忘却とは、人に許された最大の防衛反応である。 例えばあの日の怨嗟、怨念。 全てを忘れられる人間が、人としていっとう強いように僕には感じられるのだ。 さて、話は何だったろうか。 ピン芸人のブレイクが少ない事と、昨今の個人Vtuberのブレイクが少ない事の相関などきっと皆々様には取るに足らない事であろう。 要はアレである。真に人としての成熟が為されている人間が表に出ることが少ないと言う事だ。 天才の低年齢化が激しくなるという事は、老人の需要、積み上げの需要がなくなっていくとい
生きる事と死ぬ事、揺り籠から墓場まで君と一緒になんてきっと何の意味も持たない。 現に僕は君の揺籠が落ちる事を望んでいたし、子供であるが故に稚拙で残酷にも君の殺害を試みた。 その全てのツケを払うなどと馬鹿げた妄想と澱のように溜まり続ける思考が僕には窮屈でならない。 しかし、君は理解者なのだ。この上なく。 夜、丑三つ時。安定剤として出された薬を飲む。 左脳の停止を感じる。この上ない極上の一時を味わいながら。 この文はきっと散文で読みにくいのだろう。 混濁した意識の中、考える、考え