ギブソンとベルクソン(30)

時間とアフォーダンスの間に、なにかおもしろことが眠っているのではないかと思い、ここ最近は黙々とその手の本を読んでいる。




そして、いつものとおり、黙々と読んでいた内容を、メタメタとカフェと散歩と対話を通じてしていたところ、どうやら、ベルクソンも読んだほうがよさそうだ、ということになった、降ってきたのだ。アフォーダンスだけを読んでいてもつかみどころがなかったので、ちょうどよい助け舟だった。ということで、ベルクソンの『物質と記憶』や『時間と自由』を読んでみようと考えている。

なんとなく気になって、とりあえず手にとって、あてもなく読んでいるわけだが、どこかで言語にしてまとめる必要があると思っている。ただ、闇雲に読みすすめていくと、この読書を通じて、頭に宿った思考がもったいない。そこで、noteで思考を外化することにし、これから8月ごろまでは、このあたりに焦点を絞って書いてみたいと思う。

おおよそのキーワードは、下記である。
知覚、気づき、見方、アフォーダンス、シグニフィアとデザイン、光と変化、持続と時間、時間の主観性、アフォーダンスと学び、イマージュとアフォーダンス、意思決定とシグニフィア、人間像の価値観の変遷などだ。

キーワードは羅列できるが、この探究の目的と到達地点はどこにあるのか、それはよくわかっていない。ただ、この探究で見たいと思っている自分なりの欲求であり、希望について考えてみた。

1.時間を面白がり、好奇心を満たすこと
2.時計がアフォードしてきたことをまとめ、これからの時間と時計のあり方を考えること
3.「気づき」とアフォーダンスの関係性、そしてそこからジェネレートされる主体の学び〈おもしろがり)と行動変容の可能性を探ること

僕は真理を突き詰めたいのではない。その能力も体力もない。それよりも、時間の持つ可能性を広げたいし、広げた可能性を社会実装したいのだ。最後に、一つの問題設定にまとめるならば、

「時間への気づきや疑問をスタートにした面白がりは、行動変容へつながるのか、つながらないならば、どこにたどり着くのか?」である。



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