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わたしの小説のやり方 番外

 担当編集者の許可が出たので新作の1章と2章を載せます。まず1章



『わたしハ強ク・歌ウ』
 
 
Be water my frieeeend


1
 起きたら寝る前に読んでまくらもとにおいていた本がなくなっていたからキティーを読んでいた。キティーというのは「アンネの日記」のほんとうの名前でアンネは日記にキティーという名前をつけていた。そういう名前の友だちがいたのでも、架空の誰かというわけでもなかった。日記が、キティーだった。本の名前はだからほんとうは「アンネの日記」じゃなくてキティー。それでもどうしても「アンネ」と「日記」と入れたいのなら、アンネに日記を書かれたキティー。もしくは、アンネに日記を書かれた、とされている、キティー。
 アンネは家族と隠れ家で暮らしていた。アンネたちはユダヤ人で、ユダヤ人というのはユダヤ教という宗教を大事にする人たちのことで、ユダヤ人を探して捕まえて殺していたナチスに見つかれば殺されるからそうしていた。ナチスが殺していたのはユダヤ人だけじゃなかった。わたしがいたらわたしはばかだから殺された。
 隠れ家には家族以外の人間もいた。ペーターもいた。ペーターはアンネの恋人だった。どの恋人だってそうだけど最初から恋人だったわけじゃなかった。ペーターがはじめてキティーに出てきたのは一九四二年八月十四日。
もうじき十六ですけど、ちょっぴりぐずで、はにかみ屋で、ぶきっちょな子です。あんまりおもしろい遊び相手にはなりそうにありません
 とアンネは書いていたけど一九四四年四月十六日のキティーに、
きのうの日付を覚えておいてください
 と書いて、
ふと気がつくと、彼にキスされていました
 と書いていた。キスされたのは、というかしたのは、一九四四年四月十五日で、彼というのはもちろんペーターで、キスする前は二人でペーターの部屋にあったソファベッドに座っていた。部屋は屋根裏部屋で天窓から隣の西教会が青く見えた。西教会の鐘はいつもアンネに聞こえていた。西教会の鐘はひとつの鐘がカランカロンと鳴るというよりはがらんごろがらんといくつもの鐘がぶつかり鳴るようなやつで、わたしは窓から少しだけ顔を出したアンネの写真を見たことがあった。アンネは少し笑って外を見ていたことをわたしは覚えているけどわたしの記憶はあてにならないから、だからわたしはこうして書くのにその写真のことは書いてない。
 ペーターの腕がアンネの肩にまわされてアンネがいった。
「もうちょっと向こうへずれてくれる? そうすれば、たえずこの戸棚に頭をぶつけなくてすむから」
 アンネはペーターの脇の下から背中へ手を入れた。ペーターがアンネの腰に手を回し引きよせた。アンネの左の乳房がペーターの胸の横、あばら骨のあたり、ペーターはあばらでアンネの乳房を感じていた。アンネの乳房はまだ小さかったけどやわらかくてあたたかかったからペーターはぼっきしていた。ペーターはアンネの頭を自分の肩にもたせかけ、鼻を近づけ髪のにおいをかぎ、自分の頭もアンネの頭に寄せかけこすりつけるようにした、ぼっきしたまま。五分ほどしてアンネがまっすぐ座り直すとペーターはまたアンネの頭を寄りかからせて、しつこい、頬や腕をなでさすり、髪をもてあそび、その間ずっと二人の頭は触れ合ったきりでいた。はじまったのは八時ごろでアンネが立ち上がったのが八時半ごろ。アンネが部屋を出て行こうとしたときペーターがキスをした。その四ヶ月後の一九四四年八月四日の午前十時から十時半の間にナチスが来て二人は捕まえられて別々の場所へ連れて行かれて死んだ。そのときのことはアンネは書いていない。
 キティーは一九四四年八月一日で終わって一九四二年六月十二日から書かれはじめた。六月十二日はアンネの誕生日で、十三歳になったばっかりだった。
あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。
 わたしは昔はずっと話さないでみんなの話を聞いているだけだったからみんなはわたしが何かいうとは思わなかった。何もいわないからわたしは何も思っていないことになっていたのでみんなは秘密でも何でもわたしにだけ話した。いつもいたのはヨベルとマサチキとハシノトとモノミソとツスィとトゥスィクゥ。わたしが何でもノートに書くようになってからはみんなはわたしにあまり話さなくなったがトゥスィクゥは違った。トゥスィクゥはわたしが書こうが書くまいが話しかけて来た。だいたいは先生やみんなの文句。読んだ本の話。ツスィはわたしが書いていると知ってからそれまで以上に話しに来るようになった。ツスィはよく夢を見た。そしてそれを書き残していた。そのときでもう七冊のノートがあった。今も書き残していてわたしに話したりSNSに書いたりメールして来たりする。わたしが書くようになってから突然話しかけて来るようになったのはヨベルでヨベルは小説を書いていた。とてもきれいな小さな活字みたいな字でヨベルは広告の裏や白い紙にえんぴつで書いていた。ヨベルは歯のないおじいさんとにわとりを飼ってそのにわとりがうんだ卵を売って暮らしていて「わたしはじいちゃんのにわとりがうんだものだ」とヨベルがいっていたのを「じいちゃんにわたしはにわとりをうんだもの」とわたしは聞き間違えて、しばらくわたしはじいちゃんによりそうヨベル、腕を組んだ、ヨベルがうんだにわとりを見る歳の離れた夫婦、を思い浮かべていた。二人がキスする夢も見た。キス以上のことはしなかった。
 アンネがもしまだ生きていたら百をこえていて、街から離れた田舎の大きな家でくらしていて、近くに森があった、孫どころかひ孫やその子どもたちに囲まれて柔らかくて白くて甘いケーキを食べていた。外は静かでアンネは歯がなくなってずいぶんたっていたから歯のないことをアンネはおもしろおかしく小さな子どもたちに話したりした。「ここに」と入れ歯をはずしてピンク色のはぐきを見せて
「昔は歯があった」
 おそるおそる子どもたちは入れ歯と歯ぐきを見た。アンネは子どもたちによくお話をした。天気が悪くて、とくに気圧の影響でアンネの脳がぼんやりして頭がよく動かなくてもアンネには何冊ものたくさんのキティーがいたから適当なキティーを探して読めばよかった。キティーは書き続けられていたが新作より隠れ家にいたときの話が子どもたちは好きだった。結婚していたアンネが浮気をしたときの話も好きだった。アンネの結婚相手は残念ながらペーターじゃなかった。ペーターとはもう長いこと会ってなかった。どこでどうしているのか。生きているのか死んだのか。外国で家族と暮らしているとアンネは聞いたことがあった。作家になったとも噂で聞いたことがあったがうそだとアンネは思っていた。あいつには作家に大事な根気がない。しかしその噂はほんとうだった。ペーターは非常に読みづらい「ぜんえい的」な小説を書いてごく一部の人には熱く受け入れられていたがそんなものを書くからまったく本は売れずで、だから貧乏ではあったが幸運な人生だとペーターは感じていた。アンネのママとパパはとっくに死んでいた。二人ともとても長生きをして死んだ。お姉さんのマルゴーはアンネの家にいた。マルゴーは二回結婚しかけたけど結局しなかった。子どももいなかった。最近は寝たきりで散歩に出かけたりはしなくなっていたけどよくしゃべるし食べたしよく出した。その世話はアンネの娘がした。アンネのハズバンドのアントニーは死んだ。アントニーが生きていた頃のアンネの浮気の相手はヨーゼフで羊飼いだった。ヨーゼフはのんびりとした大きな犬みたいな人だったからアンネはときどきイライラしてヨーゼフにヨーゼフの奥さんのハイジの悪口をいったりした。
「どんな悪口?」
「変なにおいがする、とか」
 とアンネが意地悪な顔をしていうとみんな笑った。
「髪飾りの位置が変、とか」
 笑わずに自分の髪飾りの位置を直す子がいた。
「大きな声で話しすぎ、とかね。ハイジは品がないの」
 だけどやっぱりみんなが大好きだったのは、一番はやっぱり隠れ家の話で、なにしろアンネのする隠れ家の話は、それをするとき必ずされるナチスという悪いやつらの話は誰がするよりおもしろかった。
「ナチスは悪いやつらだったからパパもいたしママもいた」
「うそだ!」
 どの子かがいった。
「ほんとうよ。好きな誰かもいたし子どもだっていた。ご飯を食べに行っておいしかったらお店の人においしかったよありがとうまた来るねといった。犬をかわいがった、猫をかわいがった。ある人なんか猫とねずみをかっていて、二人を同じ箱に入れていたから二人はとても仲よしでくっついて寝ていた」
 ある人というのはしかしアンネの創作で、小説に書かれた人間で、名前はカールといって、カールはナチスで、ナチスのカールが主人公の小説をアンネは書いていた。タイトルはカール・アッペンバッハに起きた人間が思いつく限りの悲惨。そこでカールは猫とねずみを飼ってかわいがっていた。それを書いたのはアンネが四十すぎで、キティーにアンネは、
その頃がわたしの最盛期だった
 と書いていたけどそんなことはなかった。五十代になっても六十代になってもアンネは精力的に書いたし、何より七本の中長編を書いた七十代こそがアンネの最盛期だった。アンネは完成したものだけで十四の小説を書いたけど小説は本にはならなかった。いくつかの随筆は本になった。あのキティーのアンネということで宣伝されて、だけどキティーほどは売れなかった。キティーが、というよりもキティーにまつわる人々、アンネの父やその仲間が政治的だと批判されていたということもあった。アンネはキティーにこう書いていた。
あの体験を書き、それが出版され、世界中の人々に読まれたことで、お可哀想なアンネとわたしは方々で同情されひととき大事にされたが、わたしはキティーが正当に読まれていたとは思わない。キティーはお可哀想な女の子の話なんかじゃない! ある人は「ずいぶん手の込んだ政治の書」などと意地の悪い批判さえした。残念なことだけど利用した人もいた。しかしまぁだけどキティー。あなたが出版されたことでわたしのひとまずの願いは叶えられた。受け取り方は人それぞれ。それぞれいいたいことをいう。豊かな世界ってことね。豊かであるということはタフでいなければならないということよ。
 子どもたちに話していた頃のアンネは自分がかつてした創作なのか今創作しつつのことなのか見たことだったのか聞いただけのことだったのかの区別がもうぼんやりとしていて、あらゆることが混ざりあい共鳴した、ひとつの人間としてもっとも豊かな状態にあった。
「カールはママのこともパパのことも大好きだったし、何より誰にとっても良き隣人だった」
「ナチスなのに!」
「そうよ。だからあなたたちのことも絶対にそんなことはしないとわたしは考えていない」
「そんなことって?」
「人間を捕まえて殺したりすること」
 それはナチスの話をしたとき必ずアンネがいったことで、そこで子どもたちはくすくす笑った。それから子どもらをアンネはじっと見て、子どもらに身をかがめて目を細めて、冗談をいうときと同じ体勢をとって、一番大事なしめくくりみたいに小声でこういった。
「ここからは絶対に内緒よ」
 子どもらは真顔で聞いていた。もう笑う子はいなかった。
「何もわたしは思い返してなつかしいとは思わないけどわたしはあのナチスの服、窓の隙間からその服を着た人たちを見たらお腹が痛くなるくらい怖かったあの黒い服がね、ときどきゾッとするくらいなつかしい。そして抑えつけられないぐらい透明な、純度の高い、殺意がわく」

 キティーに飽きてお腹がすいて寝る前に読んでいた本をもう一度探したけどやっぱりなくて、パンを焼いて蜂蜜を塗って食べていたらママが部屋から台所へ来た。おはよう。ママはほんとうは今よりずっと前に起きていて布団の中でノートを書いていたのをわたしは戸のすき間から見ていた。ママは昔からいつもノートを書いていた。わたしがノートを書くようになったのはママの真似で残念ながらアンネじゃなかったとネルは思い込んでいたけど、とママは書いていた。ぼくがネルにムェイドゥの残していったキティーをすすめてからずっと読んでいたネルにあなたも書いてみたらとぼくがいったのだからぼくの真似というよりはネルはやっぱりキティーに影響されて書きはじめたというのが正確で、ぼくの真似というのはネルの思い違いだった。
 ママのパパも残されたものは少なかったけど書いていたし、もっと少なかったけどママのママも書いていたから、うちにはたくさんの書かれたノートがあった。部屋のあちこちのすみや壁ぎわ、押し入れの中に箱に入れられ重ねられていた。あまりにたくさんになるからときどきママが捨てていた。古いやつから捨てると古いやつが全部なくなってしまうから「適当に間引く」とママはいっていたけどそれがなかなかむつかしい。読んで吟味してからとかやりはじめると読みふけってしまい結局どれも捨てられないから目をつむって、手で選んで、捨てる。捨てなきゃいいとも思うけどせまいしね。そうして残ったものをわたしは読み返し読み直し書きうつしつつ書いている。
 パパは、ムェイドゥはノートは書かなかった。本はたくさん残していた。部屋にある本はほとんどムェイドゥの残していった本だった。本にはいくつもの折り目や鉛筆で引かれた線があったが書き込みはなかった。それを頼りにわたしはムェイドゥが残していった本をずっと読んできた。ママは本は捨てなかった。たまに捨てていたことはあったけどそれはママが自分で買った本かわたしが買った本でムェイドゥの本じゃなかった。
「海でも行こうか」
 洗面所からママがいうのが聞こえた。わたしはびっくりした。わたしたちの暮らす星ではそのときびょうきがはやっていた。びょうきはずいぶんこわいらしく、たくさんの人間が、とくに外国では「バタバタと死んでいる」とテレビはいっていたけど死んだ人をわたしは見たことがなかったから「ただの風邪だ」「これまでだって風邪で人は死んでいた。気にしなかっただけだ」という人もいて「そもそもその風邪とは何だ」という人もいて「外へ出るな」といっていて、「マスクマスク」といっていて、しないで外を歩くとにらまれた。先生も「来るな」といっていたからわたしはセンターへは行かず家にずっといた。「それにあなたは」と先生はいった。
「薬も飲んでない」
 飲めばびょうきがうつらないとされていた薬がびょうきがはじまってから少ししてからはやっていた。外国から来たその薬は飲むのは一回だけではだめで二回飲むことになっていて、だけどすぐに三回になり、四回になり、五回になり、六回になり。七回とか。たくさんの人が飲んで熱を出した。タカタカちゃんも一度だけ飲んだら熱を出した。死んだ人もいるという噂もあったとタカタカちゃんがいっていたとママは書いていた。「噂だ」と強くいう人もいた。飲めという命令があったわけではなかったから人のいうことを聞かないママは飲まなかったし飲まなくてもいいとママがいったからわたしも飲んでなかった。
「飲まない理由でもあるのか」
 と先生はいった。ママにそう書くと「とくにない」といったからわたしが先生にそう書くと先生は薄い顔をした。わたしは一度風邪を引いた。検査はしてないからはやっていたびょうきか風邪かはわからなかった。検査はしなくていいとママがいった。検査なんか、とママはいっていたとわたしは書いていた。検査なんかしなくていい。もちろん病院も行かなかった。行ったところで熱を出して赤い顔をしていたわたしは外で待たされたし、検査をして陽性か陰性かわかったところで「家で寝てろ」しか医者にはいうことはないし、いわれなくてももう家で寝ていたし、寝てたらなおる。わたしはママのいいなりだった。いいなりということはなかった、逆らうべきときは逆らった、そう書いていたのはママだ。ネルが本気で逆らうとぼくは勝てる気がしなかった。何しろぼくよりネルは大きい。大きな大人になったことがぼくはうれしい。
 喉が痛くて咳が出て熱が出てだるかった。風邪かもしれなかったけどいつまでも咳が続いたし喉が痛くて死ぬかもしれないこれはあれだ絶対にはやりのびょうきだとわたしは思った。風邪と何が違うとママはいったけどそのときは逆らいたくても声が出なかった。鼓笛隊、とわたしは書いた。ぎゃくたい、と書くべきだった。鼓笛隊なんて字をわたしは知っていた。少しだけやっていた。トゥスィクゥに誘われてした。トゥスィクゥはドラムを叩いていた。先輩に教えられても「はい」とトゥスィクゥはいわないからよく怒られていた。わたしはタンバリンだった。今もタンバリンはすぐ横にある。叩いたら寝ていたごえもんが起きた。ごえもんは十八になる猫だ。「絶対来ちゃダメ」と先生はもちろんいった。来ちゃダメも何もそもそも行ってなかったのだけど先生はそういった。薬を飲んでいればよかったとわたしは思った。でも治った。だけどこういしょうで苦しむ人もいるとタカタカちゃんがいっていたからわたしは運がよかった。こじらせただけだとかいうママにはタカタカちゃんはそっちの話はしなかった。ママは一回も何ともなかった。微熱が出たり鼻がぐずぐずしたり何となく喉が痛くなったりはしたが寝込むほどではなかった。ママの仕事は止まっていた。仕事場のタカタカちゃんは必ず再開すると社長はいっているといってくれていたけど潰れてしまうかもしれなかった。ママに来ていたタカタカちゃんからのメール。
今朝もぼんやり考えていたんだけど、夜寝て朝起きて、毎日こうしているけどこれはいつか止まる。そしてまたはじまるのだとしてもどうはじまるのか、どう終わるのかをわたしたちは知らない。わたしたちの知らない時計ですべては動いてる。それまで宇宙のいいなりで続けるのも癪に障るから自力で止めてやろうとするけど怖くて寝ちゃう。寝たら起きちゃう。仕組みからは出られない。国からお金がもらえるから仕事場は潰されなくて済むみたいだけど社長はずるいことをしている気がするっていっていた。正直者は悔しいね。とにかくグッドニュースを小さなね、それを見つけるのがいい目よクィル
 
 海と空のことをわたしは考えていた。確かにあそこならいいんじゃないか。人はいないだろうし、いたとしてもいるのは海と空だ。広いし風も吹いている。マスクはいらない。わたしは居間から洗面所まで歩いて、七歩。ママの横に立った。鏡の中にママとわたしがいた。鏡に完全なる見た目は大人が二人いた。もう親子には見えなかった。背はわたしの方が高かった。わたしがママの背を越したのは十八のときだった。わたしのサイズのわたしの設定は百六十とかなのに実際には百八十よりまだ少し大きいママよりわたしは大きかった。
「泊まりがけとかで」
 ママは確かいった。海、泊まりがけ、わお、とわたしは確か思った。そのあとわたしたちは海へ向かうのだけどその前後のことを書いたノートが手元にない。「確か」を二度続けたのにはそうした理由があった。ここをわたしはわたしのあてにならない記憶で書いている。
 泊まりがけと聞いたわたしは二泊ぐらいするつもりの荷物を用意してママと部屋を出ながらママとママのパパが部屋を出たときのことを思い出していたはずだ。というのもママとママのパパはそのときの様子、二人が部屋を出るまでと、出るときと、出てからのことをくわしくノートに書いていて、わたしはそのノートを海へ出る少し前、昨日じゃなかった、に読んでいたからで、そのノートは今もここにある、だからわたしはわたしたちがどう部屋を出たのかと、ママとママのパパがどう部屋を出たのか書かれていたことを使ってていねいに、重ねるように書こう、書きたかった、なのに肝心の! わたしたちのことを書き残したものがなかったからそのときのことをすっかり忘れてしまって、しまいには思い出しもしなくなって、何十年も経って、ママも死んで、ムェイドゥも死んで、それでもあれこれ突然思い出したのはムェイドゥが残していたサミュエル・ベケットという人が書いたモロイという本を読んでいたときだった。モロイは人間の名前。
 わたしはその本がなかなか読めなかった。本は小説で、ムェイドゥにあちこち線が引かれて、折り目が入れられていて、そこを頼りに読めばよかったし、字は読めたしむつかしい漢字があったわけじゃなかった。モロイはこうはじまっていた。
私は母の寝室にいる。
 私というのはモロイ。だけどモロイはそこへ、母の寝室へどうやって来たのかをおぼえてなかった。なのに別のこと、町はずれの、田舎の、野原、丘がいくつもある、雌牛がいる、そういう場所にいたことは思い出せて、そこからずるずる思い出していくのだけど、思い出しモロイは書いていたのだけど、そういうふうに書かれていたのだけど、だけど書いたものをモロイと名づけてそのモロイが書いたように書いていたのはベケットでモロイじゃなかった。アンネは日記にキティーと名前をつけていたけど書いていたのはアンネでキティーが書いていたとは書いてない。
 わたしは少しずつ少しずつ何年も、モロイを、何年どころじゃなかった、十年とかもっとかかって読んだ。二章になったらジャック・モランという同じ名前の親子の話になった。どっちの名前もジャック・モラン。『モロイ』はジャック・モラン親子の話に突然変わったけどモロイが消えてしまったわけじゃなかった。ジャック・モラン親子はモロイを探しに旅に出る。モロイを探しに二人で家を出る。そこでわたしはようやく、まさしくようやく、子どものママが書いていた、まだ生きていたママのパパも書いていた、ママとママのパパが部屋を出たときのことを思い出し、わたしとママが部屋を出たときのことを思い出した。

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