山好きのための仏さまの話#4 山でお見かけする「権現」ってなに?
山好きのための仏さまの話 第4回。
今回のテーマは「権現(ごんげん)」です。
八ヶ岳には「権現岳」という山がありますし、
「蔵王権現」や「立山権現」といった石碑をご覧になることがあると思います。
「権現」って何だろうと思ったことはありませんか?
今回はその権現についてお話したいと思います。
権現(ごんげん)とは
権現とは、「権(か)りに現れる」という意味で、もともと仏さまである存在が神さま(仏さま)として現れたもの、です。
根底にある考え方は「神さまと仏さまは一つのもの」ということにあります。
この考え方を仏教側から見た考え方では、
本来、仏さまであった存在が日本の皆さまを救うために姿を変えて現れた存在とされています。
この考え方を「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」と言います。
立山信仰を例に取りますと、
立山信仰の中心、雄山神社の主神は伊邪那岐神(イザナギ)ですが、阿弥陀如来が形を変えたものとされます。
神さま側の姿である「垂迹」が伊邪那岐神、仏さま側の「本地」が阿弥陀如来であるところの「立山権現」という神さま(仏さま)になります。
この写真は富山県の芦峅寺にある雄山神社。
明治時代の神仏分離により、立山信仰も大きな影響を受けました。
山岳信仰の中で重要な権現さま「蔵王権現」
さて、山でよく出会う権現さまとしては「蔵王権現」さまがいらっしゃるでしょうか。
「金剛蔵王権現」とも言います。
山岳宗教である修験道の開祖、役行者が金峰山で感得された権現さまで修験道における重要な権現さまです。
平安時代、蔵王権現を祀る吉野や熊野の信仰が全国各地へ広まり、あちらこちらの山に祀られるようになりました。
スキー場で有名な山形県の蔵王も蔵王権現に由来しますし、
奥秩父の金峰山も、蔵王権現が祀られる奈良県・吉野の金峰山に由来します。
ちなみに奥秩父は「きんぷさん」と呼ばれることが多いでしょうか。
奈良県の吉野は「きんぷせん」と読みますね。
私はついつい奥秩父も「きんぷせん」と読んでしまいますが、
山と高原地図では、長野県側は「きんぽうさん」と書いていました。
神さまと仏さまは一つのもの
江戸時代までは、神さま仏さまは一つのものと考えられていましたので、その境は曖昧で、表裏一体のような形で大切にされてきました。
しかし、明治政府による神仏分離令、つまりきっかりと神さまは神さま・仏さまは仏さまと分けられることになりました。
かつては神さまを祀る神社と仏さまを祀る寺院とが、混在していたり、隣り合っていたりして存在していたのですが、それもきっかり分けられることになりました。
権現を祀る場所でも、現代は神社に変わったりお寺として残ったりしています。
立山権現を祀る立山や長野県の戸隠権現を祀る戸隠は神社になりました。反対に、飯綱権現を祀る東京都の高尾山はお寺として現在に至っています。(高尾山については、飯綱山の回もご覧ください。)
当時としては、国家神道による新しい国作りという大きな目的があって行われた改革でありました。日本が近代化していく過程の中では必要なことであったのでしょうが、反面失われたものも多くありました。
例えば、このような話をうかがったことがあります。
私が修行していた高野山の近くに「天野大社」という神社があります。
高野山は弘法大師開創の折、高野明神さまという神さまのお許しによって開くことができたと伝わっています。
天野大社に祀られる丹生都比売さまは高野明神さまのお母さま。
共に高野山ではとても大切にされている神さまです。
今でも高野山の僧侶は修行が終わると、きちんと正装の袈裟を着けて天野大社に詣でて、修行が終わりましたとご報告するようになっています。
この天野大社も、江戸時代には仏さまを祀るお堂があったり、神職だけでなく僧侶もたくさんいて、何十人もの神職・僧侶を抱える大きなお社でした。また、高野山からのたくさんの寄進と保護のもとに裕福に運営されていたのだそうです。
明治時代の神仏分離令により、天野大社は仏教的なものが切り離され、僧侶は追放、仏さまを祀るお堂は取り壊されました。
丹生都比売さまは天照大御神の妹に当たるので、官幣大社という格式をいただくのですが、できたばかりの明治政府はお金がなく、大勢の神官を派遣することができません。
結果、神職たった4人だけになってしまったそうです。高野山からの寄進や保護もできなくなり、経済的にも非常に困窮した、という話を天野大社の宮司さまからお聞きしたことがあります。
写真は高野山大伽藍にある御社。丹生明神(丹生都比売大神)と高野明神をお祀りしています。
神さまと仏さまが分けられる中で失ってきたもの
そんな歴史的な経緯があるわけですが、
さて現代、日本が近代化の中で失ってきたものを少し思い出すことが大切なのではないかと思います。
「対立」は遥か昔から現代に続く大きなテーマです。
例えば、議論を深めるような場面には対立の構造が必要不可欠なものですが反面、対立が差別や偏見、あるいは戦争といった人類の負の側面に繋がります。
宗教もまた、対立と争いの要因になってきました。
しかし、私たちが古来、大切にしてきた文化や宗教観の中では、
日本古来の神と外来のものである仏が一緒に大切にされてきました。
そこに私は、対立や争いに向かうためのヒントがあるように思えてなりません。
山で出会う神さまと仏さまには、この考え方が色濃く残ります。
日本の山岳信仰の中心を担ってきたのは「修験道」です。
修験道は神道・仏教(密教)・山岳信仰が融合して出来上がってきた日本特有の宗教観です。
はるか昔から、私たちの祖先たちが日本の風土の中で生み出してきたものなので、現代を生きる私たちの根底にある精神性とも共感できるものだと思います。
山や自然、神さま、仏さま。
そして、私たちとが一つに溶け合い、
対立することなく共に尊重され、大切にされてきた世界。
「権現」という言葉はそこにつながるものだと思いますので、
山で出会ったときには、その言葉の背景にあるものを感じていただければと思います。
合掌
小雪童