鎌倉遠足

こないだ、知り合いと鎌倉遠足へ行った。
せっかくの鎌倉なのに雨が降っていた。こんな時、シェイクスピアなら「雨も滴るいい鎌倉」とでも言うのだろうか。全然上手くなくて笑ってしまう。そんなことを考えながら、私は4歳児の相手をしながらバスに揺られていた。

4歳児はバスの中で、自前のビーズを私に自慢したり、おもちゃの化粧道具で化粧をした気になったりと、かなり忙しそうであった。私はそんな様子を隣で見守りながらこれから向かう円覚寺のことを考えていた。正直、寺など心底どうでもいい。しかし今回の遠足のスケジュールはほとんど寺なのである。こんなことなら、家にこもって4歳児にビーズを自慢される方がよっぽどマシである。そもそも私は神など信じていない。寺なら神ではなく仏だということなど、そんな当たり前のことは私も承知の上だが、私にとっては神も仏も一緒である。天国とか地獄とか、私にとってはかなり、というかマジでどうでもいい。

円覚寺に着いたが、案の定ものすごくつまらなかった。一緒にいた知り合いは、寺の作りを指差し、「この作りがねぇ、たまんないよねぇ」などと言っていたような気がするが、私は4歳児の三輪車を押してやるのに忙しかったので全く聞いていなかった。
円覚寺はとても広くて、4歳児はお決まりの如くぐずった。そんな4歳児を必死になだめる私の横で知り合いはまだ寺の歴史やら作りやら、いらない情報を私に発信してくる。こちらはそれどころじゃないのだ。4歳児の機嫌を取るのに必死なのである。

ぐずった4歳児をお菓子やジュースでなんとかなだめて三輪車に乗せ、私たち一向は徒歩で建長寺へ向かった。バスで行けばいいものを…なぜわざわざ歩くのか。こちらは4歳児がぐずって大変なのである。
建長寺でも4歳児はビーズで遊んでいる。正直、建長寺見学もビーズ遊びもどちらもやりたくない。そんな私の気持ちをよそに4歳児は私にビーズ遊びを強いり、知り合いは私に寺の知識を披露してくる。そんなことより、私はたばこを吸いたいのに、2人はそんな隙も与えない。
しかし4歳児は自由である。私と楽しくビーズ遊びをしていたかと思うと、「ママのとこ行く!」といきなり言い出し走ってどこかに行ってしまう。そのままずっとママのところにいてくれと、何度思ったことか。

昼食の予約をしている料亭へ向かうバスの中で、4歳児が、「今日はお出かけだからお化粧はしない」と言った。やはり4歳児の言うことは理解に苦しむ。「女の人はお出かけする時にお化粧するんだよ」と教えてあげたら、「なんでぇ?」と聞かれた。確かになんでぇ?と、私もつい思ってしまった。

4歳児を喫煙所に連れて行くわけにはいかないので、4歳児をなんとか巻いて、彼女の素朴な疑問をいつまでもモヤモヤと考えながら、私は料亭の喫煙所でモクモクとたばこを吸っていた。やはり苦労した後のたばこはうまい。ついでに料理も美味かった。4歳児はお子様セットに付いていたメロンを「いらない」と言ってママにあげていた。やはり4歳児は何も知らないお子ちゃまである。海老フライも衣だけ食べて残していた。理解に苦しむ。

その後、鎌倉大仏へ向かった私たち一向は、バスの中で寝てしまった4歳児をママと共に残して、鎌倉大仏を見学した。私は、いつ宇宙人に攫われそうになるか分からないので、一応身代わり守りを購入しておいた。そしたらお金がなくなってしまったので、知り合いにおちょこととっくりセットを買わせた。

鎌倉大仏を後にし、私はなんだか疲れてしまったし、その後の遠足スケジュールも別に行きたくなかったので、4歳児を置いて帰ることにした。
帰り際、4歳児に「バイバ〜イ♡」と言ったら無視された。そんなもんかと思ったが、今日1日の苦労を考えると割に合わない別れ方である。
4歳児に無視された私は、友達が1人しかいないのに9個のおちょこを片手にトボトボと家路に着いたのであった。

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