った。宿が取れなくて日帰りの弾丸旅行。富山からは片道3時間半のドライブ。

5時半。星の瞬く真っ暗闇の中で、なんとかかんとか出発。息子はうまれてはじめて、立山連峰から昇る朝日をみた。

朝焼けは見ようと思わないと見れないし、能登にも行こうと思わないと行けない。


珠洲は遠い。能登島を通り過ぎてからが遠い。北陸新幹線が開通するまでは、東京から陸路で行くのに本州の中で最も時間がかかる場所だったと聞いたことがある。本当にさいはてだ。


数え切れない位の峠を越え、9時半ごろに道の駅すず塩田に到着。珠洲市に入ったあたりからまっ黒な雲がたちこめ、雷雨となった。


雨天に備え、息子は長靴を履いていた。この天気では大優勝のコーディネートだ。作品の展示会場は廃校となった保育園などが多く、運動場が駐車場になっている。つまり雨が降ればぬかるむ。息子は「おれ、大優勝〜!」と言いながら、長靴で巨大な水たまりにつっこんでいった。


道の駅で芸術祭パスポートと白えびビーバーを購入。大雨嵐の中、旧清水保育所に塩田千春さんの作品を見に行った。


赤い毛糸がはりめぐらされた教室。

その中央にあるのは木造の船。中には砂の山が入っていた。息子と2人で、「この中には誰かが埋まっているのでは?」と話をしながら鑑賞した。そんな話をしたので、私にはこの舟がミイラを埋葬した棺桶のような物にしか見えず、過去の記憶や魂的な物がウヨウヨ存在する赤い迷宮に迷いこんだ感覚になった。後で公式ガイドブックを確認したところ、どうやら塩田用の砂取舟らしい。


会場となっていたかつての保育所や小学校をはじめ、この芸術祭では珠洲の生活や歴史・文化ががっちりと基盤となっていた。その上で、作家が取材や滞在を通して探求した結果が作品となり、珠洲のまちに無理なくフィットしている感じが素敵だった。

特に面白かったのは、スズ・シアター・ミュージアムで知った、「珠洲の大蔵ざらえ」というプロジェクト。古い家に仕舞い込まれていた生活用具、民芸品を一堂に集めた巨大なインスタレーションであり、「さいはての朗読劇」の舞台である。

巨大なインスタレーションは、個々のアーティストの作品の集合体でもあり、ひとつひとつじっくり見ても面白い。


海岸線を東にぐるりと巡りつつ、作品を順番に鑑賞していく。途中で、「ああ、もう1日で全部見るのは不可能だ…。」と、悟る。大人だけならいくら疲れても構わないのだけど、かわいい5歳と一緒なのでそうはいかない。海沿いにある作品を中心に見て回る事にした。通りすぎる事にした水色の看板に、後ろ髪引かれる思いだった。


以前の私ならば、「全部みる事ができない不甲斐なさ」や、「子どもがいるからあきらめないといけない作品」に遭遇してしまう事が悲しすぎて、美術館や芸術祭に行く事自体を諦めてしまっていたに違いない。芸術祭に行くことも、往復7時間の日帰り旅をすることも、貧困母子家庭民にとってはハードル激高ではある。それでも、「あの時本当はああしたかったな。」で、息子の幼少期の記憶を埋め尽くしたくはない。未来に遺恨を残す子育ては子どものためにならないし、なにより自分の幸せの゙ために、作品を見にいく事をあきらめたくはなかった。

あきらめたくないというガッツが湧いたのは自分が元気になった証拠だ。色々大変だったけど、これで良かったなと思う。


視界の半分が海の海岸線から、いつのまにやら林の中の道を進む。目指すは木ノ浦野営場。ようやくたどり着いた野営場から、さらにめちゃくちゃ歩くはめになるとは思いもよらなかった。


弓指寛治さんの「プレイス・ビヨンド」という作品は、オリエンテーリングのように野営場を散歩しながら鑑賞する作品だ。戦時中に珠洲から満州に渡った南方寳作さんの伝記が書かれた看板を順番に巡り、野営場の奥まで歩いていく。南方寳作さんの人生を追体験しながら、パッと視界が開けた場所にたどり着く。眼下には日本海が広がり、この海の向こうに行って帰ってきた人、帰って来れなかった人、行ってしまった人の事を待っていたであろう人について、しばし考えこんでしまった。


この作品、林の中をめちゃくちゃ歩かなければならず、息子が「熊が出そう…。」と怯えはじめたため、全てをみる事は出来なかった。(わたしの住むまちでは熊による襲撃が多発しており、息子は柿の木を見かけるたびに「これがあるから熊が来るんだ!」と怒り始めるくらい、熊に対してシビアだ)

全部見たかったけど、この作品を見る前と後では海に対する感覚が変化した。良い鑑賞体験だったなと思う。


海。どこにいっても塩の香りがして、海鳴りが聞こえる珠洲のまち。弓指さんの作品以後は、あの世とこの世を隔てているものという感覚が強くなり、珠洲のまち自体も霊的な存在がたちこめているような見え方に変わった。激しい雷雨も、“目には見えない何か”からの試練のようだった。

公式ガイドブックには、珠洲の秋まつりカレンダーも掲載されている。その数に驚く。

生活するのに優しい場所とは言い難い。こんなに沢山の祭りが残っているのは、“目に見えない何か”の存在を常日頃から感じているからかもしれない。


“目に見えない何か”に想いを馳せるのは祭と芸術の共通項だ。人生はキツい。時には何かを御守りにしないと乗り切れない局面もある。自分の興味や探求に忠実に作品をつくることは、ある種“御守り的な行為”であるといえる。


旧小泊保育所内にある山本基さんの作品は、彼の「思い出を封じ込める壮大な試み」としてのインスタレーションである。

保育所内は青く塗装された部分とそのままの状態の部分とできっぱりと別れており、青く塗装された部分には複雑な模様が描かれている。繰り返し繰り返し描かれたその模様は、彼の忘れたくない思い出なのかもしれないと思った。

青い保育所内を進むと、突き当りに真っ白な階段が現れる。素材は塩。

ここに来る前に、息子は甘いペコちゃんキャンディーを舐めていた。ポップな色合いのキャンディーと、真っ白な塩の階段が、わたしの中で強烈な対比となっていた。


涙はしょっぱい。海もしょっぱい。悲しい時に目から溢れる涙の粒と、巨大な海の味が一緒なのは、一体どうしてなんだろうとずっと思っていた。この真っ白な階段を作るまでに、作者はどれだけの涙を流したのだろうか。忘れたくない思い出は、こぼれる涙の中にある。思い出の結晶としてのインスタレーションだった。


旧鵜島保育所で、マリア・フェルナンダ・カルドーゾさんの「種のタイムカプセル」をみて、15時半頃に珠洲を出発。作品をみて、沢山の種をもらったような芸術祭でした。楽しかったな。

11月12日(日)までです。家にある1番馬力のある車で(急急急勾配多め)、タイヤのメンテをちゃんとして、動きやすい服装で、残り少ない北陸の秋と芸術祭を堪能してみてはいかがでしょうか。




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