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できないことをあえてやる豊かさについて

久しぶりの更新です。久しぶりなので軽い内容からリハビリ再開。

最近、20代半ばからどハマりしているトレイルランニング熱もやや落ち着き、走る時間をこれまで経験していない分野の勉強や運動に充てています。

ある程度できることは肉体的精神的障害が少ないため日々歯を磨くように行うことができます。僕の場合だと山を走るという行為はこれまで学生時代のサッカーの次に長く継続してきたことなので気が向いたらフラッと裏山へ行って10kmとか走ることが苦も無くできます。現代社会の一般で考えるとこの「フラッと裏山へ行って10kmとか走る」という環境に身を置いている方は少ないだろうと思います。そもそも山の中10km歩くだけでも結構大変、というのがいわゆる常識なのだと思います。

しかし、人間誰でも継続すれば大体のことはできるようになるもので山の中だろうと2,3時間ゆったり走ったり歩いたりすることは翌日のダメージや筋肉痛も無く行うことができます。

運動を日々行うことはとても良いことです。しかもアウトドアのフィールドで行うと土壌微生物や含まれるミネラル(セレンなど)を吸引することにもなるので心身ともに良い影響があります。
ですが、同じことばかり繰り返すとどうしても飽きがきます。もし、トレイルランニングを飽きずに継続するならば人にもよりますが時間を計測する・強度を上げるなどして変化をつけることで常に新鮮に行うことができます。
僕の場合、そこまで強度を高める根性や気力は持ち合わせてないですし、大会で上位を取りたいなんてアスリート的気質は生まれながらありません。

なのであえて他の分野に飛び込むことで日常に潤いを与えようと色々と試しています。例えばウェイトトレーニング。200km弱のウルトラトレイルを完走したのもあり有酸素能力はおそらく一般平均以上だと思います。しかし、無酸素能力に関してはてんでダメ。特に上半身。懸垂なんてほとんどできません。
この「できない」ことに対してやらずに今できることをそのまま続けるのか、エイッ、と飛び込んでやるのかの2択に対して仕事柄後者を選ぶようにしています。

心身の動きに関しては際限がなく、やはりやってみないとわからないことが沢山あります。ベンチプレスで100kgを挙げること1つとっても挙げたことがある人とない人では同じ『ベンチプレスは(胸筋に)効くよ』という言葉の重みがだいぶ変わります。同じ言葉でも最初は20kgしか挙げられなくても継続することで挙げられるようになった人の言葉は何よりも重い。
筋トレをまともにしたことが無い人が「筋肉マッチョってキモいよね」と言っていても何も響かないのと一緒。ただのやっかみです。

そんなこんなで「できないこと」をどうにかこうにか「できる」ようにすることに関しては年齢や性別は関係ありません。現在の僕のように30代の運動歴のある人間からしたら運動をほぼしていない70代の女性は身体能力的に差があります。
しかしその相対的な能力の差なんてものは関係なくて、僕がベンチプレス100kgを挙げられるように努力をするのと上記の70代の女性は3km自分の脚で歩けるようになる努力をするのとでその価値に差はありません。価値は相対的なものではなく個々人の絶対的基準によるものなのです。

価値は他者との相対的関係<個人の絶対的基準

その絶対的基準を上書きするように目指すことは人生のハリが出ます。それを豊かさと言い換えることもできます。
『六十の手習い』と前向きな意味の諺があるくらいなので、昔から年齢にかかわらずどんどん興味のあることを始めていきたい、梅雨時期の僕です。

ちなみに最近の僕の始めたことは
・ウェイトトレーニング(ベンチプレスを100kg挙げてみたい!)
・高尾山域の木草花・鳥類を知る(図鑑読み漁ってます)
※カバーの植物はハナイカダ。葉っぱの中心に花が咲く面白い花です。実は熟すと食べられるみたい。
・地図読み(国土地理院のサイトがすごく便利)
・土と健康の関連(エビデンスがないか探してます)

そんな感じです。人の役に立つかどうかは置いといて楽しそうなことはどんどんやると良いですね。もちろん、大きな迷惑がかからないように。大人ですから。

今後もより良質な発信をしていくためのサポートをできる範囲でお願いします!