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〈境〉を知ること。超えてみること。:常葉IOL&近大WDL〈夏の合同LT&WS祭り〉

先週のデザイン学会でのことを書き終えないままに、前期の最大のイベントの一つがやってきました。

常葉大学造形学部のIn&Out lab.さん(以下、勝手にIOLと略称しますw)との第1回〈夏の合同LT&WS祭り〉。

写真のポーズ、どちらの教員もYで始まるのでちょうどよかったですwww

ちなみに、なぜうちがWDLなのかというと〈WertschöpfungsDesingnLab.〉だからです。ドイツ語と英語が混ざってますがw

昨年のちょうど今時分、IOLの前身である未来デザイン研究会のOGの福士さんと、その指導教授である安武伸朗先生が〈面的思考〉ワークショップを近大で開催してくださいました。

今回は、本格的にIOLさんと合同でイベントをさせてもらえることになりました。ほんとにありがとうございます。

うちのゼミ、3回生のこの時期に外海=越境的交流に出たことは今までほとんどありません。それに対して、IOLさんは企業や行政とのコラボ(受託研究)とかも数多くやっておられて、経営学部よりもはるかに価値創造の実践に即してデザインの学びを展開しておられます。なので、正直なところ「胸を借りる」心持ちでした。

今回は、初日(7月6日)にそれぞれの研究活動をライトニングトークで紹介。そのあとに、夜は懇親会。2日目はお題を設定して、〈経営とデザイン:思考の実験室〉という名のワークショップをおこないました。

すんごく楽しかったですし、収穫もものすごくでかかったです。飲み会も盛り上がってたしw

同時に、いろんな可能性と課題もてんこ盛りに見えてきて、咀嚼消化するのが大変ですww

今の時点で参加学生が書いてくれたブログもシェアしときます。

まずは常葉大学の4年生の望月琴未さんのブログ。さすがに思索し慣れてる。

うちのゼミ長の小寺廉のnoteも。謙譲表現と尊敬表現がごっちゃになったりしてますが、ご容赦くださいw

さて、簡単に流れを振り返っておきたいと思います。

第1日目:LT祭り

7月6日は、IOLのみなさんからは個人もしくはチームでやっている研究の成果や途中経過の報告、WDLからはプロジェクトの途中経過報告をやりました。

最初に司会を務めてくれた常葉の久保田さんのオープニング、そして、常葉代表の望月さん、ウチの代表の小寺が、それぞれ挨拶。

そのあと、安武先生と私が簡単にレクチャーを。

こういう限られた時間で、いつもは私の話を知らない人たちにどう伝えるのか、いつも悩みます。ちなみに、今回は先週の日本デザイン学会での報告やそのあとのやり取りを踏まえた内容にしました。話をしながら、もうちょっと練り込んだほうがいいなと反省。まだ雑味があったように思います。

そして、2日間とも参加してくれた常葉のOGの小野寺さんからも、ちょっとだけお話を。

そのあと、LT祭り。

さすがに、常葉の4年生、3年生ともなると、経験値も高くなってくるので、内容的に濃いものが多かったです。卒業制作やご自身たちがやってきたことを問うかたちで振り返るもの、プロジェクトの報告などなど、限られた時間のなかでも興味深いものがたくさんありました。2年生、1年生は大学での授業をベースにしたものや、フレームワークに関する研究など。もちろん、まだまだではありますが、関心を惹かれる切り口もあって、次の報告が楽しみです。

一方、ウチからはプロジェクトの紹介と途中経過報告。まだまだ浅い。なんてことを私が言わなくても、たぶん同学年のLTを聴いて実感したと思います。そこに気づいてなかったら、この先はないw

ただ、これは思索を深めつつ、広げつつ繰り返すこと、そして何度も他者に伝えていくことで磨かれていくと考えています。正味、それしかありません。伸びしろがあるということで、今後に期待したいと思いますw

その日の夜は懇親会。ここらへんの盛り上げは、うちのゼミは慣れているので、いろいろリードしてましたwww

懇親の場ってのは、別にお酒を飲んで騒ぐのが目的じゃなくて、シラフの時間に突っ込んだ議論ができるための場づくり。本来の意味での、心理的安全性の構築です。そのあたりは、日々伝えているので、ちゃんと実践してくれたようですw

第2日目:WS祭り。

7月7日は、WS祭り。安武先生と、「せっかくなので、〈経営×デザイン〉になるようなテーマにしよう」ということで、「卒業旅行を企画する事業を立ち上げる」というテーマに。

今回のポイントは、単に「卒業旅行を企画する」だけではなく、「卒業旅行を企画する」ことを事業として考えるところにおいてみました。

そして、一つ条件を。

「クラウドファンディングで投資を得て、事業を継続できる」

難しいかなと思いつつも、あえて付けてみました。なぜ、これを付加したのか。それは、学生がやりがちな「(ほんまにお金出してでも欲しいって思ってくれるかどうかはわからんけど、“たぶん”で推測してみた)顧客が求める価値」にとどまってしまわないように、というねらいがあったからです。

ほんとはクラウドファンディングでなく、投資をしてもらえるようにってところまで進んで考えるべきなのですが、そこまでいくと半日では到底終わりませんw なので、不特定多数の人が、顧客としての観点から、また同時に投資的な観点からも魅力を感じるような提案を考えてみてほしいという思いで、設定しました。

↑[安武先生の全体コメントシート]

ワークショップを傍目で見ながら、私もいろいろ気づくところがありました。そのあたりは後でまとめて書きます。

それと、何となく感じていましたが、動きがあるチームとそうではないチームとでは、どうも思索の深まりに差が出るような気がします。


さて、上でシェアした望月さんのふりかえりにもあるんですが、経営学での学びって〈型〉というものがあまりありません。

もちろん、いい意味で〈型〉を徹底的に身につけることをめざすゼミはあります。

この点を経験デザイン研究所 / Xデザイン学校主宰の浅野先生は、まさに数年前の常葉大学と、当時は九州産業大学におられた森田泰暢先生のゼミ、そして成安造形大学との合同イベントにかかわって、以下のようなブログを書いてらっしゃいます。

浅野先生はこういう示唆を届けてくださるタイミングが絶妙すぎて、初日の懇親会が終わって帰宅したころに、これを拝見したもんですから、もう超絶ピンポイントw

まさに、うちのメンバーたちは「青山くん」なわけです。これといった得意技や型を身につけているわけではなく、やる気はあるし、動いてもいる、考えていないわけではない(←「考えてる」って言ってあげたいんですが、まだまだなのでw)、現状ではそれがすべて。ビジネス的な知見や視座を持っていないわけではないですが、現時点で、別に差別化できるほどの優位性を持ってもいませんw

一方、常葉のみなさん(特に3回生以上)は、いろんな場でグラレコだったり、提案だったりを重ねておられるわけです。

そりゃ、差は歴然と出ますよねw

念のために申しますが、これ、うちのメンバーをディスるために書いているのではありません。むしろ、一般的な経営学部での学びの課程に即していけば、ふつうはこうなるのです。

じゃあ、いったいどうすればいいのか。後でもう一度書きます。が、まだ答えはありません。ゼミのメンバー一人ひとりにも考えてもらいたいと思います。こんなもん、私が教えたところで肚落ちするもんではないから。

そこがわからなくてもやもやしているメンバーがいるとすれば、それは脱皮への第一歩です。簡単に解決してしまわずに、そのもやもやと向き合ってほしいと思います。

ワークショップそれ自体は、どのチームも限られた時間のなかでいろいろと設定された条件を踏まえて提案しようと議論しているのは、十分に感じられました。昨夜の懇親会のおかげか、アイスブレイクもほとんど不要でしたしw

以下は、この2日間での気づきを羅列したものです。ご参考までに。

次からは、全体的なふりかえりです。

何も知らない他者に自分(たち)がやってることを伝える。

初日のLT祭では、常葉のみなさんが個人もしくはチームでやってらっしゃる研究を、近大のメンバーたちはチームでやっているプロジェクトの内容を伝え、共有しあいました。

今回お越しくださったIOLのみなさんは、1回生から4回生までの31名。それぞれの学年で、当然ながら学びの段階が異なります。さすがに4回生の卒業制作の途中経過報告や、これまでの学びの振り返りなど、濃厚なものが多く、場慣れしてるなってのも感じました。やはり、人前で話すというのは数を重ねないと上達しません。

このあたり、ほんとにちょっと考えないとまずいなって痛感しました。

ちなみに、うちのゼミのメンバーもどう伝えればいいか考えてはいたと思います。けれども、それを伝えるための練り込みや準備がまだまだ足りません。ここらあたり、どうするか考えます。

ただ、場慣れだけではないとも思います。

自分たちが伝えたいことを、どう構成すればいいのか。これはデザインそのものです。つまり、報告もデザインしないといけないわけです。こういうことを書くと、そっくりそのまま私にブーメランとして戻ってきて後頭部をしたたかにぶんなぐられてしまうわけですが、それでも書いておかねば(笑)

報告というのは、耳と目を通して、自分たちの伝えたいことを相手に届けて、そこから有益な議論を展開するためにあります。

ということは、耳から入ってくる情報としての「しゃべり」と、目から入ってくる情報としての「スライド」、さらに自分たちの表情などをどう組み合わせるのかを考えないといけません。

当然ですが、内容の切り口の鋭さや濃厚さがあるという前提で。

前提を問う。

私自身も含めて、議論に限らず、単にしゃべるだけの時でも、自分が抱いている前提に立ち返ることはあまりありません。

しかし、議論するときに大事なのは、それぞれが抱いている前提は異なるという点です。しかも、「あなたの考え方の前提は何ですか?」って訊いたところで、正確な答えが返ってくることはまずない。

となれば、他者の話や考え、アイデア、しぐさなどを丹念に見、そして聴き、さらに感じながら、その人が「いったい、どういうベースを持って考え、また行為しているのか」を考え続ける必要があります。

社会人ですら、これができない人なんて多々いるわけですから、学生の場合はなおさらかもしれません。

しかし、これこそがいわゆるダイバーシティの出発点です。

人間は一人ひとり違う、そしてもっと大事なことは「ほんとに、意思疎通できてるか?」と自問することです。

「伝わっていないかもしれない」。だからこそ、相手の前提を窺い知ろうとし、そこに即して伝えようとすることが大事なのです。それなしに議論したって、深まることなんてないです。

こうすることで、自分と同じように他者をも大事にすることができる、と私は考えています。

矛盾を創造的に克服する:弁証法と心理的安全性

先ほど述べたことともかかわりますが、議論する際の方法として〈弁証法〉というものがあります。その昔、マルクス主義が一定の勢力を占めていた時期は、この発想も珍しくありませんでしたが、現在では言及されることも少なくなりました。

ただ、弁証法はマルクス主義に限定されるものではありません。以下の理解は、マルクス主義的なそれとは異なる可能性があります。

矛盾それ自体は、世の中にたくさん存在します。それらが真に対立しているのか、表層的に対立しているように見えるだけなのか、まずはそこを問わねばなりません。これは、現象を抽象化していくことで、ある程度みえてくるでしょう。

2日目のWSでも、ほとんどのテーブルで抽象化がまことに甘かったです。もっと突き詰めたら、もっといろんな視座が拡がるのにと思うことしきりでした。〈なぜなぜ5回〉ってあるように、一度抽象化しただけで終わってしまってはいけません。何度も突き詰めて、深めていかないと。

そのうえで、両立しない2つのテーゼをどうやって創造的に両立させることができるのか?

ここが弁証法のもっとも肝要なところです。そのためには、突っ込んだ議論が必要になります。だからこそ、突っ込んだことを言っても、メンバーその人一人ひとりを無条件に大事にするという条件 / 状況が不可欠なのです。

これが〈心理的安全性〉です。別に仲良くすることが心理的安全性ではありません。

仲悪くなっていいって言ってるんじゃないんで、勘違いしないようにw

心理的安全性が薄く、探り探りに矛盾解決すると、だいたい〈妥協の産物〉しか生まれません。今回はそういうチームはなかったように見うけられました。その点は、よかったかなって思います。

捨てることのできる型は、あるか?

デザイン領域で、しばしば「手法だけの学びになってはならない」という話は耳にします。これは経営実践でも同様です。小手先かつバラバラな状態で手法ばかりを意識するというのは、いちばんまずいケースです。

ただ、もう一段先に進んでいる場合でも、「得意技を捨てる」ということが言われます。ここでの〈得意技〉というのは、もちろん孤立的に習得した手法もですが、さらに進んで体系化された〈型〉です。〈型〉というのは個々の手法を含みますが、手法にとどまりません。むしろ、個々の手法を使っていく視座や姿勢も含まれます。

ということは、「型を捨てる」とは、それまで身につけてきて、いったん身体化された視座や姿勢そのものから離れてみるということを意味するわけです。IOLのみなさんは、グラフィックレコーディングを入り口にUXデザインやサービスデザインに関する学びを実践的に積み重ねてきておられるわけです。そういった実践的学びを通じて身体化された〈得意技〉を捨て、これまでの〈型〉からいったん離れてみることで、自分たちが獲得してきた能力の根源や基盤は何かを問い返すことになりましょう。

では、経営学部の学生の学びの場合はどうか。

実は経営学などの学部教育において〈手法〉を学ぶことはほとんどありません。あえていえば、簿記くらい、あるいはITビジネスの基礎的スキルくらいかもしれません。それとて、いかほどのものか。

経営学教育というのは、経済学のようにコースワークとしてがっちり固まったものがあるわけではないです。そもそも、企業という存在が個別性・唯一性・一回性の強いものである以上、これは避けられません。その意味で「とっつきやすい」けど「学びにくい」学問領域です。しかも、つまみ食いができてしまうし、やたらと自分の“専門”に偏してしまうこともできる。

そうなると、〈型〉を修得するのがすこぶる難しいということになります。言い換えれば、学部レベルの学びで捨てることのできる〈得意技〉などなかなか得られないのです。

じゃあ、どうすればいいのか。ここが私にとっては肝要な課題です。むしろ、ここを構築していかないといけないのかもしれない。

って考え出したら、問題の根深さに眩暈がしてきた(笑)

ただ、これはうちのゼミに限定していうなら、(1)ビジネスという事象を〈金儲け〉ではなく、〈価値創造〉という観点からみること、(2)とことんまで問いを掘り下げること、(3)現象を抽象化することで、諸現象のあいだの関係性を明らかにすること、最低でもこの3点は必須です。

ここにいう〈価値創造〉とは、「他者が顕在的・潜在的に抱く欲望を、何らかの提案を通じて充足できるようにし、それによって対価を含む成果を自らも獲得する」と定義します。これは、ニックリッシュの経営学の出発点である〈欲望充足〉と軌を一にするものです。

定量的な分析ができるわけでもなく、また定性的なリサーチができるわけでもない。ましてやアイデアをかたちにする技術も持ち合わせていない。であるなら、とことんまで抽象化して、その根底にある〈意味〉を酌み出す以外に、何ができるというのか。

そこに、いわゆるビジネス的な分析手段を結びつけることができるように促進しなければいけない、それをあらためて強く感じました。これは、ゼミメンバーに向けて、という以上に、私自身に向けての鞭です。

経営×デザインということ、そしてそれ以上に。

今回、こういうまことに得難い機会をいただいて、あまりの得たことの多さに狼狽しているのが現状です(笑)今回、こういうまことに得難い機会をいただいて、あまりの得たことの多さに狼狽しているのが現状です(笑)

経営というと、すぐに金儲けとして捉えられがちですが、私はそうはみていません。もちろん、収益獲得が悪いとかそういう話ではないです。雑な議論をしてはならないというだけのことで。

じゃあ、経営ってなんやねん。

私は先ほど触れた〈価値創造〉がキーワードになると考えています。こういう表現をするのは大上段に振りかぶった感じで好きではありませんが、「協働を通じた価値創造の学としての経営学」というのが、現時点での認識です。つまり、経営=協働を通じた価値創造という理解です。

そこにデザインという概念が入ってきたらどうなるのか。大きく変わらないといえば変わらないのですが、むしろ根本的なところが充たされるといえるかもしれません。

デザインとは何であるのかを定義するのも難儀な話ですが、基本的な理解として〈使い手(の文脈)を念頭に置いたアーティファクトの構想と形成〉と言ってもそう外れてはいないように思います。

ここで価値創造とは何かをあらためて想起したいのですが、それぞれの主体が抱いている欲望やジョブを充たすような提案を創出し、その提案によって当該主体の内部に欲望充足の結果(欲望充足の過程の途中で生じることもあります)として価値が認識されるという事態、そしてそれに対する期待によって当該主体が対価を支払おうとする、あるいは提案によって引き起こされる当該主体の行為それ自体、もしくはその派生物(ペイメントによって得られる情報などはこれです)が提案する側に価値をもたらすとき、「価値が創造された」といえます。

もうここで価値創造とデザインが同一線上にあることはご理解いただけるかと思います。ただ、留意すべきは、ほとんどの場合〈価値創造〉は単独の主体によって実現されることはなく、複数の主体の協働によって実現されます。ここから先の議論はバーナードが前提になった話になっちゃいますが、この協働は協働体系(例:企業、学校など、一般的に「組織」と呼ばれる存在)の内部で生じることもあるし、協働体系外部で生じることもあります。一般に、外部で生じる協働を「コラボレーション」っていうわけです。

最近はデザインの文脈でもステイクホルダーって言葉が当然のように使われるようになりました。

じゃあ、ステイクホルダーって何?

こういうビジネスに関する概念をちゃんと駆使できるようになってほしいってのは、経営学(広義の)を学ぶ学生は意識してほしいところです。

経営学でもありがちですが、個々のステイクホルダーが何を期待しているのか、何を貢献してくれるのかを深く捉えずに議論しているケースが往々にして見られます。これ、けっこうまずいやつです。

私はシュミットの企業用具説を通じて学びましたが、バーナード的に言えば誘因-貢献関係、シュミット的に言えば用具的関係、最近の私の表現では価値交換関係をリアルに把捉しないと、ステイクホルダーって言葉はただの飾りにしかなりません。

こういった点を鍛え上げていくうえで、経営×デザインってのは、ものすごく大きな可能性を秘めていると思うのです。その可能性に直接触れることができたというのが、この2日間の最大の成果でした。

と同時に、経営学部の教員として何をしていく必要があるのかを痛切に考えさせられる機会ともなりました。それが、この投稿のタイトルにもつながってます。

〈境〉を知ること、超えること。

最近、越境の重要性がさかんに説かれます。その趣旨はよくわかります。

じゃあ、なぜ越境する必要があるのか?

これに対して、功利的な説明を加えることは難しくありません。オープン・イノベーションが可能になる、新しいアイデアを得ることができる、などなど。

その程度であれば、わざわざ越境なんかしなくてもいいでしょう。

越境するということは、自ら〈境〉を認識できなくちゃいけないわけです。自分に何ができて、何ができないのか。もっといえば、〈境〉ができるくらいまでに自分の〈得意技〉や〈型〉ができていないとあかんのです。それがあったうえで他の人たちと接するとき、そこに〈境〉が顕在化します。そして、その〈境〉を超えていくのが越境であるわけです。

今回、私も「〈境〉を超えることのおもしろさとしんどさ」を連週で痛感しています。越境は楽しいです。おもしろいです。でも、同時に「おまえは何ができる存在なのか」という問いをつねに突きつけられるしんどさもあるのです。それを乗り越えていくことをしない限り、新たな境地を切り開くことはできないんだろうなってのも、痛感しています。

もう少し、学生に向けて書こうかと思っていましたが、そんなことより自分自身にとっての学びがでかすぎました。

あとでアップする予定の日本デザイン学会第66回春季研究発表大会についての投稿のタイトル、「大きく輪郭線を描いたことのない人は、遠くにあるものの匂いを感じにくい」(by 安西洋之)を一つの支えとして、できるだけ大きく輪郭線を描き続けたいと思います。

おわりに

今回の合同祭り、安武先生&IOLのみなさんのお力添えで、実り多い2日間になりました!あらためて御礼申し上げます!

次回も開催できるよう(ぜひしたい!)に、こちらも精進します!

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