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240603_記述005_IE-NIWAについて③

さて、庭づくり、創作物について書いてきました。
今日はそれらの材料をどのように組み合わせてひとつの場として作るかという話をしましょう。なぜか「IE-NIWAの作り方」のような話になっていますが、これも決まった方法があるわけではなく、やる度に試しながらやっていてその経験から何となく言語化できそうなものという感覚です。

庭という舞台とその場の関わりから生まれた創作物。これらをどのように組み合わせていくのか。実はこれについては何も方法論的に確立したものはありません。テーマを掲げておきながら何もないというのも残念なのですが。
明確な方法論があるわけではありませんが、意識していることはいくつかあります。それをいくつか挙げてみましょう。

①モノに優劣を作らないこと
②分かりにくい変な遊びをすること
③気持ち良い空間を作ること

こんなところでしょうか。
家の中や庭を舞台として創作物やモノを並べる時に、意識してか無意識か、こういったことをひとつの判断基準にしながら空間を作っている気がします。ひとつひとつ考えていってみましょう。

「モノに優劣を作らないこと」
IE-NIWAという企画では、ひとつの全体的な場所づくりのために創作物やモノたちを並べながら空間を作っていきます。今までレイアウトしてきたモノには、服,家具,陶芸,オブジェ,絵画,古物,本,花など、さらにはそれらを補完してくれる什器や場所に合わせて作られたインスタレーション作品までと色んな大きさや質感,意図を持ったモノたちを配置してきました。そして、この優劣を作らないということの真意は、モノを配置して空間を作るときに一番注目すべきモノや明確な展示計画的な意図をこちらで設定しないことにあります。それは目玉作品をこちらで設定するのではなく、観客側にそれらを委ねて展示空間を散策してもらいながら自分なりの興味の向く作品と出会って欲しいということを求めているのだと思います。創作物やモノの面白いところは、作者の意図とは全然違うところへ飛んで行ってしまうことにあります。作者の意図とは別に、観賞者は思いも寄らない角度から文脈を接続したりと非常に自由な思考を促してくれることが面白いのだと思っています。例えばそのような観賞と発見、そして思考の自由さに期待しているのかもしれません。

「分かりにくい変な遊びをすること」
モノを配置することにおいて、分かりやすいということがあります。それは目的がはっきりしているということで、例えばお店であれば商品が売れるようなレイアウト。見やすい、手に取りやすいなどお客さんに対してのサービス的な設えの観点で重要な分かりやすさです。でもこのIE-NIWAでは分かりにくい、見方によってはふざけているような変な遊びのレイアウトをやってしまっています。なぜか?というと目的はあまりなく、ただ単に遊びたいということがまずあるのです。これは考えというもののもっと手前にある感覚的な何かで上手く言語化できません。一方で、IE-NIWAでは創作物を販売することも多く実際に作品は売れて欲しい。ただ、それに反してか分かりにくく変な遊びを込めたレイアウトにしてしまうことが多々あるのです。売りたいことと遊びたいことの2つの欲望の狭間でぎりぎりのラインで成り立つにはどうするが適切かと感覚的ではあるが考えながらモノを配置します。商品をディスプレイするという意味では間違っているかもしれない配置の選択も展示という言葉の舞台を使うことで遊べる理由を探しているのです。そういった空間的な感覚の部分で皆さんに対して何らかの共感を求めているのかもしれません。

「気持ち良い空間を作ること」
最後のこれは単純です。が、意外とこれが難しいかなと思っています。展示空間を作るに当たって、まずは展示会場となる元の家や庭の状態を見て、展示空間化した後の想像をしなければなりません。もしかしたらここにベンチがあったら、ここからあの絵が見れたら、もう少し奥行きを感じられたらというように空間を作る想像を働かせなければなりません。これはほとんど普段お仕事としてやっている空間設計で使う知見や感覚が必要になってきます。空間のプロポーションや人が入り込んだ時の距離感の設計など、それに対して必要な家具や什器をどのような素材で作るのか、あるいはモノを整理整頓したりも空間を作るひとつの方法です。数日の展示のために作る空間なので仮設的になりがちですが、使う側にとっては気持ち良いに越したことはありません。
ではでは、そこで、なぜ気持ち良い空間なのか?美しい空間やカッコイイ空間ではダメなのか?それについて、美しいやカッコイイという価値観は実は一般的ではなく、専門的あるいは一定の教養が必要とされるからだと考えているのです。以前も書いたのですが、IE-NIWAではお客さん側にある専門性や一定レベルの教養を求めたいわけではなく、自分が想像できない多角的な可能性や出会いを求めて場を開いているのがこのIE-NIWAです。その類のオープンさを求めているからには皆さんに広く受け入れられる価値観の方が大切だと思ったのです。それが美しいやカッコイイではなく気持ち良いという価値観です。気持ち良いの方が美しいよりも普遍的な気がしているのです。春の穏やかな気候の中で海辺のテラスでかわいいお花の傍でお茶を嗜むことが嫌いな人なんて多くないと思います。少なくとも気持ち良い〜となる人たちが多いかなと思っています。そしてもしかして気持ち良いと感じることは人間だけではなく、庭や動植物たちも同じなのかもしれません。気持ち良いという価値観の可能性。そういった普遍性を通じて場を開いてみたいという空間的な実験でもあるのです。(美しさへの希求は近代主義でしょう?)

こんな判断基準の中で空間を作っているのだと思います。今思いつくままに書いてみたのですが、もしかするとIE-NIWAという企画を通して発見した空間の作り方なのかもしれませんね。

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