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山で出会う神と仏と #1「神も仏も」

山で出会う仏さまを紹介する「山と仏」の連載。
「山で出会う神と仏と。」をお送りします。

第1回は「神も仏も」。

仏を紹介すると言っておきながら、しれっと「神さま」も入れちゃっているとお思いかもしれませんが、ちゃんと理由があります。それは、

私たちが出会う風景は、神と仏と自然(山)が一つになったものだから

というものです。

例えば八ヶ岳、赤岳(赤獄神社)の隣は阿弥陀岳(阿弥陀如来)ですよね。

神と仏が八ヶ岳という山の中で一つになっている。
山に登っていると、そんな風景がとても当たり前ではないでしょうか。
古来、神と仏は一つのものでありました。
今回はそんな話をお伝えしたいと思います。

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写真は厳冬期の赤岳、中岳を挟んで阿弥陀岳。

神と仏と。

江戸時代までは日本の神さまと、インド・中国を通じて入ってきた仏さまの垣根はすごく曖昧でした。
特に山岳信仰の中では、神と仏に合わせて自然(山)が一つになっていました。

例えば長野県にある戸隠山。
現在は戸隠神社ですが、江戸時代までは顕光寺というお寺でした。
天の岩戸に天照大神が隠れてしまったので、天手力雄命(あまのたぢからおのみこと)が岩戸を信濃の戸隠に向かって投げてそれが戸隠山になった、というのが戸隠山の伝説です。

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そこで戸隠神社奥社には天手力雄命が祀られていますが、
天手力雄命は聖観世音菩薩が形を変えたものとされ、戸隠山という山岳修行の場の中で神と仏とが混在していました。
それが明治政府によって出された神仏分離令によって戸隠神社に改められ、現在に至っています。
でも、戸隠には今でも石仏が残っていたり、神と仏が一緒だったころの面影が残っていますよね。

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戸隠神社奥社に行く途中にある随神門。江戸時代までは仁王門でありました。かつての仁王さまは善光寺隣の寛慶寺に移されています。

今でも神さまと仏さまが同じように大切にされている場所があります。

お坊さん修行の中で感じた「神さま」

例えば、私が修行していた高野山です。

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高野山は開山の折、高野明神という神さまのお許しと導きによって開かれたので、神さまをとても大事にしています。

以前、私が在職していた総本山金剛峯寺。
朝のお勤めの最後は、伊勢神宮を遥拝します。
お寺なので拝み方も仏教式。南無天照皇大神(なむてんしょうこうたいじん)と拝みます。拍掌(はくしょう)つまり、パンパンと手も打ちます。

他にも、神さまにまつわる思い出はたくさんあります。
修行の節目が終わると、高野明神さまの御社とそのお母様である天野大社という神社にお礼参りをするようになっています。
勧学会という経論を学ぶ場には、高野明神さまの席が用意されています。神さまに見守ってもらいながら経論の問答を行うという意味があるのですが、この席を足で踏もうものなら、死ぬほど怒られます。ホントにきつくきつく怒られます。
それだけ神さまを大事にしている、ということですよね。

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写真は高野山の大伽藍の中にある高野明神の御社。弘法大師は高野山の造営で、一番最初に建立したのがこの御社だと言われています。

高野山だけではありません。
日本中のたくさんの社寺で神さまと仏さまが一緒に祀られていた痕跡が残っています。

現代の風景の中で分かれてしまった「神と仏」

しかし現代、お坊さんしてますと、
世間では「神さまと仏さまは別々に」と感じることが少なくありません。
たとえば、地域のお宮さんの行事に声を掛けていいかとか、よく聞かれます。今ではお神輿もお寺に寄ってもらってますが、最初はいいの?ってよく聞かれました。
私からすると、神さまも仏さまも同じように大事にするということはごくごく普通のことに感じます。

さて、神さまも仏さまの同じように大切にしてきた日本の原風景。
その昔からの風景がとても自然に、山にはあるように感じています。

私たちが出会う山の風景。
それは、神と仏と自然とが一つに溶け合う、
そんな世界ではないでしょうか。

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次回、僧職系登山男子の目から見える「八ヶ岳」

さて、次回から山好きのお坊さんから見える山の風景を紹介していきたいと思います。
第一回は八ヶ岳。山好きなら何度も通う方もいらっしゃるでしょう。
主峰に神社、
その隣に阿弥陀如来、
キレットを挟んで、神であり仏である権現さま。
僧職系登山男子の目から見える八ヶ岳。
そんな風景を皆さんと共有したいと思います。

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