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僕がはじめてレッズを生でみた日



サッカーとの出会い

浦和生まれ浦和育ち、この地では息を吸うのと同じくらい当たり前にあるサッカーに出会うのも時間の問題だった。

5歳の時に3歳上の兄がサッカー少年団に入っていたため、毎週末試合や練習のお手伝いのために、グラウンドに行く両親に付き添っていき、グラウンドの隅っこで少年団のお兄ちゃんたちとボール蹴りをしていたのがサッカーとの最初の出会いだった。

レッズとの出会い

そんな僕も小学1年生になりサッカー少年団に入部し、やっと隅っこではなくグラウンドの中で縦横無尽にボールを追っかけることができるようになったことがただただ嬉しかった。

週末は少年団の練習、平日の放課後は友達と公園でボールを蹴るという文字通りサッカー漬けの日々だった。

そんなサッカー小僧を体現していた僕がレッズを初めて知ったのは、レッズでコーチをやられていた落合弘さんがサッカー教室のために僕の小学校に来てくださった時だった。

普段やる練習とは異なる練習が新鮮で、プロがどんな練習をしているのかをレクチャーしてくださった時は聞き耳を立てながら聞いていたと思う。その頃からレッズってどんな選手がいるんだろうと興味を持ち始め、テレビ埼玉で中継をやっているときはよく見るようになった。お気に入りの選手は点をたくさん取ってくれるエメルソン選手とトゥット選手のツートップ。

いざ埼玉スタジアムへ

それから1年が経ち、2001年に埼玉スタジアムが完成し、その年の11月10日は、人生で初めてサッカーを観戦し、そして”はじめてレッズを生でみた日”となった。

この日は朝からあいにくの雨だったが、僕の心は快晴そのもので、まさに遠足にいく前の子供のようにはしゃいで興奮していたのを覚えている。

兄と父と南浦和駅を出発し、東川口駅のNewdaysでおにぎりやらパンやら昼食を買い、当時まだ真新しかった埼玉高速鉄道に乗り換え浦和美園駅へと向かった。美園駅からスタジアムまでの子供にはちょっぴりと遠い道中で見た、真っ赤なユニフォームに袖を通したサポーター達のぞろぞろと歩いていく姿、ブルーシートの上で売られていた各国の代表チームや海外のクラブチームのレプリカユニフォーム、そして遠くに見える埼玉スタジアムのスケールの大きな佇まいは今でも瞼の裏に焼きついている。

入場すると自由席の南ゴール裏に向かった、いよいよ中のゲートを潜り抜けると、そこには青々しい緑の綺麗に整えられた芝生、真っ赤なレインコートを着たサポーターたち、そして数え切れないほどのフラッグや横断幕が目の前に広がっていた。幼心にはディズニーランドの入場ゲートを抜け、アーケードを通りシンデレラ城が見えた瞬間に似た感動と興奮を覚えた。

キックオフまでのワクワクしたひと時

ゴール裏上段あたりの席につき、しばらくその独特な熱気を帯びた、これから何かすごいことが始まりそうな予感を感じさせる雰囲気を全身で感じながら、周囲を見渡していた。

その時はまだユニフォームやマフラー、タオルといった観戦グッズを持っていなかったので、他の人が持っているのを見て羨ましく感じ、父にあれ欲しいこれ欲しいとねだっていたのを覚えている。

後日、当時のレッドボルテージで父に買ってもらうことになるのだが、この日は声と手拍子で我慢するしかなかった。

いよいよ選手発表のスタジアムアナウンスが始まり、相手選手紹介へのブーイングとレッズの選手への期待を込めた歓声の差に圧倒されるばかりだった。

かけがえのない初観戦の記憶

そこから会場のボルテージはよりいっそう高まり、キックオフのホイッスルが吹かれた。

とにかくエメルソン選手が一人だけ次元の違う世界で生きているのではないかというくらい、ぶっちぎりで速かった。

そして何よりも記憶に鮮明に残っているのが、トゥット選手の応援歌である。ミッキーマウスマーチを原曲にした歌で”お前のゴールで俺たちを、躍らせてくれよ、トゥットトゥットゴール”という小気味よいフレーズが今でも耳に残っている。後半の終了間際の時間にトゥット選手が決勝ゴールを決め、子供でも馴染みがあり比較的歌いやすいこの歌をサポーターみんなで歌ったことはこの日一番のハイライトとなった。

またこの日は、それとは趣の異なるちょっと思い出深い出来事があった。

初めての観戦ということもあり、観戦マナーを弁えていなかった僕たちは雨の中、傘をさしながら3人で観戦をしていたら、後ろに座っていた年季の入った赤色のユニフォームを着たおっちゃんサポーターから注意されてしまった。

おっちゃんあの時はごめんなさい。でもエメルソン選手が同点弾を決めた時、一緒にハイタッチして喜び合ったよね。知らない人同士でも一瞬で喜びや興奮を共有し合えるということが、スタジアムで観戦することの醍醐味だということをおっちゃんから教えて貰ったよ。

レインコートは持ってきていなかったので、その後は3人でずぶ濡れになりながらもアドレナリン全開で応援していた。ただ11月で少し肌寒かったということもあり、ハーフタイムに3人で座席後方の電光掲示板の真下にある、若干屋根があるところに移り、残りの45分間はそこで飛び続けていた。

あれから数え切れないくらいの試合を埼玉スタジアムで観戦したが、あの席とは呼べない何とも言えないスペースで見たレッズの光景は今でも僕にとってはかけがえのない思い出である。

それからの僕とレッズ

初観戦からすっかりレッズの虜になり、週末に自分のサッカーの練習や試合がない日は埼玉スタジアムへよく連れて行ってもらっていた。

2002年 2ndステージ 第6節 9月28日 清水エスパルス戦

この日も僕は相変わらず南ゴール裏でピョンピョン跳ねながら応援していた。ただあの”はじめてレッズを生でみた日”と唯一違っていたのは、父に買ってもらったレプリカユニフォーム、タオル、メガフォンを身に纏っていたことだった。それらのグッズが間違いなく僕の応援のモチベーションをさらに後押ししてくれた。そしてそんな僕の姿をプロのカメラマンの方が偶然撮って下さっており、その写真がマッチデープログラムの“Supporters’ PICS”というページに取り上げられていたのである。

ミニメガホン片手に満面の笑顔で応援する僕

あれから21年の時が経ち、久しぶりに浦和の実家に帰省したときに、この懐かしい冊子を見つけ、過去の記憶が少しずつ蘇ってきたのだった。僕のレッズの記憶の原点はここにあり、レッズに対する熱意と愛情は、満面の笑顔で応援していたこの時のまま、何も変わっていないことをしみじみと感じた。

僕もアラサーになり、つい先日一人目の子供である娘が産まれた。娘がもう少し大きくなったら、可愛らしいキッズ用のユニフォームを着せて、一緒に観戦に訪れたいと思っている。もしかしたらレッズサポーターの迫力と熱気にびっくりして泣いちゃうかもしれないが、他の見知らぬ人たちと感情を共有することの喜びを、娘にも感じてもらえたらなと思う。それが我々人々の人生をより彩りのあるものにしてくれているということを知っているから。


トゥット選手が表紙のマッチデープログラム

P.S. 僕の写真が掲載されたマッチデープログラムの表紙は、奇しくも当時僕が一番好きだった応援歌、トゥットゴールでお馴染みトゥット選手だった。



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