見出し画像

小さな歩みでもいい。新しい世界を切り拓いていってほしい。

昨日は近畿大学の卒業式でした。山縣ゼミもぶじに第11期のメンバーが卒業していきました。

2019年度は価値創造デザインプロジェクトを「今までどおり」に展開できていたのが、2020年度になってほぼオンラインで展開せざるを得なくなりました。それゆえに、大学生として過ごしたという感覚がどうしても稀薄になってしまいがちであったのはやむを得ないと思います。けれども、それぞれ(私にさんざんいろいろ言われながらもw)卒論をちゃんと書き上げました。

それに加えて、いろんなことがやりづらい状況のなかでも、いろいろと工夫をして楽しむ方法を模索していってました。よく頑張ったと思います。

そんな第11期に送った拙文、お恥ずかしいですが、たぶん毎年どこかで披露していたので、こちらで。

*******
山縣ゼミ第11期の23名へ

卒業おめでとう。
みんなにとっての大学生活最後の一年が、ここまでのことになろうとは少なくとも一年前は想像していなかっただろう。私も想像していなかった。2019年度にできていたような活動の多くができなくなって、飲み会や合宿なども開催できなくなってしまった。もちろん、みんなはみんなで楽しみを見つけていたと思う。とはいえ、ゼミとして手触りのある活動が少なくなってしまったのはたしかだ。その意味において、不完全燃焼感が残っているかもしれない。

オフラインでできた(←この表現自体が、2019年には想像もつかなかったことだ)2019年度の価値創造デザインプロジェクト。達成感はそれぞれに異なるかもしれない。私自身は、学生時代にやるプロジェクトが(精一杯、考え抜き、試しぬいたうえで)思い通りの結果にならなかったとしても、それは何ら問題ないと考える。なぜか。それは、「こういう将来があるといい」という願望を具体的に描き出し、それを実現するためにリサーチし、試行錯誤のなかで実践していく、そしてそのプロセスや結果を他者に伝える、この一連に全力で取り組むことこそが重要だからだ。そして、この「全力」というのは、自分たちが力を出し切るということだけではなく、プロジェクトにかかわってくださる方々やその先にいる方々の存在をリアルにイメージするということを含む。その姿勢が身についているとするならば、みんなにとっての価値創造デザインプロジェクトは“成功”だったといえる。5つのプロジェクトいずれも実りのあるものだった。

2020年度の卒業論文。卒論を書き上げていく作業というのは、例年になく孤独感があったとも想像できるが、どうだろうか。あるいは、それぞれに連絡を取り合いながら進めていたのかもしれない。それも自律的な学びだ。山縣ゼミの卒業論文の厳しさは、おそらく近畿大学経営学部のなかでも随一だと思う。卒論は、みんなにとって“苦痛”だったかもしれない。けれども、少しなりとも自分が見出したテーマをとことんまで探究すること、それを表現することによって得られる充実を感じていてもらえたら、教員として何より嬉しい。たしかに、ゆるくやることもできる。しかし、そんなのはみんなにとって何の意味もないのだ。ちなみに、「こういうふうに論じていたら、もっとよりよくできたかもしれない」という思いは、何らネガティブなものではない。むしろ、完結してしまう学びのほうがダメなのだ。「学び続ける」とは、そういうことなのだ。小さな歩みでもいい。新しい世界が切り拓かれていくことを願っている。

みんなにとって「学び」とは、大学の4年間を通じて、どういうものになっただろうか。これからおそらく、望むと望まざるとにかかわらず、「学び続ける」ことが求められるようになる。学び続けるとは、単に知識を増やすことではない。もちろん、知識も結果として増えるが、大事なことは自分の視座が拡がっていくこと、深まっていくことだ。そして、そこには他者への想像力がクリティカルに重要になる。これは、ビジネス的な成功にだけ必要なことではない。日々の生活においても、欠かせない。このことの大事さがわかっていたら、大学で4年間学んだ意義は十分にある。

最後に、私の好きな言葉を贈る。
「幸福になるのは、いつだってむずかしいことなのだ。多くの出来事を乗り越えねばならない。大勢の敵と戦わねばならない。負けることだってある。乗り越えることのできない出来事(中略)が絶対にある。しかし力いっぱい戦ったあとでなければ負けたと言うな。これはおそらく至上命令である。幸福になろうと欲しなければ、絶対に幸福になれない」(アラン『幸福論』岩波文庫、312頁)

そして、アランはこうも言う。「他人に対して、また自分に対しても親切であること。他人が生きるのを支えてあげること、自分が生きていくのも支えてあげること。これこそ、ほんとうの愛徳である。親切とはよろこびにほかならない。愛とはよろこびにほかならない」(同書、246頁)

私がみんなに伴走するのは、今日でいったん一区切りだ。もちろん、リズムを取り戻したいときには、いつでも戻ってくればいい。大学のカリキュラムとしてのゼミは終わるとしても、関係性としてのゼミはこれからも続く。だからこそ、ここはみんなに開かれている。

これからの長い人生、どうか心も身体も健やかであるように。ただただ、それを願う。また会おう。

2021年3月20日
山 縣 正 幸

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?