見出し画像

孤独と人恋しさと:大槻文藏『姨捨』

※これまでTumblrに投稿してたのですが、なぜか投稿できなくなってしまったので、こちらに書くことにします。

※本文は敬称略です。ご了承のほど願い上げます。

亮之会(2017年9月24日:大槻能楽堂)

大槻文藏『姨捨』
シテ:大槻文藏、ワキ:福王茂十郎、ワキツレ:福王知登・喜多雅人、アイ:茂山千三郎、笛:野口亮、小鼓:大倉源次郎、大鼓:守家由訓、太鼓:三島元太郎、後見:大西智久ほか、地謡:浅井文義ほか。

大槻文藏の『姨捨』は自らの会で披いた初演も観ている。この舞台は数ある文藏の舞台、そして『姨捨』の舞台のなかでも屈指の名演だった。が、この日の再演は恐ろしささえ感じさせる"戦慄"の舞台だった。

呼掛ケて幕を出て、三ノ松で「いかに今宵の月の面白からんずらん」とワキをゆっくりと見やる姿とコトバの深々とした趣。曲見と思しき面に茶地に緑が交じる唐織をつけて出た姿の揺るぎなく整ったさま、二ノ松で正面向き「我が心慰めかねつ更科や」と詠じて、「これに木高き桂の木の」と右ウケる姿の佳さ。初同「今とても」は一ノ松でじっくりと正面を向いて見やる姿、そのあと舞台に入って「風凄まじく」と右ウケ僅かに腰を引き見やる姿の空間把捉の確かさ。ここまでで、既に場が描き出されている。

そのあとのシテとワキの問答はさらりとしながらも情味があって趣深い。中入前「今宵現れ出でたりと」とワキに向く心入れも、わざとらしさ皆無ながら、まことに深々としている。

間狂言が済んで、ワキとワキツレの待謡。この日の茂十郎のワキは、老女を確と受けとめる姿がまことに印象深かった。その心持があるからこそ、シテに向く所作や謡そしてコトバの一つひとつが、重くれていないのに、すごく丁寧で心入れが深い。この日の成功の一端はまちがいなく茂十郎が担っている。ことに「三五夜中の新月の色」以下の暢びやかさは特筆に値する。

後シテは蜻蛉と芒文様の白地長絹に白大口、面はご存じの方からご教示いただいたところによると、塩津哲生師所蔵で『樒天狗』の六条御息所で用いた痩女とのこと。この面を使うことは仄聞していたが、どういうことになるか、不安があったのも事実である。しかし、後に述べようと思うが、これこそが眼目の一つとなっていた。鬘は黒白混じりの女鬘。出の足取りはトボトボとした感じであるが、わざとらしさはまったくない。一声の「あら面白の折からやな」は枯れた感じのあるなかに、底強さも潜ませた謡。「昔とだにも思はぬぞや」と一足ギクと退ったところなども含めて、骨が軋むような趣が濃厚にたちあらわれる。その一方で、シテとワキの連吟「さも色々の夜遊の人に。いつ馴れ初めて現なや」とシテがワキに一足詰めるだけの所作に、人恋しさが溢れ出る。それを受けての地謡はノリよく。これが効果的。ここを重苦しく謡ったのでは、滅入ってしまって、かえって『姨捨』の曲趣は浮かび上がってこないだろう。ここに限らず、浅井文義率いるこの日の地謡は、澄明で音曲としてのノリを持続していた。深みを欠くととる人もあるかもしれないが、今日の謡いぶりは一つの見識であると、私は思う。「身を知らで」と脇正面で踏みとめたシテの姿には、一瞬わが身の置かれた状況に慄くかのよう。

さて、この日の老女、月は出ているかもしれないのに、老女には月影が当たらないかのような趣があった。痩女の面の効果ももちろんあろうが、それだけではあるまい。文藏の『姨捨』という曲に対する理解が滲み出ていたのではないかと推量する。この老女は、間語リにもあるように、甥をわが子のように慈しみ育てた。にもかかわらず、甥が娶った妻に憎まれ、ついには山に棄てられてしまう。甥は恩を知らなかったわけではない。けれども、自らを守るために老女を棄てた。その不条理を、老女は受け入れきれなかった。その孤独ゆえに旅人の前にあらわれ、夜遊を慰めつつ、自らの心をも慰めようとした。

それが、ようやく月の光のもとに出てくることができたかのように、私には見えた。このあいだもワキはしっかりとシテに向き、老女の心のうちを受けとめようとする背中であった。それがあって、打掛聞いてシテが大小前に屹として立つ姿が神々しさを帯びて、映える。クセ以下も素晴らしく、骨の軋むようなギクギクとした感触(動きがぎごちないというのではない)のなかに「重き罪を軽んずる」と僅かにヒラキ、「無上の力を得る故に」と小さく左右し「大勢至とは號すとかや」とワキに向く姿の豊かさ。神々しいまでの救われなさが少しずつ洗われていくかのような感覚があった。以下の型どころも、どこをとっても充実が尋常ではない。クセの最後、地謡が敢えてであろうか、思い入れなくスパッと謡い捨てたのも印象的。

そして、序之舞。特に目に立つ替の型などはなかったように思うが、二段目で扇を左手に持ち替えたとき、扇を見るでもなく、しかし見込むかのような姿で凝然と踏みとめた一瞬があった。この老女、月に照らされているかどうかさえ、眼中にないのではないか。この一瞬、さながら「罪障の雲晴れて」(←老女が何か罪を犯したとかいうことではない)清かな月影が姿を見せ、老女を照らしたかのように、私は感じてしまった。そして、二段オロシで常座よりすこし内側で扇を僅かに下げ佇立、そのあと正に向き下に居て膝を抱え蹲るように(背筋は伸びている)。次いで扇をやや外にひらくようにして面は右へ。この姿に何かの意味を込めようとしているのでは、きっと、ない。二段目から三段目に移るところで、ゆったりとハネ扇した所作に何とも言えない解き放たれたかのような趣。ここに、ほんの一瞬の老女にとっての魂の救済があったのではないか。

ワカ謡があって舞上げ、ノリ地の型どころはやわらかく拡がりを感じさせる。「今宵の秋風」と右ウケ、「身にしみじみと」と正に直して僅かに腰を引きクモラセる姿は、シテが地謡を身体で受けとめている態。「夜も既に白々と」右上方を僅かに見やり、「はやあさまにも」と正に直したところで、ワキたちは立つ。ここで思い入れなくすっと立ったのが、まことに佳い。このとき、すでにワキたちの眼に老女の姿は映っていないのだ。地謡のうちにワキたちは橋掛りから幕に入る。それを見送ったシテの「獨り捨てられて老女が」の高く張った謡の哀しさ。絶唱。その高く張った音を受けて、地謡がぐっと締めていくように謡い終える。シテは正に向き下に居て、膝を抱え込むようにして、再び岩となって凝結するかのような姿。そして、囃子の残リ留のうちに立ち、常座でトメ。

『姨捨』という曲をどう解するかは、演者によってさまざまであろう。もちろん、「月の光に浄化された老女の霊が清らかに舞う」という解釈もあるだろう。ただ、人間の孤独を強烈に、鮮烈に描き出すという方向性での舞台は、それほど多くはない。近藤乾之助や山本順之の舞台がその線上での『姨捨』であったように思う。痩女という面は、基本的に『姨捨』に用いられるものではない。しかし、今回の痩女はもともとが品のよい顔立ちであるのみならず、文藏の『姨捨』という曲の表現において、まさに相応しい選択であった。今日の老女は、決して成仏などしていない。人のために尽くし、にもかかわらず捨てられ、それでもなお人恋しいのだ。清潔感というのとは違う。むしろ、汚れた感じさえさせる。しかし、そこには屹然とした美しさがある。そこに私は慄然とした。

そういった文藏の理解を身体全体で受けとめた茂十郎のワキは絶讃に値する。これなくしては、『姨捨』のドラマは成立しなかった。老女に対する優しさを持ちながら、最後はその姿が朝となって見えなくなったときに、思い入れなく立って帰り去っていく。あのきっぱりとした動きなくては、老女が旅人たちの去る姿を絶望にも似た心持で見送り、再び姨捨山になって残り続けるという〈永遠の孤独〉が舞台として成就することはなかったであろう。

先月の『定家』(TTR記念公演)といい、『卒都婆小町』(彦根城能)といい、文藏の充実には驚嘆するばかり。何といって目に立つようなことをするのではない。にもかかわらず、曲趣を鮮やかに描き出すあたりは、当代筆頭の役者たるに相応しい。

ほんとうに素晴らしい舞台でありました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?