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遊びと遊び心の違い

遊び心が足りないなぁとふと思って、遊び心を大事にしたいなと思った心意気まではよかった。スローガンで終わって、そこから何も具体化しないのはありがちの失敗パターンだ。そんなパターンに気づかせてくれたのは、この本。

なぜ、気がついたかって?それは遊び心の言葉の解像度を劇的に高めてくれたからだ。書籍のタイトルにも遊び心が入っているけれど、遊びと遊び心の違いをはっきりとしてくれたことである。

遊び心は、遊びの文脈の外側で遊びを使う能力であり、事物や人や状況に対する、身体的・心理的・感情的な態度である。遊びが活動(activity)であるのに対して、遊び心は態度(attitude)である。

遊びは自己目的的な活動、つまりそれそのものを目的とした活動である。わたしたちは、まさに遊ぶために遊ぶ。一方、遊び心は態度ーなんらかの活動に特性を投影することーなので、自己目的的な性格を持たない。遊び心は、それが適用される活動が(もともと)持っている目的をそのまま維持する。遊び心は目的は変えずに手段を変えるのだ。

そして、遊び心は遊びを越えて広がり、遊びの生態系を広げる。

アスリートが遊び心を発揮して、試合の目的にとって最善ではないようなふるまいをすることもあるだろう。

遊び心が発揮された場面として、バスケットボール選手のマジック・ジョンソンが遊び心あふれるプレイ(⇔ゴールを目指す合理的なプレイ)が紹介されているが、僕がとっさに思い浮かべたのは、イチローの試合前の練習の背面キャッチである。実際に試合ではやっていない(オールスターゲームでやったのだろうか。。。)が、野球の守備という安全第一の風潮の中で、あえてリスクを犯して観客をわかせるのは、遊び心溢れるプレイの一つだろう。

そして、遊び心は、予定調和を破壊し、束縛から解放し、世界に新たな意味と可能性を付与し、世界を個人化し、遊びの意義を遊びの外側にまで拡張する。

遊びの撹乱的な性格を利用して、高尚化された遊びの文脈の慣習を壊すことができるのだ。
遊び心は、遊びから引き継いだカーニバル的な性格によって、わたしたち(の個性)を目的による束縛から解放する。遊び心のある流用は、文脈に自由をもたらすのである。
遊び心は、世界を再多義化する。つまりそれは、遊びが持つ特性を通して、世界をより形式化されていないもの、より説明されていないものに変え、世界を解釈したり、それに驚いたり、それを操ったりする可能性を開放する。遊び心を発揮することは、世界に多義性を付け加えるとともに、その多義性とたわむれることなのだ。
遊び心を通して、わたしたちは世界を個人化する。つまり、世界を自分のものにする。同時にわたしたちは、遊び以外の目的がそこにあることも依然として認めている。わたしたちは、遊びから生まれる創造的で自由な個人的表現を、遊び心を通して遊びの外側にある世界に持ち込む。そして、そうすることで世界を個人的なものにするのである。
遊び心は、型にはまった自己目的的な遊びの活動の外側にまで、遊びの意義を広げることを可能にする。同時にそれは、おもちゃのような遊び道具や、遊び場や競技場のような特定の空間から距離をとる。

続きは、また、読み進めてから。

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