「楽園」

そこは『地獄』と呼ばれていた。

誰もが「一日でも早く、ここから出たい」と望んでいた。
そんな中、彼一人だけが、そこを「とても快適だ」と思っていた。

そこでは自分で考える必要がない。
そこでは何を着るか、何を食べるか、考える必要がない。

そこでは他人と比べる必要がない。
そこでは他人を見て優越感を抱くことも、劣等感を抱くこともない。

そこでは笑う事もない。
そこでは泣く事もない。
そこでは理不尽な暴力も、いじめもない。

ただひたすら、規則に従い、命令に従い、一日一日を生きる。
そんな毎日が、彼にはとても快適だった。
彼は「ずっとここにいたい」と思っていた。

ところが、ある日、彼は呼び出され、
「喜びなさい。あなたがここを出る日が決まりました。」と言われた。

彼には「喜ぶ」という言葉の意味がわからなかった。
そして彼の意思とは関係なく手続きが進められ、彼が『地獄』を出る日が来た。

「喜びなさい。今日からあなたは自由です。」と言われた。
彼には相変わらず、「喜ぶ」という言葉の意味がわからなかった。

わずかな現金の入った財布と、わずかな生活道具の入った小さなカバンを一つ持って、彼は『地獄』の門を出た。

門を一歩出たが、どうしたらいいのかわからなかったので、彼はその場にしゃがみ込んだ。

すると「おい、そんな所に座り込むな!」と門番に怒られた。
彼は立ち上がると

「あの、ぼくは、これから、どうしたらいいんでしょうか?」
と、その門番に尋ねた。

門番は「知るか、お前の好きにしろ!」と不機嫌そうに答えた。     好きにしろと言われてもなぁと困り果てた彼がしゃがみ込もうとすると、
「だから、そんな所に座るな!」と、怒られた。

「好きにしろ」と言うけれど、ここに座るのはいけないらしい。

すると、見かねたもう一人の門番が
「お前は自由だ。自分で考えて、自分で決めろ。まずは、この道を右に行くのか、左に行くのか決めて、とにかく歩け。そして、その先で、自分のしたいことを見つけろ」と彼に声をかけた。

そう言われて彼は右と左を見渡して、何の当てもなかったが、右へと歩き始めた。

歩いて歩いて繁華街に着くと、彼はすぐにカツアゲにあった。
三人組の男たちに囲まれ、ナイフを突きつけられ、路地裏に連れ込まれ、
殴られ、蹴られ、引きずり倒され、踏みつけられ、財布とカバンを奪われた。

男たちは現金を抜き取ると、空の財布を彼のポケットにねじ込んで去っていった。
だが彼は、別に何とも思わなかった。

起き上がり、埃を払うと、路地裏を出て、街を歩いた。

街はとにかく雑多だった。

大声で笑っている人がいて、大声で泣いている人がいて、
金持ちがいて、貧乏人がいて、
いじめている人がいて、いじめられている人がいて、
売春婦がいて、ヤクザがいて、詐欺師がいて、スリがいて、クスリの売人がいて、
ビルから飛び降り自殺する人がいて、売春婦を買う人がいて、クスリを買う人がいて、
酔いつぶれた酔っ払いがいて、ホームレスがいた。

歩き疲れた彼が道端にしゃがみ込んでも、怒る人はいなかった。
彼など初めからいないかのようだった。

唯一、毛皮のコートを着た女性に連れられた小さな犬と目が合ったが、
犬はすぐに、プイっと目をそらした。

彼は、「ここでは、自分は犬以下なのだ」と知った。

したいことを見つけられなかった彼は、来た道を戻って、門番に「見つけられなかった」と告げた。

すると門番は「難しく考えるな。楽しいことを見つけろ。とにかく楽しめ」と彼に言った。

そこで彼は街に戻って、人々が何を楽しんでいるのかを観察し、一通り自分もやってみたのだが、どれも特段、楽しくもなかった。

門番に「楽しいことも見つけられなかった」と告げると、門番は「それならば、世の中の役に立て。人の役に立て。お国の役に立て」と彼に言った。

何か資格を持っているわけでもなく、働いた経験があるわけでもなく、学があるわけでもない自分が、役に立つなんて出来るのだろうかと彼は不安に思った。そこで、「この中に戻ることは出来ないのですか?」と聞くと、門番は「そんなことは考えるな」と彼を一喝した。

それでも彼がもじもじしていると、もう一人の門番が

「そんなにこの中に戻りたいのなら、人をひとり、ふたり、殺してこい。そうすれば、この中に戻れるぞ」と、冗談めかして言ってきた。

「ふざけたことを言うな。こいつが真に受けたらどうするつもりだ」と門番は相方を怒鳴りつけた。そんな馬鹿がいるもんかと門番は笑っていたが、彼はすっかり真に受けていた。その様子を見て門番は「おい、お前、おかしな気を起こすなよ。とにかく、世のため、人のため、お国のために出来る事を考えろ。お前にも出来る事が必ずあるはずだ」と彼に念を押した。

彼は街に戻って、自分に出来る事を探した。そこで彼は、街がゴミだらけなことに気付き、ゴミ拾いをすることにした。

一日中ゴミを拾いながら歩き回ると、疲れ果てたが、街の通りは、すっかりキレイになった。それを見て彼は良いことをした気分になった。

ところが翌日の朝、街はゴミだらけに戻っていた。そこでまた一日かけてゴミを拾って、街をキレイにしたのだが、次の日の朝には、街はゴミだらけに戻っていた。

毎日毎日、彼はゴミを拾い続けた。だが街がキレイになることは無かった。人々はゴミ拾いをしている彼を馬鹿にして笑い、ゴミを拾っている最中の彼に「これもよろしく~」と言ってゴミを投げつけた。

彼は「自分は役に立っているのだろうか?」と疑問に思った。この街の人たちは、自分がゴミをポイ捨てしても、誰かが拾うから大丈夫、誰かが掃除するから大丈夫と思っている。

誰もゴミを拾わなかったら、誰も掃除しなかったら、この街はゴミに溢れ、いやでも「このままではいけない」と気づく日が来るのではないだろうか?その方が、この街の人々にとっては‟良い”のではないだろうか? 自分は、その邪魔をしているだけなのではないだろうか?

そう思って周りを見渡すと、世の中で‟良い”と言われている行為は、どれも、それほど‟良い”行為でもなく、人々が気付いたり成長したりする機会の邪魔をしているだけのように見えてきた。

そうだ、人々は苦労した方が良いのだ。苦しんだ方が良いのだ。手など差し伸べない方が良いのだ。それが、その人のためなのだ。

ほら、あの障害者を見ろ。みんなが良い人ぶって親切にして甘やかしたものだから、すっかり性根が腐っている。手など差し伸べない方が良いのだ。それが、その人のためなのだ。

彼は何もかも馬鹿らしくなって、ゴミ拾いもやめる事にした。

そして、人を殺して『地獄』に戻ろうと、やはり自分にはそれしかないと決意して、ショッピングセンターに行ってナイフを探した。

手頃なナイフを見つけると、彼は次に殺す相手を探した。

真っ先に目に入ったのは、ベビーカーを押す若い母親の姿だった。母親を殺すか、赤ちゃんを殺すか、それとも両方殺すか。そう考えて彼は躊躇した。

母親を殺すと、赤ちゃんが可哀そうな気がした。赤ちゃんを殺すと、母親が可哀そうな気がした。母親も赤ちゃんも殺すと、一人残される(?)ダンナが可哀そうな気がした。

そこで、他にいないかと辺りを見渡すと、彼は白髪の90歳ぐらいかと思われる老婆を見つけ「ちょうどいい」と思った。

もう十分長生きしている。平均寿命をとっくに超えている。これから働くこともないし、子を産むこともない。あのお婆さんを殺せば、国は介護費・医療費・年金等の社会保障費を節約することになる。

これで自分はわずかながら国の役に立てるわけだ。

最後の最後に国の役に立つことを見つけられて、良かった良かったと思いながら、彼は老婆にナイフを刺した。確実に殺すために、何度も何度もナイフを刺した。

酷い悲鳴に顔を上げると、先ほどの若い母親だった。

「ああ、大丈夫ですよ。あなたを殺す気はないですから」と、何度も何度も老婆にナイフを刺しながら言ったのだが、自分の悲鳴にかき消されて、どうも、その若い母親には聞こえていない様だった。

確実に老婆を殺して、これで『地獄』に戻れると思い彼は嬉しくなった。

そして、「ああ、これが『喜び』って感情なのかな」と仄かに思った。

                             おわり


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