山下ゴム男が読んだ本 -南総里見八犬伝 十-

読了日 : 20220915
★南総里見八犬伝を読み終えた。
その間に他の本も読んだけれど、約一年かかった。
読みやすく面白く大したストレスなく頁をめくれたので、源氏物語を読み終えたときのような充実感はない。
感想は色々あるが、ここでは八犬士の中で犬坂毛野胤智がぶっちぎりで好きだ、と叫ぶにとどめる。美女に変装できるくらいの顔立ちをもちながら八人の中で断トツの変人、他の犬士たちから知恵袋と呼ばれ、卓越した軍師をつとめられる才覚があるにもかかわらず、徹頭徹尾脇役を続ける犬坂に、僕は羨望と共感を覚える。
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源氏物語を読んだのは二十代の前半で、読もう読もうと思っていたとき、長い黒髪の才媛とお酒を飲む機会があった。ブラウスのボタンを一つ余計に外した才媛は僕にこう尋ねた。
「源氏物語の女性の中で誰が一番好きですか?」
僕は、
「ツキナミダケドムラサキノウエ」
と答えた。五十四帖のすべてを読んでいるわけではないというレベルではなく、最初から最後までろくろく読んでいない状態でこんな答えをするなんて図々しい限りだ。思い返すと恥ずかしい。
もし今あの才媛から同じ質問をされたら、
「魅力的な女性は何人もいるけれど源氏物語の女性と言われて真っ先に思い浮かぶのは六条御息所です」
くらい答えるだろうか。でも、あのときの僕も実はそうだったのだ。六条御息所は男が幸せにしてあげたい女性ナンバーワンだとずっと思っている。
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前板にいふべきを漏したれば…。
…を訴まつらん為に、憶ず多弁になり候き。
身の非を飾るに似たれども、…。
一隊の長の後(しり)にこそ候なれ。
(仁義は)雲と水との如し、切れども切れず、払へども去らず。
な思ひ屈し給ひそ。
応て又多弁せず。
短き筆に、細写すべくもあらず、
枉て愚意に従ひてよ。
●終わりに近づくと犬士たちの日常や談笑が多くなる。戯れや平穏、平凡が増える。その場面が、記述が愛おしい。
●・・・が媒酌を願っているがなお急ぐべきは犬士らの婚姻、のような膨らませる書き方。
●八士八女の縁結びのやり方を説明した義成は、「・・こも天縁といひつべし。縦些の過不及ありとも、誰にか訴誰をか怨ん。這義いかに。」と言う。おかしかった。その後、親兵衛(十歳)は年齢的に「結髪の義は承まつるべし。婚姻合きんの大礼は、御猶予をこそ願しけれ。」と訴える。義成の答え、「・・明春の婚姻に、汝一人を漏しなば、汝の妻たらん者、必や怨むべし。娶りて後十七歳まで、閨房を倶にしぬるとも、また倶にせざるとも、其は我知る所にあらず。」には笑いを禁じ得なかった。
→十七歳になるまで枕を並べて眠ることはなかった。親兵衛が新婦を迎えた夜、浜路との間の疑いを肯定する人も出てくるという理由等からした要望に対し、妻の静峯姫は、「夫婦は一世の恩愛なるに、なでふ添臥をいそぐべき。」と答える。感動した。
・君子は周くして党せず、小人は党して周からず…。
・初世の八犬士は、其終詳ならず。皆地仙になりて、富山に在りといふのみ、正可に目撃せし者なし。この故に、二世の八犬士等、相別れし日を忌日にして、延命寺に八箇の墓表を建けり。
●馬琴の前後の小説・・は描写が実社会の急所にあたっていること、即ちウガチということを主として居るものであります。(幸田露伴)
●時代の風潮は遊廓で優待されるのを無上の栄誉と心得て居る…。(幸田露伴)
●軍記物語の作者としての馬琴は到底『三国志』の著者の沓の紐を解くの力もない。(内田魯庵)
●小説の史跡を論ずるのは極楽の名所図絵や竜宮の案内記を書くようなものだ…。(内田魯庵)
●非命須らく薄命に非ざるを知るべし(橋本蓉塘)
●佳人未死の魂を埋却す(橋本蓉塘)


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