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地方自治小景16

国際女性デーによせて

パネルディスカッションの感想

こちらのパネルディスカッションのZOOM配信を視聴した。今日は家庭都合のため家を離れることができなかったのでWeb配信があり助かった。

感想

たぶん話し足らない部分があるんだろうな、そしてたぶんだけど閉会後に話が参加者も含め盛り上がったのだろうなとまずは感じました。
会場からの質問の一つにこのような男女共同参画、ジェンダーの社会課題に対して男性もより関心を持ち課題を共有し活動に参加する人を増やすにはどうしたらよいのか、というものがあった。今回、男性の参加者がWeb含めどのくらいいたのかはわからないのですが、とりあえず男性と自認はしている一参加者として考えたことを書いてみたいと思います。

一番の課題

先日の記事でも書いたようにデジタル領域におけるジェンダー平等や日頃から関わっている地域の活動におけるジェンダー平等といった観点から書いてみるのもありと言えばありなのだけど、なんかそうではなくて、もっと書きたいことが今日はある。
ジェンダー平等、男女共同参画がすすんだ社会というのは性愛や恋愛といった生殖欲求のようなものを根源とする以外の関係性が男女間に取り結べる社会といってよいのではなかろうか。言い換えると、ジェンダー平等がない社会、男女共同参画がすすんでいない社会というのは男女の社会関係のオプションに性愛(生殖)か恋愛(感情)しかない社会関係の貧しい社会といえるのではなかろうか。
ジェンダー平等や男女共同参画という事柄に対して反発する人たちは、ジェンダー平等や男女共同参画がすすむと彼らが重要視する性愛や恋愛に基づいた社会関係が社会において許容されなくなる、ないしは大幅に減ってしまうと考えている節がある(彼らの言う伝統的な家庭観とは性愛と恋愛(心情)で結ばれる社会関係性と言い換えるとだいぶ像がハッキリする)。
無論、そんなことはあろうはずもない。性愛や恋愛という生物由来ないし、感情に大きく左右されるようなパッショネートな関係性と市民的な価値観(自由や平等といった社会的な欲求)に基づいた男女間(これは同性間でも同様なのは無論)の関係性が排他的なわけがない。そもそも論で関係性を取り結ぶ際の欲求や価値基準が異なっている。
本邦においてジェンダー平等が諸外国において大幅に劣後しているのが政治分野と経済分野なのはご承知の通りだが、この2分野がなぜ遅れているかというと、この2分野を規律している社会関係が性愛や恋愛に基づいた関係性に近しい(ないしはそのもの)で駆動されており、自由な市民間の相互の契約というそれがないと近代社会とは到底呼べないような代物だからだ。ここ最近の政治家のうんざりする諸々を見るとわかるが彼らはある種のファミリー(ここでのそれはマフィア的な契りを交わした同族的なエモいやつである)を形成しているのだし、広島の経済界において大多数を占める中小のオーナー企業も文字通りの同族経営がベースにある。
先般の記事で広島県から人口が流出している件について書いたが、若い女性が就職先を選ぶ際に諸々の条件を考えるとまず一部上場企業を中心とした大手企業を希望していること、そしてそのような大企業が広島県には少ないので県外に転出してしまっていることがニュースで報じられていた。これはなぜかと言うと大手企業は国際標準へ従うことを求められるため大企業においては「法」の統治がコンプライアンスの名のもとに少なくともファミリーの掟が支配されるよりはましなレベルでおこなわれているからに他ならない(とは言え本音と建て前に基づく諸々がまだあるのが現実なのだろうけど)。

市民的な欲求に基づく関係性

今回のパネルディスカッションの会場となったエソール広島の活動は女性が主体となった市民的な欲求に基づいた関係性の場であり活動それ自体であると私は話を聞きながら感じた。
パネルディスカッションの中で、ジェンダーの視点はどのような課題領域においても、平和であれデジタルであれ、なんであれ持っておくべき、ないしは持てるものだという指摘があった。
生理的に無理な相手であれ、感情的にはその場で平手打ちを喰らわせたくなるような馬の合わない相手であれ、市民的な価値観に基づく限り同じ社会の成員としてなるだけ誠実に相互の義務果たし、権利を認め同じ社会を形成することを「市民的な欲求に基づく関係性」とするのであれば、ジェンダーの課題を解決することは性愛や恋愛といった欲求以外は人間には存在しない、ないしそれ以外は重要ではないという人間観に対して如何にそれ以外の欲求が人間に本質的で重要なのか認めることと等価にわたしには思える。
ジェンダーという課題設定では男女の問題という課題が前面に出がちであるがそうではなくて、男女の基底を成す人間共通の問題、課題がなければそもそも論でジェンダーの課題設定自体が成り立たない。人間に当然認められるべきものが何故だかAに関しては男性一般にしか認められない、Bに関しては女性一般にしか認められない、それに対して異議を唱え人間として当然の尊厳を社会は確保すべきだというのが男女共同参画だと私は思う。

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