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自分や他人を限定したくない

夏休み毎日投稿が5日目でストップしましたヤマトです
どうやら僕に毎日投稿は向いてなかったみたいです。
義務感がでるとやっぱり楽しめない。
とりあえず週2以上投稿をまた継続します。


陽キャ、陰キャって言葉あるじゃん?
僕その言葉のずっと嫌いなんですよね。
人や自分の性質を限定してしまう言葉だと思ってる。
正直、その場の冗談とかでも使いたく無いレベル。

人って当たり前だけど色んな要素を持ってるじゃん?
人見知り、明るい、大人しい、かわわい、美しい、艶やか、暗い、寡黙、騒がしい、ほがらか、あたたかい。

これらの要素を人前にだす時って、その相手によって変わってくる。初めましての人と会う時は人見知りになるけど、仲のいい人の前ではうるさくなる人。逆に初めましての人には明るくいけるけど、そこから関係値を構築しようと思ったとき実は1人が好きなタイプで寡黙でいる方が居心地いいタイプの人とか。

人に二面性があるなんて当たり前で、むしろ二面性以上あるだろうしそれら全てが「自分」なんだよな。

でも陰キャ陽キャという言葉を使う人は人の沢山ある要素の中で一面性だけ見て人を判断しているよなと思う。
「大人しい人」を細分化してみると「話すことが苦手」かも知れないし、「簡潔に話すことが得意で賢い」かも知れないし、「人の話を聞くことがすき」、「内向的で想像力がゆたか」なのかも知れない。
同じ「大人しい人」でも分解して考えてみればそれぞれ違う要素を持つ人達かも知れない。

でも人を陰キャ陽キャで分類する人は「大人しい人」という括りだけで人を判断する。人に対する抽象度が高いままなんだよなー。

そういう人は考えが浅そうと思ってしまうし、人の気持ちに対して想像力が低い傾向にあるなと個人的に思う。

(一応言っとくと冗談でインキャ陽キャを言うのは全然アリだと思う。自分が苦手だから言いたく無いだけ。他の人が冗談で言ってるくらいは特に何も思わない。)

インキャ陽キャって言葉を使っていると自分も想像力が低く、分解して物を見れない人間になってしまいそうで、それが嫌だから使いたく無いんだよなー。

大学生になればそんな人は減ると思うけど(大学レベルによって変わりそう。)たまにそういう子いるからさ、残念だなって思っちゃうんだよねー。

そして、人の一面性だけ判断して「あなたってインキャだよね」と限定してしまうと次第にその要素に近づく傾向にあると思う。

もし自分が「君インキャだね」と言われた場合
「いや、何を知って言ってんの?インキャの一言で片付けてんじゃねーよ」と思えるけど、もし小学生の自分だったら良くも悪くも素直でいい子だったからさ、「やっぱり俺ってインキャなのかなー」とか「おれって面白く無いよなー」って思ってしまうと思うんだよね。

一面性だけを見て人を判断することは色んな要素をもつ人達の可能性を無くしてしまう気がする。
そしてそれがすごく嫌かな。
インキャと断定してしまう事によって、今まで持っていた明るさを奪ってしまうみたいなことは嫌だ。

だから友達と関わる時は彼らを限定しない言葉遣いをするように心がけてる。
「〇〇って寡黙な一面も”あるんだね」みたいな。
「〇〇って寡黙”だよね”」だと限定してるし、自分の知らない彼らを知らずに終えてしまいそうだから。
自分も自分の要素を知ってもらえた方が嬉しいしね。

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