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わたしの小説のやり方 05(そのニ)



 前回前々回書いたように、ある「ひと組の親子」からわたしは書きはじめた。「ブルース・リー物語」という【場】によぎった「親子が旅をする」を接続させて。しかしわたしにはずっと奇妙な違和感があった。違和感の意味はわからなかった。わからないから違和感だ。ただわたしはその違和感に慣れていた。それはたぶんこれまでもずっとあった。あったのにわたしは注視して来なかった。今思うにそれは

 これはいったい誰が書いているのか

 というものだった。だから注視して来なかったともいえた。「これはいったい誰が書いているのか」といったって書いているのはわたし(山下澄人)に決まっているじゃないか。題の次に書いているのはわたしの名前だ。わたしである山下澄人が書いているとわたしは宣言している。それにだいたいそんなことをいうのは神経質すぎる。誰もくそもわたしだ。わたしが書いている。ややこしいことをいうんじゃない。考えるまでもなくそうぼんやり思ったりしながら「いやそうではなくて」ともわたしは思っていたが、面倒だから追わなかった。

 何かを演じるときもわたしはどこまでが「わたし」かわからなかった。口から出る音は誰かが書いた言葉であり、誰かに要請された動作であり、内面はそれに引きずられた。引きずられていく、と感じているのは「わたし」だが、その「わたし」は「お腹がすいたな」とか思っていた。その際のわたしの動作や雰囲気や出す音が見て聞いていた人間にどう見て聞こえていたのか、わたしはその像と音を思い浮かべていた。その間相手役がせりふをわたしに向かっていっていたがわたしはその音として相手役の口から出てくるものを字で見ていた。台本に書かれていた。このあとどうなるか知っていて、明かりが消えて真っ暗の中舞台袖へ引っ込まなきゃならないことも知っていて、次の場面の段取りも知っていた。同時にわたしは書かれた「役」の気分でもあり、「役」の気分だと観察しているわたしがいて、台本の全体の、劇なりドラマの全体の、今がいつかも知っていて、書くまでもないがこの先どうなるかの物語上の先も知っていた。しかし「実際」の未来にはわたしは気がついていなかった。
 わたしは真っ暗の舞台から落ちたことがあった。「落ちろ」と指示されていたわけではなかったからわたしは驚いた。
 わたしはある場面で暗転するのと同時に膝から崩れ落ちろと指示されていた。照明はわたしが膝を折る瞬間に明かりを消すのだ。そうなる前わたしは舞台を前にゆっくりと歩く。そして舞台の全面の端の少し手前で膝を折る。舞台の端には暗くても「ここが舞台の端だ」とわかるよう小さな赤いライトが設置されていた。わたしは顔を上に、しかし目の端でその赤い光を確認しながら歩いた。そして頃合いを見て、崩れ落ちていた、のだけどそのときだけわたしには赤い光が見えなかった。後で明かりがなぜかつかなかったと聞いた。見えない、とわかっていたのだからわたしは前へ歩くべきではなかった。そのまま歩いたら暗い客席に落ちてしまう。なのにわたしは止まらず歩いて、ここだというところで止まり、膝から崩れ落ちたらそこに舞台はなく、客席へ膝からすとんと落ちた。「すいません!」と照明の係は謝った、結構な怪我をしたのでみんなに心配された。わたしは不思議な気分でいた。わたしは明かりが見えていないのがわかっていたのに前へ歩いていた。落ちて、落ちる瞬間わたしは大変に驚いていたのだけど、そうなることも想定出来ていたはずだった。なのにわたしは歩き、落ちた。
 落ちる瞬間をわたしはよくおぼえている。やばい、と思ったわたしは目がさめたようにわたしの「ほんとう」の全体と「わたし」が一致していたことをわかっていた。死ぬときはこんなか、とそのときわたしに過ったとは思えないが、思い返すわたしにはその感触がありありとある。わたしはそれを「快感」として記憶している。

 と上のブロックを十一時頃起きて書いていた途中ピンポンと鳴るから戸をあけたら警察官がいてこう聞かれた。
「午前四時頃何か物音を聞いてませんか」
 寝ていたから
「寝ていた」
 とわたしはいった。だから聞いてない。わたしは耳栓をして寝るからなおのこと聞いてないというか聞こえない。しかし耳栓は火事のとき危ないな、と瞬間過ったがそんなことはいわない。
「何時頃からいましたか」
「九時ぐらいにはもう寝ていました」
 洗濯機を回していたからわたしの後ろからその音がうるさい。警察官はじっとわたしを見ている。
「お名前伺ってもいいですか」
 名前をいった。
「ヤマシタ。どんな字ですか」
「山に、下」
「下のお名前は」
「スミト」
「どんな字ですか」
「サンズイにノボル」
 洗濯機を止めてこようか。
「サンズイにノボル?」
 ピンと来ないらしい警察官は書いてみた。
「ああ」
 そんな字があったと警察官は思った。
「に、人」
 と、わたしがいった。
「なんと読みますか」
 え。いったじゃん、と思いながら
「スミト」
 とわたしはいった。
「電話番号もいいですか」
 と警察官がいうからわたしはいった。飛行機の切符を機械から出すとき電話番号がいる。何度もそれをするからわたしは自分の電話番号をそらでいえる。そんな機会でもなきゃわたしが自分の電話の番号をおぼえているはずがない。
「何かありましたらご連絡させてもらうことがあるかもしれません」
 と警察官がいった。縁の目立たないメガネを警察官はかけていた。それが「いい」と思って選んだのだメガネを買うとき警察官は。ガチャガチャと廊下の角の向こうで音がした。見ると警察官とは少し違う格好の数人がいて、わたしは「鑑識だ」と思った。そこらではじめてわたしは
「何があったんですか」
 と聞いた。
「詳しいことはちょっと」
 と警察官がいった。
「殺人事件が」
 というのを期待していたわたしは少しがっかりした。教えてくれてもいいじゃないか。

 わたしは「ひと組の親子」を書きはじめたときにはもう「それを外から見ている」ものがいることを知っていたとしか思えない。しかしわたしがそのことに気がつくのは書きはじめて何年も経ってからで、その鈍足に自分で驚くが、それがわたしの速度らしいから仕方がない。葛飾北斎は九十ぐらいで死ぬとき、あと十年くれ、といったらしいが、若いときから北斎は立派な絵を描いているからわたしとは違うが気持ちはわかる。
 誰かが「ひと組の親子」を外から眺めていたのだ。だからわたしは


 二人は前の晩は九時ぐらいに寝て十一時すぎに起きた。


 などと書いていたのだ。しかしわたしはその「誰か」に気がついていないからこの書き方は変だと思って、


 前の晩は九時ぐらいに寝て次の日の昼前の十一時すぎにぼくらは起きた。


 と書き直していたのだ。そうしながらしかしわたしには、誰かがそれを見ている感覚がずっと付きまとっていた。
 そしてわたしは今気がついたのだけど、昨夜はよく寝た。九時には寝ていて起きたのは十一時頃。起きた時間は警察官には話していないが九時には寝ていたとわたしは話している。「ひと組の親子」と同じ時間だ。だから何だだが、いつもはこんなには寝ない。いやしかし変だ。九時に寝てなどいななったんじゃないか。テレビでも見ていればあのときは起きていたとわかるがテレビは見ない。調べようがないが九時にここにはいたが寝てなどいなかったんじゃないか。ならどうしてわたしは九時には寝ていたなどといったのだろう。嘘をついたつもりはないが嘘だ。なぜだ。まさか犯人はわたしなのか。何の事件か知らないけれど。

 わたしはオカルトの話をしたいのじゃない。「わたし」の膨大な広がり、もしくは無意識、のことを書きたいのだ。小説はそれを使って書く。書いてからそれが何なのかをわたしなりに知り、推敲する。

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