書きかけていた

現在私は外国語を学んでいるが、その際によく耳にするのが異文化交流、異文化理解、異文化。異文化、異文化だ。
異文化。異なる文化。育ってきた環境が違うということはすなわち少なからず「常識」がちがうのである。国際交流はそれを理解して初めて形となる。
実は人間の本質は何人だろうとほとんど変わりはない。わたしはこれまで多くの留学生たちとかかわってきてふとそんなことを思った。変わっている人もいる。いい人もいれば悪い人もいる。まじめな人もいれば怠惰な人もいる。これはその人の人格であり、決して国民性などというつまらないものが生み出したものではない。国民性云々の話はもはや血液型の話をするのと同じぐらい生産性がなく、バーナム効果と言っても過言ではないのではないかとすら思う。


日本で過ごしていた時、たまに韓国人だということで嬉しがってくれる人がいた。凄くありがたいけど…当たり前ですが自分は皆さまがみてきた「防弾」とは別の人間です。うちらもアイドルみると感嘆しますよ。

ある韓国人が私に送ってきた言葉である。

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