「350万円」の重み。

山梨県が世界に誇る世界文化遺産といえば、
そう、もちろん、「富士山」である。

この富士山のふもとに富士河口湖町というまちがあって、そこでは年に1回映画祭が開催される。この町には、映画館が「無い」のにも関わらずだ。

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「富士山・河口湖映画祭」という名のその映画祭は、2008年からスタートして、今年2月で10回目の開催を数えた。単に完成した作品を上演するだけではなくて、富士山や河口湖にちなんだシナリオを募集し、コンテストにかけ、優勝作品はじっさいに撮影をし、翌年の映画祭で上演するという、ユニークなアイディアを持っていた。

この映画祭は、じつは、今年で幕を降ろすらしい。

どうやら資金繰りが滞ることが最大の原因だと聞いた。

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映画祭を運営するのに必要な予算は毎年350万円。想像するに、それでもカツカツのなか運営されていたのだと思うが、この予算はほぼ全額、富士河口湖町が負担をしていたようだ。

折からの景気後退や、国からの地方自治体への助成の減額など、さまざまなのっぴきならない要因で、富士河口湖町自体も苦渋の決断だったのだと思う。いろいろな思いがあるはずだ。

「費用対効果が(明確に)みえない」というのはたしかにそうかもしれなくて、文化というものはそこに明確な商品があるわけでもないし、それを大量生産して薄利でもボコスカ売って利益を出す、みたいなこともできない。殊によほどの話題作でもない自主制作の映画といったら、全国の上映館をあたってなんとか上演にこぎつき、お客さんに見てもらって、口コミで評判が広がっていって上映館が増えていって、その長い道のりの中でどうにか採算がとれるかどうか、みたいな状況も少なく無いと思う。

10年続いた映画祭が終わってしまうのは心寂しい気持ちがするが、その一方で、「そうか、350万円が出なくて、終わってしまうのか」とも思う。

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たとえば、だ。

僕が、自分の生活費より、350万円余分に稼げるようになったら。どうだろう。

この350万円を毎年まいとし投資として、「富士山・河口湖映画祭」に提供する。映画祭は存続される。

お金を稼ぐことはとてもたいへんで、人が一人生きていくということ自体が、すでにもう、超たいへんだ、という現実には、すでに毎日直面している。

食費を削ってレッスンに行くか。レッスンを今週休んでちゃんとしたものを食べ、自宅でしっかりトレーニングするか。そういう選択をしながら歌ったり踊ったり芝居したりしている。

だから、350万円余分に稼ぐということが、とってもたいへんなのはよくわかっている。けれど、世の中には、それぐらいの金額、1日でもひょいっと稼げるわ、という人が存在しているのも知っている。

うーん、なんて世界は不平等なんだ。
でも、それでいいんだろうな。全員が平等にってやり出したら、そもそもこんな映画祭なんて、生まれさえしなかっただろうから。

ああ、350万円。

僕は、お金持ちになりたい。そう、お金持ちになりたいのだ。

そして、その有り余ったお金を、こういったことに使いたいのだ。
僕は決めた。もし僕が売れて。あるいは、何かビジネスを思いつきそれが当たって、350万円の余剰金ができたのなら。必ず、「富士山・河口湖映画祭」のパトロンになろう。

それ以外にも、投資をしたいところは山ほどある。二期会にだって、新国立劇場にだって、山梨で文化活動をしている人たちにだって、小劇場界で頑張っている演劇仲間にだって。

芝居や音楽は、教育や介護、コミュニティの形成なんかの現場でとても有益な効果を上げられるのだから、そういった活動への支援だってしたい。

若くして才能のあるパフォーマーに対しての奨学金みたいなものだって、出せるものなら出したい。お金のことを心配しながら芸事を突き詰めていくってのは、やっぱりたいへんなのだ。

あるいは、資金があればそれを元手に人を雇い、山梨の文化業界に波を立てられるような活動もできるだろう。

ああ、なんでいま僕はこんなに貧乏なのだろう。

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ということで、やはり僕は、お金持ちになりたいのだ。


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