山下ゴム男が読んだ本 -南総里見八犬伝 四-


読了日: 20220115

船虫の台詞に
一年三百六十日、口を開きて笑ふ日は、いくばくもなきものなるを、…
とあった。
現在も似たことを言う人がいる。人間は変わらないんだなぁと思った。

雛衣の自刃の不条理に腹が立って仕方なかった。角太郎、情けなし! 雛衣可哀想すぎ!!

雛衣の最期はこうだ。自ら腹を掻き切った彼女は、

大腸・小腸溢れ出て…「良人の為に、功ありといはる丶事、妻たるもの丶面目なり、歓しや。」…雛衣は、持る刃を投捨て、南膜とばかりに合掌の、心神みだれぬ烈女の終焉、忽地はたとうち俯せし、そが儘息は絶にけり。

となる。見事だ。そして哀しすぎる。伏姫の最期を思い出した。

虎は人を殺してもすぐには食べないそうだ。死人の上をおどりこえて睨めば、死人は立ち上がり帯を解いて衣服を脱いだ後、また倒れるという。虎はそうして赤裸になった死人を食べるとか。

猫が死人の上をおどりこえれば、死人は立って徘徊する。その死人が水を飲めば百人力を得るが、棕櫚の箒で打つとまた倒れるらしい。

闘戦数刻更闌て、疲労果たる逸東太は、前後もしらず臥たりける。←船虫と交わった逸東太を馬琴はこう書いている。現代の言いかたと変わらない。

第67回までで大角(角太郎)と現八の物語は終わり、第68回からは犬塚信乃が描かれる。(第67回の最後に新芽山の厄難以降の信乃が簡単に触れられ、甲斐州で鉄砲で撃たれる(実際は衣服をかすめただけ)ことが記される。)

木工作の台詞、
今茲は夏の閏にて、今は十月の季ながら、節は十一月の中を過たり。
←閏月がどこに入るのか、私は知らない。勉強したいと思った。

木工作が浜路を信乃に妻せようとしたこと、信乃の許嫁浜路の霊が木工作の娘の浜路に乗り移って信乃にこの浜路と夫婦になるように頼んだこと、そして信乃は友人たちと会ってなすべきことをなした後、そうすると答えたこと、これらについては信乃は恥じて、ゝ大、照文、道節に語らなかった。そしてその後、浜路が里見の若殿の五女であることが判明するのだ。浜路は浜路姫と記述されるようになり挿絵にも五の君と書かれる。浜路は大殿、若殿、若殿の正室に甲斐での話をするが恥ずかしく思って信乃や浜路の霊のことは話さなかった。ゝ大も、浜路姫と信乃との関係にについては思いもよらなかった。浜路と信乃の関係はどうなるのか? 気になって仕方がない。

ところで第七十三回は浜路姫が安房に帰った記述の後、毛野を探す犬田小文吾の話が続けられる。

第七十六回には小文吾の目が見えるようになったとの記載の後、「不題話表」とあって犬川荘介義任(いぬかはさうすけよしたう)の話が続けられる。

自らの哲学、信念に基づいて犬川荘介、犬田小文吾を救った稲戸津衛由充(いなのとつもりよりみつ)は何と荘介の亡き父の弟子だった。いい話だと思った。

第八十回には「八士の随一、犬阪毛野胤智(いぬさかけのたねとも)」と記述され、やはり胤智は超強いんだ、と思った。

秘蔵の玉は……只母の胎内より、握りて生れたりけるは、犬江親兵衛のみなりとぞ。
と荘介が胤智に教える(第八十二回)。
伏線かなと思った。

小文吾の台詞、
「…初は怨敵、後は親愛、日を同くして談るべし。」
現在の漫画の構成と等しい。

これが優れた人の生き方だ、と涙が出そうになったのが胤智の以下の台詞。
「里見殿の仁政武徳、伏姫上の孝烈義俠、この余も忠臣義士節婦の、那行状を伝聞ては、心裏恥かしきこの身の不肖、親にはいまだ孝ならず、友にも信を疎にせば、犬士の屑といはれなん。…」
そして胤智は一人志を果たすために去っていく。

物語を愛するとともに登場人物を愛する読者の手による八犬士の歌。

※追記
20220205 に山下ゴム男が遊んでいるゲームで犬阪毛野(犬坂となっているが。)が出た。超嬉しかった。

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