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鳴潮は「ソシャゲ」とどう向き合うか

 鳴潮のサービスが開始された。
 一通りプレイして、私の評価は一般的なものとほとんど同じだと思うので割愛。
 グラいいよね、戦闘面白いよね、文章が読みづらいよね、とかそのへん。

 もちろんまだ始まったばかりなので、今後どうなっていくかはわからない。
 発展性も含めて、鳴潮はどのように展開していくのか、「ソシャゲ」であるということと、どう向き合っていくのか。そういう記事。


◇グラフィック

 オープンワールドアクションRPGとして、どうしても原神と比べることになる。
 そして、エンジンの違いやら何やらがあるらしいが、やはりグラフィックは鳴潮の方が良い
 もちろん他の(ソシャゲでない)重いゲームと比べると劣るだろうが、ソシャゲとしては十分に良いものだろう。

 特にキャラ造形は重要。

鳴潮。
原神。君なんか写真と違わない?
好みの問題だけど、キャラデザは今のところ原神のほうが好きではある。

 なんだけども、これはゲームとしては良くても、ソシャゲとしてはマイナスに働く要素でもある。
 というのも、グラフィックを上げるとどうしても対応するハード・端末が少なくなってしまう
 
 原神が爆発的に人気な理由として、スマホPS4でもプレイできるという点は大きいと思う。
 PCに必要なスペックも、オープンワールドゲームにしてはあまり高くない。公称のスペックは、グラボなら原神は最小がGT1030で推奨がGTX1060だ。私は去年までGTX750tiでプレイしていた。
 一方で、鳴潮の方は最小がGTX1060で推奨がGTX2060。決してハイスペックが必要というわけではないが、原神に比べればプレイできる人口は減ってしまうことに間違いはない。

 鳴潮がPS5やPCでプレイする買い切りのゲームであれば、もちろんグラフィックが良いに越したことはない。
 しかし、「いわゆるソシャゲ」のような形態で展開していくゲームだ。そうなったときに、プレイできる人口というのは重要な要素だ。
 それは、グラフィックをはじめとしたクオリティよりも優先される事柄かもしれない。

 グラフィックの品質とは直接的に関係が深いかはわからないが、ゲームのデータ容量の問題もある。
 アップデートのたびに数十GBの容量が、あるいは時間がかかってしまうのならば、ソシャゲとして(特にスマホでは)続けていかなくなるかもしれない。


◇戦闘・アクション

 戦闘に関して、こちらも「原神より面白い」と言われることが多いだろう。
 パリィジャスト回避派生攻撃などの要素があり、戦闘におけるアクション要素は確かに鳴潮の方が上だろう。
 ただし、こちらも「ソシャゲ的」な要素からすると、なかなか簡単な話ではなくなってくる。

 まず、難易度の設定が非常に難しい。
 ダークソウル・隻狼・エルデンリングのようなゲームであれば、プレイヤーは高難易度で死に覚えていくようなものを覚悟してプレイしているだろう。
 もちろんそれらのゲームでも難易度の設定は難しいだろうが、多くの人々にプレイしてもらう必要があるソシャゲよりは、需要と供給のズレは小さいかもしれない。

 しかしソシャゲ的なゲームからすると、なかなか難しい。
 多くのプレイヤーがプレイするし、はっきり言えばゲームが下手な人も多いはずだ。
 あるいは、「何度も繰り返し練習して上手くなって達成する」ようなゲームではないものを求める人たち。

 ソシャゲというのはそういう人たちでもプレイできるのは長所でもある。
 ただ、鳴潮が「ソシャゲ的」に展開していくのだとしたら、そこに需要と供給のズレが生じる可能性は大いにありえる。
 「ソシャゲ」というものは、もしかすると戦闘が面白くないから人気なのかもしれない。

 あるいは、ガチャの要素。
 もちろんキャラクターが魅力的というだけでガチャを回す価値があるかもしれないが、やはりソシャゲ的な要素として、限定ガチャのキャラ・武器は「強い」ものであることになるだろう。
 ここの落とし所は、非常に難しいと思う。

 「戦闘・アクションが面白い」という話だった。しかし、「限定ガチャのキャラが強い」という要素が加わると、戦闘・アクションが面白くないものになってしまう可能性がある。
 プレイヤーの操作よりも、結局はキャラ・武器の性能が戦闘に与える影響が大きいとなるのならば、鳴潮の長所である「戦闘が面白い」という要素が薄れていってしまうかもしれない。
 
 「下手な人でも強いキャラ・武器ならクリアできる」というのは、一つの落とし所かもしれない。
 それはある意味では理にかなっているけども、「アクションが面白いから」という理由で鳴潮をプレイする人が課金せず、そうでない人が課金するような逆転現象になってしまうかもしれない。別にそれが悪いというわけではないが。

 「限定キャラは面白いアクション・戦闘ができる」というものなら、確かに需要と合致するかもしれない。
 パリィや回避、コマンド的な攻撃に特徴を持たせ、限定キャラを引けばより面白い戦闘ができるようにするとか。

 ただ、今のところの全キャラしっかり触ったわけではないけども、あまりそうはなっていないかもしれない。
 桃祈とか鑑心とか使ってるんだけど、この人たちバリア貼る。避けなくていい。

敵の攻撃を回避もパリィもせず、バリア付きの範囲攻撃でゴリ押す鑑心。
音骸でも無敵カウンターみたいなのあるよね。
もちろん今後は通用しなくなる可能性はある。


 今後の限定キャラが、アクション要素をより楽しめるようなデザインになるのか、アクションが下手でも戦えるようなデザインになるのか。
 「ソシャゲ的」なのは後者であるが、鳴潮はどうなるだろうか。
 
 また、ボス級の敵との戦闘はアクション要素があるかもしれないが、ソシャゲ的な日課・素材集めにおいては、やはり複数の雑魚敵との戦闘が多くなる。
 そうなったとき、例えば「このキャラは雑魚敵の殲滅が早い・楽になる」というような要素でガチャが回されるようになるのならば、それはソシャゲ的ではあるが、鳴潮の良さとは違ったものと言えるかもしれない。


 ※鳴潮のアクション要素は確かに原神よりも楽しいとは思うが、様々な要素を加味した戦闘全体としては、まだ始まったばかりなので不明だ。
 原神には元素反応をはじめとして、様々なバフ・デバフ、聖遺物の選択、チーム編成などの要素があり、それらを含めた総合的な意味では、私は原神の戦闘は楽しいと思っている。

 とはいえ、それは私が課金してキャラを凸ったり限定武器を引いたりしてないからであって、強キャラに強武器を持たせれば終わってしまうものでもある。
 それはソシャゲとしては正しいかもしれないが、果たして鳴潮はどうなるだろうか。 
 上にも書いたように、「課金したほうが戦闘が楽しくなる」と、なるだろうか。


◇アンケート

 ところで、ゲーム内から答えられるアンケートに、興味深い項目があった。

 「二次元」コンテンツはあなたにとってどんな意義を持ちますか?

・居場所や感情的繋がりを与えてくれた
・ただ作品としてストーリー・絵風・声優の演技・音楽を楽しんでいるだけ
・「二次元」のキャラクターが好き、彼らに愛情を感じる
・ストレス解消の手段として利用している・他のエンタメと大した差を感じない
・他人との繋がりと*持ちたくて消費している
・承認欲求や自己顕示欲を満たしたくて消費している
・たまに確認するが、特別な意義を持たない
・意義がないし、関心もない

*「繋がり」は原文ママ。「繋がり」の誤字だろう。

 「二次元コンテンツ」とまとめられているが、漫画やアニメ、ソシャゲ的なゲームを含むものだろう。それについて、どういう意義を持っているかという問い。
 実に、現代の風潮に沿っているというか、風刺的に・ややネガティブな問いが並んでいる。

  「他人との繋がりを持ちたくて消費している」「承認欲求や自己顕示欲を満たしたくて消費している」というような問いを、公式が投げかけている。
 (実際にそうだとしても、これにチェックを入れて答えるのには抵抗があるかもしれないが。)

 「ゲームを何のためにやっているのか」。もちろん総合的な意味で「面白いから」「好きだから」という理由は大きいだろう。
 ただ、そのもう少し根本の部分を突き詰めていった場合、実はそのゲームの本質的なものではなく別の要素に大きく影響されてそのゲームをプレイする・好きになっているような例は、非常に多いように思われる。

 それは例えば、上の問いのような「他人との繋がりを持ちたくて」「承認欲求や自己顕示欲を満たしたくて」というものかもしれない。

 (このアンケートが本国のものの直訳なのか、あるいは日本独自のアンケートなのかはわからないが、「消費している」という表現が私は大好きだ。「倍速映画」の話題のときにも散々言われた、「コンテンツを消費する」というようなことについて。)

 そして、現状では「ソシャゲ」とはそういう要素が大きいものであることは否めない
 もちろん様々なゲームがあるし、言葉の定義がどうこう言うつもりもないが、やはりソシャゲは「ソーシャルなゲーム」だ。
 自分ひとりが、自己満足のために遊ぶようなゲームではないと考えているプレイヤーのほうが多いだろう。

 他の人がやってるから、流行ってるから、SNSや動画・配信の「界隈」がーーー。
 そういうような要素が、ソシャゲというものにとって大きな要素であることは間違いない。

 それはある意味で、「推し」のような意義であるかもしれない。
 「推しキャラだからガチャ引いて凸する」「専用武器を持たせる」というような課金の仕方は、特に原神ではよくあることだと思う。

 「過剰な不安」という言葉を公式が使うくらい、原神は課金しなくてもクリアできるゲームだ。もちろん高難易度のイベントもあるけども、それでも報酬を取り切るだけなら簡単だ。
 以前は難しいイベントもそこそこあり、それでも報酬の石を取るのはさほど難しくはなかったとは思うのだけれど、やはり「難しい、クリアできない」という意見が多かったからか、原神はとにかく簡単なゲームへと舵を切った。マルチの戦闘イベントもやらなくなった。

 「完凸したキャラで知育パズルをするゲーム」とも揶揄されるが、それでも原神が大人気で多く課金もされるのは、「ソシャゲとして」大きく成功しているからだろう。
 ゲーム内だけで完結するのではなく、多くのソーシャルな要素があり、その上で「推し」のような要素によるものも否めないだろう。


◇鳴潮は「ソシャゲ」であることと、どう向き合うか。

 この記事でも原神と比較しているわけだが、別に原神のようにならなければならないわけでもないし、原神を超えなければならないというわけでもない。
 あるいは、原神と比べるという行為自体がソーシャル的でもある。あんまり言うとアレだが、売上・DL数のランキングや、動画・配信の視聴者数でどっちが上だと言い出すようなこととかも。

 とはいえ、鳴潮も「ソシャゲ的」なシステムで運営されている。多くのシステムがソシャゲ的(原神的)で、それは課金に関するものもそうだ。

 しかし、この記事の前半にも書いたように、鳴潮の特徴・特色であるグラフィックや戦闘・アクションの良さというのは、もしかするとソシャゲ的ではないのかもしれない。
 そこにこだわっていくと、そこを売りにしていくと、ソシャゲ的な成功はしないかもしれない

 そのあたりのことを、上手いことやっていくのか、折り合いをつけるのか。
 あるいは運営も言うような、ソシャゲ的な「消費されるコンテンツ」であることを受け入れるのか。 

 もちろんまだ始まったばかりなので、現時点でどうなるかはわからないし、方針が変わっていくかもしれない。
 1年後には今からでは想像もつかない発展をしてるかもしれないし、逆にそこまで保たないかもしれない。
 オープンワールドアクションゲームだと、一般的なソシャゲよりも開発費は多くかかるだろう。

 ともあれ、やはりゲームとしてはよくできていると思う。現時点では、グラフィックや戦闘面には期待を持っていいと思う。もちろん気になる箇所も多くあるが。

 
 原神というゲームの爆発的な人気により、「ソシャゲもクオリティの時代なんだ」というようなことが言われるようになったかもしれない。
 しかしその実、原神の流行りはゲーム外・ソーシャル的な部分が大きいことも否めない。

 その後に登場した鳴潮という、グラフィックも戦闘もクオリティが上である可能性のあるゲームは、果たして「ソシャゲもクオリティの時代」というようなゲームになるのか、はたまた「結局はソシャゲじゃん」と言われるようになってしまうのか。

 現時点では判断ができないが、私はその点に注目しながら、とりあえずは続けていこうと思う。


注:追記

 あくまでも私の知っている範囲の、日本的な価値観に当てはめて考えたものである。
 極端に言えば、日本人に全く受け入れられずに日本版のローカライズがストップしたとしても、本国や世界では盛り上がっていく可能性もある。
 あるいは「ソシャゲ的かどうか」という価値観から鳴潮を評価するのも、あくまでも観点の一つに過ぎないことには注意したい。


 ※なんか原神を卑下してるみたいな感じになってるけど、私は普通に原神のほうが好きですよ。


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