山下ゴム男が読んだ本 -南総里見八犬伝 九-

読了日 : 20220727
●北斎は初め馬琴の作品に挿絵を描いたが後にはまったく描かなくなった。凝り性で自信が強く覇気に富んだ北斎は、馬琴の小うるさい注文や要求に従わなかったそうだ。
●馬琴の潤筆料は当時の最高額だった。
●古昔の文人才子の、はい史物の本を作り設るに、必古人の姓名を借用して、胡意其事を異にす。
●第百五十五回の妙真が軍役に入るくだりなど、人間をよく描いているなあと感心した。
●「…和主は、臥間か、叫子か。」と問ふを餅九郎聞あへず、「其は問るゝまでもあらず、手入らずなれば、叫子にせん。…」←可笑しくて思わずにやけた。
●登場人物は妙案を提示されると、それに更に一工夫を加えて返す。卓越した論に、更に一つ卓越事項を上乗せしてまとめる。
●はい史小説の巧致たるや、よく情態を写し得て、異聞奇談、人意の表に出るに在り。
●なんと悲しい、と思ったのが馬琴の以下の記述。(長く書き年をとったので)「其折則硯の余滴に、戯墨の足を洗まく欲す。筆硯読書皆排斥して、徐に余年を送るに至らば、静坐日長く思慮を省きて、復少年の如くなるべし。」僕は馬琴を愛する。
●妙想
●百筮百中
●雨降山(あぶりやま)[一名大山]
●兵は詭道
★物語が精彩を欠くようになった。それまでもそう思っていたけれど陸戦を記述する巻で強く感じた。
展開や叙述が単調になった。生物としての馬琴の終焉が近づいたことが最大の原因だと思う。苦しくて悲しい。
でもその後の水戦の記述はさすがだ。長期間に渡る腹案だったのではないか。それでも以前の巻に比べれば、各エピソードに数段落分の粘りを欠くのだ。
●扇谷朝寧を蘇生させれば道節が腹をたてるだろうけれど、と現八、親兵衛らが話すところが面白かった。
●礼に始り乱に終る。
●第百七十二回の終わり、音音がかっこよすぎてしびれた。こんなにかっこいい老媼、他のどんな物語でも語られたことないのでは。
●一朝の怒に其身を忘るゝは、是君子の慎む所、小人の悔る所なり。

↓ いろんな場所で読んだ『南総里見八犬伝 九』


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