人間が考える人間、という問いを多くの人に聞いてみたいと思っている

環境に流される愚か者である。

状況によって変わる気まぐれものである。

前提を疑うのは労力がかかる。

疑い続けるのはもっと労力がかかる。

行動に移すのは、さらに大変だ。

それを生活や仕事の選択に落とし込んだのが、2000年代。
選択するとき、自分が大切にしたい価値観を言語化する。
・その価値観は、育った環境の「ふつう」で培われる。
・義務教育の中で、脈々と植え付けられる。
・自分の琴線に触れた偶然の機会で芽が出る。

しかし、価値観というのは脆い。日常の習慣や生活、仕事のルーティンにおいて、大切にしないと目減りしていく。価値観と行為の一貫性がないことで、自分が蝕まれる。そのときに、多くの人は価値観をおかれた状況の「ふつう」にあわせて変えていく。出る杭の価値観は自ら引っ込めるか、自分だけの世界で大切に育てていくか、同じ価値観を共有できる仲間を創るようになる。価値観を追加することは難しくないが、根っこにある価値観は経験と状況によって生み出されているため、変えたくても変えられないものだ。

だから、場所を変える、仕事を変える、付き合う人を変える、という状況を変えることが価値観を変えることにもつながる。

一貫性があり、強くしなやかな価値観を持つ人は極稀にいる。そういう人は、周囲の「ふつう」に影響を与え、価値観と行動を変えていく。

ここまでつらつらと書いてきて、何が言いたいのか、というと、人は容易に変えられないし、本人が変わりたいと思っていても、変われるものではないということ。変わりたいと思ったら、変わりたいと思った方向を向いている地域、仲間、コミュニティ、職場に飛び込むことだ。だけど、その同質性の集団においても、個々人に個性というものが残るだろう。その個性を生み出す習慣と信念に、私はとても気になるのだ。

僕自身は、人間をこのようなパースペクティブから考えている。ただし、これは僕の意見だ。「人間が人間をどんな風に考えていると思いますか?」と聞かれれば、まったく違った意見になるだろう。そして、「人間はこれから、人間をどんな風に考えていくと思いますか?」と聞かれれば、それはまた異なる意見になるだろう。

1.人間は人間をどんな風に考えていると思いますか?
2.あなたは人間をどんな存在だと考えていますか?
3.人間はこれから、人間をどんな風に考えていくと思いますか?

いろんな人に聞いてみたい、問だ。

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