山下ゴム男が読んだ本 -南総里見八犬伝 七-


読了日:  20220510

曲亭は中国の山の名で、『漢書』の「巴陵曲亭の陽に楽しむ」により、馬琴は小野篁の「才馬卿に非ずして琴を弾くとも能はじ」(『十訓抄』)にちなむものらしい。

南総としたのは、「なほ三浦四十余郷あり。因て南総といふときは、その地広大に相聞えて、唯上総にのみ限るにあらず。」ということのようだ。

第百十七回にて「八房は、毒婦玉梓が後身」と記される。「狸児にも亦玉梓の、余怨まつはりたりけるが、是のみいまだ得脱せず、」とのこと。

武・総両国の都会にあなれば…
・・鼻と喚なす出崎あり。
言前条に及びしかば…
略談
益なき辞譲に時を移さば、不便にこそ候はめ。
片寄て席を譲られたり。
浄西の、在りし形貌を顕し示しゝ、亡魂にもやありけんかし。
手の舞足の踏ところを、知ざるまでの歓び
族を別ち尊卑を知るは、氏と姓にしくものなきに、…
仏の教は、塵世を、脱れて後なきを本意とす。
名利を欲せず、子孫を思はず。
古の有道者は、人に送るに言をもてす
賤卑奴才の癖なれば、恨て水路のはたらきに、身を入れず候はゞ、おん為宜かるべうはおもほえず。
亜聖たる顔回
その面框凡庸ならで、咸悪相なりければ、…「他們が火家に、あらずや」

第百二十七回でついに八犬が具足した。親兵衛が「小父公はいづれに候ぞ」と言い、小文吾が「こは大八か、聞しより、思ひしよりも大人備て、あはれ男になりけるよ」と返す。感動した。

すごいのは八犬士ではなく伏姫だと思うようになった。

第百三十回の終わりに八犬士は千住河原より安房に向けて船出する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?