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大学での学びをサービスドミナント・ロジックでもって捉え返してみると。しろん。

いちおう、大学教員になって18年目(2003年4月~)になりました。って書いて、自分でびっくりします。そんなにたったのか、そのあいだに「学びの機会」を提案する側にいる人間として、どんだけブラッシュアップしてこれたのか。そう考えると、だいたい気分が落ちます(笑)ただ、「学び、考えるのってけっこう楽しいねんで」ということを感じてほしいというのだけは、ずっと変わってないかなとは思います。

で、2020年から今なお続いている新型コロナウィルスの蔓延によって、「学ぶ」という営みもいろいろ変容していることは、多くの方が実感もしておられるだろうと思います。一方で、なかなか変わらない側面もあるのもまた事実かなと。

専門は経営学史。

もともと、私の研究領域は経営学史というカテゴリーです。実践に近いといわれる経営学のなかでも、経営をめぐる考え方を歴史的に捉えようとするアプローチ。なので、どちらかというと文献をベースに考えていくのが基本です。そもそも、経営学を志して大学に入ったわけではなく、文学部のすべり止めとして受けた商学部に合格して、文学部は不合格だったという理由で、今の私が始まっています。

もっと細かいところをいうと、中学受験も高校受験も大学受験も(浪人はしてませんが)失敗しています。でも、その失敗がなかったら、今にいたっていなかったってのを考えると、偶然ってこわいなぁと感じずにはいられません。

ちなみに、文芸学や美学は今でも強い関心を持っています。

だから、経営学に対して、すごく強い思い入れがあって学び始めたわけではないのです。ただ、途中で経営学史というアプローチがあることを知り、それが私にとってはすごく性に合ったし、おもしろかった。それが、今にいたるきっかけだったわけです。

で、経営学史というと過去の偉大な研究者などの考え方を滔々と教壇から講じるというイメージを持たれるかもしれません。それはそれでかっこいいかもって思った時代もあります。ちなみに、私が大学教員にすごく魅かれるようになったのは、この漫画の影響も大きいです。

ちなみに、経営学史というアプローチは今でもものすごく重要かつ有効なものの一つだと確信しています。この点については、またぜひ別途書きたいと思います。

前任校から現任校での経験。

それが、いつから今のような考え方、つまりプロジェクトなどを重視するようなスタイルに変化したのか。これは、前任校での経験が大きいです。前任校は、いわゆるFランと呼ばれていました。私が着任したときには、入学者は定員の四分の一みたいな状況。厳しい状況であることは明白でした。

ただ、かといって学生がみんなやる気がないわけではない。だからこそ、この目の前にいる学生たちが、大学を卒業したあとも社会で活躍して(大活躍でなくてもいい)、送りたい人生を送っていってもらえるようになってほしいという思いが起こりました。そこから、いろんな試行錯誤をしていくことになります。それについては、ここでは省略します。もちろん、この試行錯誤を通じて、徐々にかたちになってきた部分はたくさんあります。

2009年に今の大学に移って、ただちにプロジェクト型の学びを実践したわけではありません。むしろ、考える枠組、内田義彦の言葉を借りれば〈概念装置〉を獲得していくことこそ、大学での学びだと考えて、そこをどう構築していくのかにしばらくは重点を置いていました。

☝この本はほんとに名著だと思います。

ゼミでのプロジェクト型の思索実践:価値創造デザインプロジェクト

その後、学部の同僚の先生方との交流のなかで、2016年ごろからプロジェクト型の学びを採り入れるようになりました。しばらくは、プロジェクト型の学びに否定的な時期がありました。2008年ごろに一度もりあがったインターンシップの内容の頽落が原因の一つであったのは確かです。単に、企業のなかの業務をタダで学生にやらせてるだけちゃうのかっていうようなインターンシップがみられたので。

ただ、いろんな先生方と話などをさせてもらうなかで、〈概念装置〉を自前で構築していけるようになるためにこそ、プロジェクト型の学びが大事だということに2016年ごろに気づかされたのです。

で、2017年度から価値創造デザインプロジェクトという名称で、企業さんと一緒に探究的な学びを展開させてもらってます。メンバーたちにとって得られるものはすごく大きいと思いますが、私にとってもまた学びが多いです。ほんとにありがとうございます。

ただ、今回のnoteでは、こちらをお話ししたいんではなく、講義のほうなのです。

じゃあ、なぜわざわざ書いてるのかというと、このプロジェクトのおかげで、講義科目の再定位を考えることができているから、という理由です。

大学での学びの意義って何か?

いや、こんなん多様な答えがありうるのは当然です。さまざまな同世代・異世代との交流というのがしばしば聞かれますが、もちろんそれも含まれます。

とはいえ、それが主たる意義なのかといわれると、ちょっと違うかなと。仮にそれが前面に押し出されているとしても、やはり〈学び〉こそが主たる意義であろうと私は思います。

ただ。ここでいう〈学び〉とは単に知識を増やすことだけをさすのではありません。むしろ、知識を獲得する方法や知識を扱う方法、そして知識を創造していく方法を身につけて、自らを更新し続けることができる姿勢を獲得することこそ、〈学び〉の最大の意義だろうと思うのです。

で、この点それ自体は今までも意識はしてきたのですが、教室での大講義というスタイルに身体も姿勢も慣れてしまいすぎて、今から思えば、表層的な取り繕いレベルでしかなかったのかもしれません。それが、新型コロナウィルスの蔓延によって、教室での講義という基本スタイルを「奪われた」ことで、根源から考え直さないといけなくなったわけです。私自身にとっては。

リアルタイムオンラインとオンデマンド。

2020年度、勤め先の大学は、いろいろ問題はあるにしても、トータルで見たらかなりよく対応していたように思います。

2020年度はzoomを用いたリアルタイムオンラインでした。どちらかというと、「所定の時間割にやるべし」というような意思があったのかな。それはともかくとしても、表層的にはFace to Faceがオンライン空間に置き換わったという感じ。

ただ、私の場合は、それまでチョーク&トークという古典的なやり方をしていました。パワーポイントでやるのがあまり好きではなかったということが大きな理由としてあります。ただ、穴埋めプリントを配布したり、視聴覚資料を用いたりはしていました。

その分、2020年度はスライドも拵えないといけませんでした。ただ、自分が受講する側になったことを考えてみたら、どうもそれだけでは違うなと。それに何より、受講してくれる学生の受講環境には相違というか差が生じる可能性も否定できない、否定できないというより、きっと問題として顕在化するということのほうが、私にとっては危惧要因でした。

そこで、いろんな受講環境の可能性を想定して、学び方を設定してみました。

企業行動論2020ツール組み合わせ:改訂版

企業行動論2020進め方:改訂版_00

結局、顔出しも特段求めていません。ラジオだと思って慣れたということ、それだけでなくチャット機能を使ったり、あるいはスタンプ機能を使ったりして、反応をしてくれていたので、それだけでも教室でやっていた時より相互作用度は高まっていたからです。

後期の企業発展論は、私自身が息切れしてしまったところもありますが、少なくとも前期の企業行動論に関しては、それなりに評価もしてもらえたようでした。

2020年度に関しては、オンデマンド動画を撮るところまで気力も体力も持たず、それはこれからの宿題かなくらいに思っていました。

そうこうしていると、2021年度の開講方針として、受講者が一定数を超える科目については(2020年度ベースの受講者数)、有無を言わさずオンデマンド開講というのが出てきました。しかも、リアルタイムオンラインはいっさい使ってはならぬ、と。

さすがに、何ぼ何でもそれはきついと思いましたし、言いもしましたが、方針が変わることはなく。

ただ、オンデマンド動画を拵えることの必要性それ自体は認識していました。だから、いろいろ思うところはありましたが、何でも“奇貨”にしてしまうくらいにケツをまくったらぁみたいな気持ちで動画制作に向かうことにしました。

とはいえ、YouTuberでもない私が、そんな耳目を集めるような動画を拵えることなどできるわけもなく。なので、とにもかくにも講義素材として理解してもらえるものであることだけを意識して制作してます。まだ前期分は完了していません。

なので、2021年度はこんな感じになりました。

2021年度企業行動論の学び方

2021年度企業行動論の学びのプロセス

オンデマンド型の講義というのは、まさに受講者のdemandに応じて学ぶことができるところにこそ、特徴があるわけです。ちなみに、対面とありますが、これは緊急事態宣言が発出される前に提示したものだからです。毎週やるというのではなく、スポット的に実施する(状況が許すならば)というかたちで設定しました。それゆえ、2021年6月3日現在、対面での質問受付は実施できていません。

じつは、2020年度、同じ学部の先生でいろいろご一緒させてもらっている先生とオンラインで雑談していたときに、視覚ベースで理解が進むのか、聴覚ベースで理解が進むのかみたいな話になったんですね。もちろん、どちらかだけということはあまりないと思いますが、そのときに人によって、情報受容と理解咀嚼のアプローチは異なるということに思い到りました。

なので、on demandで講義素材も選んでもらえるようにして、小課題(加点制)や感想・コメントへのリプライなど、フィードバックに力点を置くようにシフトしてみようと考えたわけです。

フィードバックはほんとに大変で、現実には追い付いていないのも事実です。けれども、大学の学びにおいて、このフィードバックにこそポイントがあるのではないかと思い始めています。

いつかは来るはずのアフターコロナにおける学びの可能性。

さて、ここまでまとまりなく書き連ねてきました。
いずれは新型コロナウィルスの蔓延も収束すると私は期待しているわけですが、そのときにコロナ以前のスタイルに戻るのかというと、そうではないと考えています。これは提供者側の理屈ではありません。享受者、つまり受講してくれる学生側の捉え方です。

リアルタイムにせよオンデマンドにせよ、オンラインを駆使した学びに慣れた、それこそがノーマルになった学生にとって、Face to Faceで学ぶ意義は当然ながら、今までと異なってくるはずです。あえてFace to Faceで学ぶことの意義を示す必要があるわけです。

さらに、少子化も恐ろしいほどの勢いで迫ってきます。私立文系モデルが行き詰まるというのは、だいぶ前から言われ続けていることですが、いよいよそれがはっきりしてきた(だから、恐ろしい)。ただ、ビビってばかりもいられません。それに、人文学も社会科学も、私たちが生きていくうえで重要な知見を積み重ねてきているのは確かなことですし、それを拡充しつつ、伝えていくことは欠かせません。なぜなら、人文学も社会科学も自然科学も、私たちの(←これは、自然環境のなかに生きるという側面も含んでいます)生のありようを構想し、また実現していく点では等価だからです。

ただ、それをどう学ぶのかということに関しては、当然ながら変容する可能性があります。

新型コロナウィルスの蔓延が収束すれば、講義型科目でも対面でできるようになることでしょう。私も対面は採り入れたいと強く願っています。しかし、それはオンデマンドやリアルタイムなどのオンラインを不要のものとするということではありません。むしろ、どう組み合わせていくのかを考えることこそが喫緊だと、私は考えます。

そういった議論があまり見られないのは、個人的にものすごく危惧しています。おそらく現場ではいろんな先生方が試してらっしゃるでしょうから、そういった試みが考え方のレベルまで抽象化され、一つの可能性として位置づけられることを、切に期待します。

サービスドミナント・ロジックで学びを考えると。

オンデマンド型の学びというのは、学ぶアクター(学びというサービスを享受するアクター)の状況などによって、いくつかの選択肢があるところに特徴があります。これは、サービスドミナント・ロジックの考え方と整合性があると考えます。

サービスドミナント・ロジックにおいて重要な概念の一つに〈資源統合〉があります。これは、提供者によって創出された価値提案(オペランド資源)は、享受者がもつオペラント資源によって内部価値循環(←これは山縣がニックリッシュに即して補った概念です)に統合されて初めて、価値が発現するあるいは成就する可能性が出てくるという考え方です。

S-Dロジックの基本的前提(2016版)

内部価値循環×外部価値循環(価値提案書き込み)

価値循環と価値創造(共創)

※ サービスドミナント・ロジック自体についての私の理解は、以下をご参照ください。

この考え方を援用して、「学び」という営みを捉え返してみましょう。すると、教員が提示する動画や音声配信、講義資料などなどはオペランド資源としての価値提案に含まれます。ただ、これを創出するだけで価値創造が実現されるのではなく、享受者の資源統合によって内部価値循環に摂り込まれ、享受者において価値として発現したとき、初めて価値創造が成就したといえるわけです。サービスドミナント・ロジックでは、これを価値共創というのですが、価値共創もいろんな捉え方があるので、シンプルに価値創造と呼んでおきます。

こういった価値提案が享受者に摂り込まれるとしても、享受者のオペラント資源の状況によって、この提案が成り立つのかどうかは定まっていません。もしかすると、10年くらいたった後に享受者において価値が発現する可能性だってあるわけです。もちろん、すぐに価値が発現するような受講生もいるかもしれません(いてほしい…)。

こういった視座でもって、「学ぶ」という営みをリ・デザインできないものかと、最近しばしば考えます。この視座にたてば、「対面か」「リアルタイムオンラインか」「オンデマンドか」みたいな択一的議論にはならないはずです。この択一的議論ほど、ばかばかしく愚の骨頂なものはありません。そんなつまらぬ話に付き合うのではなく、より豊穣な実りが生まれるような学びを少しなりとも構築できれば、と願っています。

散漫な話になってしまいましたが、とりあえずの備忘録として。また改訂するかもしれません。この文章。



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