山下ゴム男が読んだ本 -南総里見八犬伝 八-


読了日: 20220613

●馬琴は、京の場面なくしては大小説たり得ない、という意味のことを書いていた。それはじわじわと僕の胸中に浸透して、今では僕は馬琴の創作態度を尊敬の気もちで仰ぎ見ている。

●画中の虎に眼を点じたため虎は画を脱け出した。
親兵衛は両眼を射抜いてその虎を倒し、射た矢は抜かずにいた。
眼を射ることで虎は力を失い、矢を抜くと虎は画中に帰ると考えたからだ。
親兵衛は何でこういろんなことを見抜けるのだ。羨ましくて仕方ない。

●神機妙算

●京に留めおかれる神童犬江親兵衛仁の孤独のようなものを感じた。それは特に彼が虎退治に向かう場面で感じられた。寂しいと書かれていないどころか、作者が意図しているとも思えないのだが、その孤独は確かに物語の中にあった。
物語というものの力を改めて感じた。親兵衛の孤独は、大きなうねりの中にある、仕掛けを超えたものなのか仕掛けの隙間にぽっと現れ出たものなのかはわからないが、出来事も、人物の描写も、行動の説明も、思想も思考も、根底に流れる哲学も、すべてそこにはつながらない、神さまの置き土産のようなものだった。
(一読者の一時の私見)

●この日甚(いか)なる風の吹きてや、…

●惑ひを釈きね、いかにぞや。→謎解き

●説客


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