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ディベート界の金足農業が、世界大会で日本一になるまでの物語。

第100回全国高等学校野球選手権記念大会、夏の甲子園で大旋風を巻き起きした金足農業高校(通称・金農)。

彼らの快進撃が「漫画よりも漫画」と話題になったことは記憶に新しい。

だが、あなたはディベート界の金農物語をご存知だろうか。

これは、ディベート界の金足農業が、世界大会で日本一になるまでの物語である。

近隣(熊)トラブルに注意

金足農業高校と同じく、秋田県の公立大学法人である国際教養大学(Akita International University)通称「AIU」。

山奥に位置するキャンパスの横には熊が生息し、大学の売店では熊よけの鈴が販売されている。

陸の孤島であるため、周辺に娯楽施設はない。

飲み会は基本的に宅飲み。デートは散歩、車持ちは神様。

熊の目撃情報が学内に発表されると、

「もう冬眠が終わったのか」

「今年は早かったね」

と近隣住民(熊)の生活に思いを馳せる学生たちがいる。

そんな大学に、世界中の誰もまだ知らない、ディベート部があった。

世界大会に挑む、一年前

(写真左から「大和」「ミホ」「リュージさん」)

この物語の主人公である大和は、まだディベート部に所属していなかった。

部の存在自体は知っていたものの、他の活動で忙しく、入部する気などさらさらなかった。

彼は、ディベート部の部長に新しく就任した彼女の付き合いで、新歓イベントの模擬試合を見学しに行った。

「ミホも選手として、スピーチするらしいし。応援するか」

と軽い気持ちで、会場となる教室に足を踏み入れた。

10名もいない、スカスカの教室。

しかも、10名のうちの半分はディベート部員。歓迎すべき新入生の姿は、ほとんどない。

「本日はご来場いただき、ありがとうございます。では、本日のディベートに入りたいと思います。本日の議題は」

大和は驚いた。

試合前から分かっているのは、チーム(二人一組)が賛成派か反対派かに割り当てられたことだけ。

議論するお題は、試合の直前まで分からない。議題が発表されてから、15分で試合の準備を進める。

裏を返せば、15分後には最初のスピーチが行われているわけだ。

「即興性が高くて、難しそう。よく、こんなことやるわ」

興味本位で、彼は試合を最後まで見届けた。

「本日は観戦していただき、ありがとうございました。入部したい方は、こちらの紙に学籍番号を記入してください。よろしくお願いします」

試合も終わり、席を立とうとしたそのとき、大和はある男から声をかけられた。

「一緒にディベート、やりませんか?」

後に、世界大会で日本一をともにする相方・リュージさんだった。

彼の話はミホから聞いていた。

社会人入試で国際教養大学に入った、元バンドマン。V系バンドのベーシストを務めていたため、昔の写真は今と極端にビジュアルが異なることで有名だった。

髪色こそ黒に戻していたものの、彼の髭からは社会に抗う反骨心が残っているように見えた。

「一緒にディベート、やりましょう!」

年上の先輩、元バンドマン。誘いを断ったら、今後の平和な学生生活に支障をきたすかもしれない。

でも、今は他の活動で忙しい。脳内のそろばんをはじき、ディベート部の活動の余地を模索する。

「やりましょう!!」

今は余白がないことを示していた脳内のそろばんが、弾け飛んだ。

「…はい」

純粋無垢で何より熱狂的な勧誘に負け、大和はディベート部に入部した。

2014年9月、世界大会まで残り15ヶ月の出来事である。

荒地を耕す、ゼロからのスタート

入部してから分かったことが、いくつかあった。

まず、ディベート部は創部して3年目。登録されている部員数は20名ほどいるものの、ほとんどが幽霊部員。

練習に集まるのは、基本的に4〜5名。

試合を行うのに必要な最低人数が4名(二人一組のチームが二つ)であるため、5人目がいないと客観的な審判を置けない。

よって、試合に出場した選手が、自分たちの試合の勝敗を考える。

キャンパスが山奥にあるため、他校との練習試合は組めない。そもそも、秋田県の競技人口が極めて少ない。だいたい、秋田県の人口が少ない。

教えてくれる先生はいない。かと言って、先輩は学校に義務付けられた留学でいなくなるため、ノウハウが蓄積しない。

常に、ゼロからのスタート。眼の前に広がっていたのは、荒地だ。

「どうすれば、他校に勝てるだろうか」

入部したからには、本気で勝ちたかった。

だが、大和たちには時間がなかった。

大和とリュージさんは冬から留学が決まっていた。大和はフランス、リュージさんはイギリス。離れ離れになることが分かっていた。

国内大会には出場できない。

「ヨーロッパでディベートの大会とかないかな」

リュージさんが呟いた。

すると、翌夏に留学を控えていたミホが

「次の世界大会はギリシャで開催されるらしいよ」

と教えてくれた。

世界大会の募集要項を確認すると『学生であれば、誰でも出場可能』とある。過去の実績がなくても、足切りされない。

これだ。

どうせ、目指すなら。世界大会で勝てば、日本の他大学なんてごぼう抜き。一気に頂点へ登りつめるチャンスだ。

日本国内ですら一切知られていないディベート部が、世界大会に応募した。

孤独、孤独。

2015年1月、大和はフランスにいた。

年末に世界大会を控えていたものの、練習相手がいない。

フランスの地方都市の大学には、ディベート部がなかった。

一方、リュージさんが留学していたイギリスは、ディベートのメッカ。世界の強豪校たちがひしめくディベート王国である。

「この一年でリュージさんと差がつくのかな」

と心配していた矢先、リュージさんから連絡が入る。

「大学のディベート部の練習に参加してみたんだけど、行くの辞めるわ。アジア人ってだけで、なめられるし。一緒に練習しよう」

大和は思いもよらない形で、練習相手を手に入れた。

だがしかし、二人の物理的な距離は何も解決していない。

とりあえず、ビデオ通話で練習してみることにした。

それぞれの寮からパソコンに向かう二人。一人二役、チーム二人分を一人で担う。交互にスピーチし、試合終了後に二人で振り返り。孤独な練習。

二人だけの脳みそには限界があった。

とりあえず、ビデオ通話で練習してみることにした。

「練習ばかりしていても、つまらないので。世界大会の前に一つ、実戦をはさみましょうか」

リュージさんからの提案は、スコットランドの国内大会への出場だった。

半年ぶりの再会にもなる。

大和は旅行も兼ねて、フランスを離れ、スコットランドはグラスゴーへ向かった。

グラスゴーでの経験が、今後の二人を大きく変えるとは知らずに。

2015年5月、世界大会まで残り7ヶ月の出来事である。

世界の洗礼、グラスゴーの敗北

(ディベートさせていただいた、歴史と由緒ある会場)

結果から話そう。

スコットランドの国内大会に挑んだ、大和とリュージさんのチーム順位は下から二番目。

ボッコボコにされた。

いや、それでは物足りない。

ボッッッッッコボッッッコにされた。

これでちょうどいい。それくらいの完敗を喫した。

英語が母語の学生たちと戦うディベートは、次元が違った。

今まで体験したことのないスピード感は、まるで激流に投げ込まれたかのようだった。日本で味わっていたスピード感は、海外では清流もしくは池レベルなのだろう。

語彙力にも圧倒的に差があった。知らない単語が出てくる出てくる。それに引っかかっていると、どんどん置いていかれる。文脈で予想しながら、反論を構築する必要があった。

むしろ、よく最下位にならなかったものだ。日本人に負けたスコットランド人は、さぞ大会後いじられたであろう。心中お察しする。

そして、二人は思った。

このままでは、マズい。

グラスゴーの夜道を、酒瓶片手に徘徊しながら考える。

このままでは、世界大会では勝てない。

二人は決意した。

今までの56倍、練習する

(笑顔が引きつる、ボッッッッッコボッッッコにされた秋田の民)

国際教養大学のディベート部は週二回、二時間の練習を設けていた。

しかし、このペースで練習していては世界大会では勝てない。

まず、毎日練習することを決めた。週二回が週七回になれば、単純計算で『3.5倍』は練習している。

そして、チーム二人分を一人で担った。それぞれが賛成派の二人、反対派の二人として、一人でスピーチを行った。練習相手が確保できなかったので、仕方がない。これで、さらに『2倍』だ。

審判も自分たちでやり、出来る限り批判的に振り返った。自分の組み立てた論理に偏らず、客観的に改善点を追求し続けた。またまた『2倍』の負荷がかかった。

試合の論題選びも、二人は過去の世界大会のものにこだわった。世界大会の論題は基本的に難易度も高く、議論の余地が無限にあるものばかり。脳みそをいじめ抜く論題は『2倍』の追い込みと定義しよう。

最後に、何より勉強しまくった。世界大会中は、どのような論題が出てくるか全くの未知数。そのため、幅広い知識と教養が不可欠だ。政治から経済、科学も芸術も法律も文化も、何から何まで勉強した。守備範囲を広げる努力も、今までの『2倍』はした。

全て合せると、今までの『56倍』練習したことになる。

グラスゴーでの敗北を経て、特に大会直前なんかは目の色を変えて特訓した。

母校にいる後輩の部員や数少ない他大学の友人たちにも付き合ってもらいながら、歩み続けた。駆け抜けた。

そして、秋田の弱小ディベート部は世界大会に挑んだ。

半年遅れてイギリス留学を開始したミホも合流し、三人はギリシャへと飛んだのである。

ディベート漬けの年末年始、大晦日の激闘

2015年12月27日。

大学生ディベートの最高峰『Thessaloniki WUDC 2016』世界大会が開幕した。

ここで、大会の仕組みを簡単に説明しよう。

注)ディベート自体にあまり興味のない方は読み飛ばしていただいて、構わない。

大会は『British Parliamentary Style』で行われる。その場で議題が与えられ、各チームは15分で試合の準備を進める。

四チームにより、四つ巴の戦いである。

賛成派に二チーム、反対派に二チーム。同じ賛成派だからと言って、二チームはともに戦うわけではない。むしろ、同じ大義の下で差別化を図るため、徹底的に殴り合う。

一つのディベートの中に、前半戦と後半戦があるように想像してもらえば、分かりやすいかもしれない。

前半戦を戦う賛成派と反対派は先に話せる分、後半のチームが語りたい内容を奪うことができる。後半戦を戦う側は、如何に前半戦で詰めきれなかった要素を深めるかが重要となる。

最終的には、ディベートへの貢献度合いで勝敗が決定する。

そして、世界大会ともなれば、審判団(ジャッジ)もとても豪華。

各試合の審判たちは過去の世界大会の優勝者など、名だたる面々が並ぶ。その人たちが勝敗を決めた後、試合を振り返る形でフィードバックをくれる。

彼らからどれだけ吸収して、大会中に成長できるかが肝になる。

試合は9試合。

順位が高ければ高いほど、勝ち点が入り、自分の持っている点数に近いチームと必ず当たる仕組みになっている。

9試合を終えた時点で、最も点数の高いトップ48チームが決勝トーナメントへ進む。

世界中から387チームが参戦したギリシャ大会、今年は誰が栄冠を手にするのか。

まだ意味を持たない『Akita A』の文字情報

大学の体育館に、出場者たちは集合する。

そこで論題と対戦相手が発表される。スクリーンに映し出された対戦表には教室が指定されており、それぞれ自分の試合会場へ向かう。

対戦表には『Akita A』の文字。

『Akita International University』で提出したような気もするが、おそらく『Akita A』と名乗るチームはこの会場に三人以外いない。

国際教養大学の弱小ディベート部は『Akita A』として、戦うことになった。

迎えた、第一試合。議題は

『This house would allow states to use mercenary forces in combat roles in active military operations』

国家が傭兵を雇うことの是非について。

初戦。久しぶりの実戦ともあって緊張はしたものの、前半戦の反対派になった『Akita A』はそこそこの手応えを持って、試合を終えた。

審判団が結果を告げる。

結果は4位。最下位である。

勝ち点を一つも稼ぐことができなかった。

今までの56倍練習したのに。凹む大和に対し、リュージさんが

「ジャッジから、アドバイスをもらいましょう!次のために」

と審判団の方へ向かった。少し遅れて、大和もノートを持って、話を聞きに行った。

大会はまだ始まったばかりだ。

ジャッジも、改善点を聞けばちゃんと答えてくれる。

実戦の感覚も戻ってきた。チームワークの確認も取れつつある。

二人なら、もっと強くなれる。

『Akita A』はまだまだ強くなれる。

大会中の「成長率No.1」を目指す

(体育館にて仮眠を取る「リュージさん」)

二試合目。議題は

『This house would would prohibit private ownership of art deemed to be culturally or historically significant』

文化的・歴史的価値の高い芸術作品は誰が管理するべきか、国と個人の対立だ。

『Akita A』はここで一つ順位を上げる。

3位として、勝ち点1を稼いだ。

ただし、まだまだ下位集団の中でも埋もれている存在だった。

初日の最終試合。三試合目の議題は

『This house believes that all states should collectively aggregate and evenly distribute all revenue from mineral wealth globally on a per capita basis』

環境資源から得た利益をどのように分配するかの論題。

ここで、初めて1位を勝ち取る。

勝ち点3を稼いで、二日目に望みをつないだ。

翌日、大会二日目。迎えた、第四試合。議題は

『This house believes that governments with racially diverse populations should never record the ethnic or racial background of their residents』

人種の多様な国家において、人種の記録を取るべきか否かについて。

勝ち点を稼ぐことで、徐々に試合のレベルも上がっていく。

この試合を『Akita A』は2位で乗り切った。

次の試合も2位で終え、着実に階段を登っていった。

議題は

『This house believes the US should withdraw from East Asia and cede regional hegemony to China』

中国の覇権に対し、アメリカはどのように向き合うべきか。

試合を重ねる毎に、大和とリュージさんのチーム力が上がっていることは明らかだった。

現時点の実力ではトップになれないとしても、大会中の伸び率では一番になってやる。

そう、強く決意していた二人はどんどん進化した。

そして、迎えた二日目の最終試合。議題は

『This house believes that states should adopt sunset clauses that legally force them to review and either re-authorize or revise their constitutions every generation』

法律に失効期限を設けるかどうか、問われた試合。

この試合から優勝候補たちの背中が見える。同じ試合には今大会、苦戦している強豪校たちがいた。

一段とレベルの高くなった試合で『Akita A』は初戦以来の最下位に終わる。

勝ち点を稼げず、最終日へと突入した。

『Akita A』どこそれ?の大躍進

最終日。第七試合。議題は

『This house supports stronger collective bargaining rights and protections rather than legislated labor market regulations (e.g., wage levels and working conditions)』

会社と労働者の権利に関する問い。

昨日の最終試合ほど、レベルは高くないと感じた二人。もう一度、あの圧倒的な刺激の中に戻りたい。

必死で戦った結果、『Akita A』は1位に輝き、勝ち点3を得る。

そして、再び猛者たちが集うラウンドへ帰ってきたのである。

この時点で勝ち点11。

このまま、残りの試合を1位で勝ち進めば三日目以降も見えてくる。ようやく、決勝トーナメントを射程圏内に捉えた。

すると、周囲の反応が変わる。

「えっ、『Akita A』ってどこの大学?』

「謎のチームが意外な位置につけているんだけど」

対戦表が発表されたとき、明らかに会場はざわついていた。

次の試合が大勝負となる。

迎えた、第八試合。議題は

『This house believes that the creation of feminist icons and their cults of personality are good for the feminist movement』

フェミニスト運動において、有名人などのアイコンを立てることの是非について。

『Akita A』は前半戦の賛成派。つまり、ディベートの開始を告げる役割を担ったのだ。

全力で、強豪校たちとぶつかった。

対戦相手もこの試合を落とすと決勝トーナメントが現実的でなくなるため、必死である。

試合は審判団も褒めてくれるような、熱戦となった。

結果『Akita A』は最下位に終わった。

勝ち点を一切稼げず、燃え尽きた。決勝トーナメントへの進出は事実上、不可能になったからだ。

日本から出場していた他のチームは善戦していた。予選突破の可能性を残し、最終戦を迎えようとしていた。

「そりゃ、そうだ。あいつら、めっちゃ歴史あるし」

「いろいろ先輩とかから教えてもらえているんだろうな」

など、大和の口からは負け惜しみも出るようになっていた。

「あと一試合、最後まで戦おう」

そう、声をかけてくれたのはリュージさんだった。

「最後の試合は私も観に行くね」

と強豪校たちの試合を中心に研究していた、ミホも言ってくれた。

最後まで戦い抜く。『Akita A』は第九試合に臨んだ。

沈んだからこそ、浮かび上がれる

予選最後の試合。議題は

『This house believes that that criminal punishments should be based only on the offenders’ culpability rather than the damages caused by the criminal act or other outcomes derived from the punishment』

刑法の罪と罰に関する論題。

後半戦の反対派となった『Akita A』は縁あって、最終試合の最後のスピーカーを務めることになった。

泣いても笑っても、これで終わり。

最後は勝ちにこだわるのではなく、良いディベートをしようと楽しんだ。

試合は終わり、結果は決勝トーナメントの進出チームと同時に発表されるとの旨を伝えられた。

決勝トーナメントへの進出はない『Akita A』は、世界大会を駆け抜けた疲れを抱いて、休んでいた。

「お疲れ様。本当に楽しかった」

互いに労い合いながら、ディベート漬けの夢のような時間を振り返った。

「どこが決勝トーナメントへ進出するんだろう」

「早く発表されないかな」

と待っていると、予選の全順位が発表された。

最終試合、なんと『Akita A』は1位だった。

そして、勝ち点3を稼ぎ、日本から参加したチームの中で最高点を叩き出したのであった。

目を疑った。

本当に『Akita A』と書いてあるか。

そもそも、チーム名は『Akita A』で合っていたか。

三人で何度も見直して、間違いがないことを確認すると盛大に喜んだ。

秋田の弱小ディベート部が、世界大会の舞台で日本一に輝いた瞬間だった。

創部から三年。もちろん、部から世界大会に挑戦したのは初めて。

まともに練習する機会はなかったが、自分たちのできる範囲で目一杯した努力が報われた。

最終的な勝ち点は14。

決勝トーナメント進出のボーダーラインとなったのは、17点。

あと、3点足りなかった。

でも、十二分に『Akita A』旋風は起こせた。かもしれない。

金足農業ほどではないけど。

これが誰も知らない、ディベート界の金農物語である。

奇跡は起こすもの

田舎だから。新参者だから。練習相手や教えてくれる人がいないから。

言い訳は、何個でも思いついた。

実際問題、都会の歴史ある、知恵と知識が蓄積している大学に比べたら、ハンデも大きい。

それでも、やりようはある。

相手の56倍練習して、

相手が試合後ふてくされている間に審判団から教えを乞い、

がむしゃらに進化し続ける。

すると、奇跡は起きる。

起きるべくして起きる。

奇跡は起こすもの。

後日談

たまに、このような声をいただく。

「国際教養大学は元々、英語ができるから。ディベートは強くて、当たり前じゃないか」

大和は帰国子女なので反論しにくいが、そもそも国際教養大学の生徒全員が英語に強いわけではない。

それは、国際教養大学のディベート部員にも言える。

リュージさんは日本生まれの日本育ち。

でも、毎日図書館に通いつめて、英語を特訓することで、世界大会では大和よりも高い個人点を叩き出した。

英語ができる人が、ディベートが強いわけではない。

ディベートが強い人が、英語ができるのだ。

なぜなら、強くなる過程で圧倒的に英語を練習しているから。

それは発音や文法の正確性ではない。

聞くに値する内容を語れるか。語るためのツールが英語だっただけである。

要するに、みんな努力している。だから、強い。

エピローグ

大会を終えて、日本に帰国した「大和」「ミホ」「リュージさん」の三人のその後。

リュージさんは首席で大学を卒業、どこまでも努力家で眩しかった。

ミホはリュージさんとともに日本の国内大会に出場し、準決勝まで進んだ。世界大会で強豪校を研究していたのは、伊達ではなかった。

そして、大和はと言うと、音楽活動に明け暮れていた。

以上、ディベート界の金足農業が、世界大会で日本一になるまでの物語でした。

最後まで、お付き合いいただき、誠にありがとうございました!


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大会の様子をまとめた、公式映像

嘘をついていない証拠となる、大会の成績表

おまけ

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