渇望

めちゃくちゃたのしいことがあって
それを後から「あの時たのしかったな」と思い出す

Mr.Childrenに『渇いたkiss』という曲がある
「乾いた」ではなく「渇いた」という表記なのは、
水を飲まないと喉が「渇く」のと同じように
今に満たされていない感情を表すために「渇いた」という漢字を充てている、とどこかで読んだ


たのしさへの渇き。


今が満たされていないわけじゃない。
何か大きな不満があるわけじゃない。
でも、「あの時」のたのしさは今は感じていないし、
もしかするともう一生感じられないかもしれない。


あの時が一番たのしかった、と思いながら死んでいくのだろうか?

「たのしさ」の最大値を更新し続けることが生きる意味なのだろうか?


たのしさの最大値を更新し続けるって、並大抵のことじゃない。



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