書きかけていた

帰国してテレビを始めてみたとき、全然知らない顔ぶれに驚いた。「フワちゃん」誰??である。
少し前の話になるが、テレビを見ていたら、アンタッチャブルの柴田さんがフワちゃんのように “敬語を使わない、大御所も呼び捨て” なタレントについて言及していた。
「敬語」
私の意見を書いておこうと思う。

まずはこのような芸能人の存在について、私の考えとしては「アリ」だ。それが彼らの魅力であり商材だからである。もっと言うなら、彼女たちが特別だと認識されるためには、みんながそうではだめなのだ。「タメ口、呼び捨てがいけないこと」という認識が前提としてある社会でなくてはダメなのではないかと思う。みんながタメ口で話すのが当たり前な日本になってしまったら、フワちゃんはただの「明るい奇抜なスポブラの子」になるだろう。(もちろん有名になるために様々な努力をしてきたのは間違いないはずだが)これはただ数回彼女がテレビに出ているのを見ただけの、私個人の感想である。
柴田さんが「めっちゃ嫌」と発言したことに対して、若槻千夏さんが「ダサい」とばっさり切り捨ててしまっていたが、それは果たしていかがなものだろう。今時の風潮に対して否定でな感情を持っているということを個人の意見として発言することは「ダサい」のか。「それなら直接言えばいい」との指摘もされていたが、感情に任せた暴論だ。そんなことを言ってはコメンテーターなどの仕事はなくなるだろう。友達であるという私情を含んだとても主観的な批判の仕方だったと思う。
昨今のタレントの自由さに、少なからず違和感を覚える人もいるのだ。柴田さんは番組内でこの話題を出すことをかなり躊躇している様子だった。批判があるだろうというのを重々承知で敢えて苦言を呈したということに対して私は「かっこいい」と感じた。「そういう時代かもしれないけど」で良いのだろうか?
「そういう時代」でいいのだろうか?
敬語がなくなればいいという意見を度々目にする。理由としては人と人の間に壁が生まれる、上下の身分が生まれる、単に面倒、など様々だ。また、日本人であるにもかかわらず正しい敬語を使うことができない人も多い。
「そんなの気にするの日本だけだよ」
「英語は敬語なんてないよ」
果たしてそうだろうか。
敬語がない言語なんてないのではないだろうか?


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