9割自分と違っても、1割で繋がれるなら。9割自分と一緒でも、どうしようもない1割があるなら。
映画館で映画を見たのはララランド以来(!!)だったのだけど、息子と一緒にコナンの映画を観にいった。
私が小学生だった頃、月曜日の夜、犬夜叉の後に放送されていた名探偵コナン。
毎週楽しみに見ていた。コナンが真顔でパラパラを踊るオープニングや、倉木麻衣さんのエンディングは、私の子供時代の思い出の一部だ。
私は灰原哀ちゃんが大好き。
いつもニコニコしているようなタイプではなく、一見冷たそうに見える彼女だけど、実は1番懐が深く、優しい。
彼女はいっつも、理不尽な事にも大騒ぎせず、黙って耐える。平気な顔して、どれだけの試練を耐えてきたのだろう。
そんな彼女にスポットライトが当たった今年の映画は、映画館で観て良かったー!!と思える位面白く、切なく、余韻がずっと残る大人向けのストーリーでした。
哀ちゃんの事が好きな人、全ての哀ちゃん的な人々に見てほしい。
それにしても、哀という名前ってどうなん??と思う。ググってみると、阿笠博士は“愛”が良かったらしいけど、本人の希望で“哀”にしたという情報が出てきた。
えー!!って思っちゃう!!
でも、「私に愛なんて、似合わないわ。」とか言ってる哀ちゃんの姿は目に浮かんでしまう。いつだって、自分の気持ちだけでは動かないから、見送ってしまった愛情も沢山あるのだろう。
コナンの事が大好きなのにね。
哀ちゃんとコナンは同じ薬を飲み、同じように幼児化し、同じように黒の組織に追われている。
誰よりもお互いの事が理解できるし、いつだって素晴らしいコンビネーションで窮地を脱出する。二人でしか出来ない会話がいくらでもある。いや、この二人、言葉なんていらないんじゃないか??と思うくらい、意思疎通が完璧。考えている事が一緒。(特に拉致や監禁された時とか)
どんなにお互い似た者同士で、心の9割をシェアできたとしても、残りの1割、コナンでいったら蘭姉ちゃんが占める部分をシェア出来ないのであれば、恋人同士にはなれない。
哀ちゃんは、それもちゃんとわかっているからどうしようもない。蘭姉ちゃんの事だって大好きなのだから。憎めるくらい嫌なやつならどんなにマシだったろう。
一ミリも可能性がないとわかっていても、逃げ出すわけにはいかない。哀ちゃんは、自分の運命とも、自分の運命にダブっているコナンの運命とも向き合わないといけないからだ。
だから彼女は、いつも真っ当に生きている。愛だの恋だの言わず、誰も見ていなかろうが、静かに黙って正しい選択をする。その選択の積み重ねが、自分や周りの人々を守ることに繋がっている。哀ちゃんの今までがあったから、みんなのこれからがある。哀ちゃんに救われている人は、沢山いるんだよぉー!!
「ねえ哀ちゃん、いつか楽しくて仕方がない日だって、きっと来るよ。」と、私は彼女をハグしたい。
コナンの物語はきっと終わりに近づいているけど、もし、万が一哀ちゃんが幸せになれないようなエンディングだったら許さんからな。
蘭姉ちゃんを庇って命を落とすとか、どうかそんなんはナシでお願いします。(意識不明くらいはありえそうだからな…)
コナンと哀ちゃんは運命の9割は一緒。コナンと蘭姉ちゃんは、残りの1割で繋がっている。
哀ちゃんの1割は、私がもらいます!哀ちゃんは私が大切にします!あんないい子、幸せになれんと嘘でしょ!
うっかりコナンの映画を見たばっかりに、めちゃくちゃ切なくGWがスタートしてしまった。地元の親友の子どもの頃からの長ーい片想いが、ついに叶わなかったのを知ってしまった後のよう。不意に思い出してしんみりしてしまっている。
これからご覧の方は、どうか心して観てね。
めっちゃ面白い映画だったよ。
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