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偽善 #65

偽善という言葉を考えるとき
宗教的、哲学的には様々な
意味があるので、ここでは、
一般に見せかけの偽善者だ
という意味で考えてみます。

善と言う言葉自体の意味が
説明しがたいので、
思惑をもって善いことをする
くらいの意味でとらえます。

人のことを偽善者だという
人ほど何もしていないという
ことがよくあります。
何か目立つことをする人への
妬みや嫉みがあるからです。

何かの行動を起こすには
勇気とやる気がいりますから
何もしない人から見たら
行動を起こす人は、
うらやましい存在です。

1円も寄付しない人から見たら
コンビニでおつりを募金箱
に入れる人の行為は、
どう映るでしょうか。

それは、募金する人の思いであって、
見ている人には1ミリも関係
ありません。同時に勝手に人の
思いを推測するのも自由です。
俺も募金しようと思ってもいいし、
俺は募金しないでかまいません。

募金箱に寄付をした行為だけが
あるだけで、誰からの評価も
必要ありません。私たちには、
小難しい善はわかりません。
いいことをしたという自己満足
で行動するしかありません。
したいからするでいいのです。

そこに偽善も真善もありません。
お金を必要としている人がいるから
寄付をする。
助けを必要としている人がいるから
ボランティアをする。
求めに応えるだけです。

偽善をどんどん積めば、世の中は
変わります。人の目や評価などは
気にすることすらありません。
自分のお金、自分の力を
どう使おうが自由です。
誰に遠慮することなく堂々と
使えばいいのです。

お金を蓄えなさい、
(使う喜びを捨てなさい)
将来のために勉強しなさい、
(今の時間を好きなことには
 使ちゃだめ)
身の程を知りなさい、
(高い希望を持つな)
などなど、無用な忠告に
耳を貸さずに、どんどん
進んでください。

お金は使ってこそ、
値打ちがあります。
勉強は、学びたいからやるものです。
身の程なんかありません。
もうこれ以上、人の自由を
奪うような言動に
振り回されるないで
生きましょう。
(和尚の独り言)

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