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そんな予感がある。


なんて素晴らしいことだろう。

朝起きて、天気が良くて、カーテンを開けて寝室に光を入れる。

リビングの扉を開けて、メンフクロウのジェームズ(一緒に暮らしている)が元気かを確認して、「ジェームズおはよう」と声をかける。(当然彼は僕に対して特に興味もないので、こちらを一瞥したのちにまた自分の世界に戻っていく)

ポットのスイッチを押して湯を沸かしてそれを飲む。携帯とスピーカーをBluetoothで繋ぎ、そのときの気分にあった音楽をかける(今朝はBIGYUKIだった)。飴釉の片口にレトルトの小豆粥を移してレンジにかける。お粥が温まるまでの時間で冷凍しておいたジェームズのご飯を流水解凍にかける。

お粥が温まったらそこに黒ゴマをかけてジェームズを眺めながら、音楽に耳を傾けながら食べる。窓の外の空を見上げれば5月の澄んだ青空だ。ジェームズは熱心に羽繕いをしている。見るたびに、よくもまあ首が背中側まで回るものだと感心する。

簡単な朝食を終えたら器を流しに置く。洗い物は後回しにする。

リビングのテーブルでパソコンを開き、4年前に書いた文章のファイルを探す。なんとなくそいつを書き直したい気分になったから、どこにどのように変更を入れるかの構成を考えるためにプリンタで印刷にかける。何かを考えるときには紙に印刷されたものが相手でないと上手く考えがまとまらないのだ。ディスプレイの上に表示される光の粒で構成される文字だと、どうにも目が滑っていくばかりになる。

印刷が完了するのを待つ間にざっとシャワーを浴びる。

気候が暖かくなってきたからドライヤーをかけるのをサボることにする。タオルでしっかり水気をとったらそのまま、少しだけ運動をする。舞台の期間中は自ずと体を動かすことになるが、公演がない期間は自分で自分の体を動かしてやらないといけない。

とはいえ、僕は自分の身体に対してストイックな方ではないから、簡単なストレッチと簡単な自重トレーニング、そして関節の柔軟性を失わないために申し訳程度のエクササイズをやる。音楽はBIGYUKIからいつの間にか、関連性のありそうな他の現代ジャズアーティストのトラックに移っている。リズムに合わせたり、リズムを無視したりしながら体をのんびりと動かす。


印刷が終わったようなので音を止めて、赤ペンを持って昔書いた文章を読み返す。良い部分もあるし、説明が足りなさすぎるところもあるし、説明しすぎている部分もある。もっと意外性が欲しいところにエピソードを挿入する印をつける。不必要な言葉には二重線を引く。

親しい友人に頼んで書いてもらった、その文章にちなんだ楽曲のファイルも探して聞いてみる。彼の作曲能力は本当に素晴らしくって、この曲の魅力に負けないくらいの文章に書き直さないといけないなとあらためて思う。


冷蔵庫の野菜室が空っぽになってきたので、近くの八百屋まで自転車で出かける。春キャベツ、きのこをたくさん、新玉ねぎ、小松菜、きゅうり、卵、豆腐を買ってくる。

さっそくきのこを炒め、豆腐は味噌汁にし、炒り卵を作って、バタートーストと一緒に昼食にする。ジェームズは遊び道具としておいてある段ボールを一心不乱に齧っている。音楽をかけようかと思ったけど、カシカシというくちばしの音が可愛いのでそれを聞くことにする。

なんて素晴らしいことだろう。



数日前に、大きな仕事にひと段落がついた。

自分ひとりの力では辿り着けない地点で、自分ひとりの力では見ることのできない景色を見れた。大きな作品に携わるときには、人の力が集まることの偉大さをいつも感じる。

商業ミュージカルはチーム戦だ。誰かひとりが素晴らしければそれでいい、ということには決してならない。いや、もしかしたらそれで済んでいた時代ももしかしたらあったのかもしれない。わからないけれど。

しかし少なくとも、近頃、この生活の厳しい世の中のもとで、それでもなお劇場に通ってくださるお客様たちは、非常に目が肥えていて、厳しい視点も持っている。

だから、誰かひとりがよくっても、その空間が「総合体として」良くなければ、その不完全さをたちまち見抜いてしまう。大きな作品で僕らがやるべきことは、自分の魅力と能力を存分に発揮しつつ、チームの状態がベストになるポイントをそれぞれに探ることだ。

その営みに携わるたびに、僕はたくさんの学びを得るし、自分自身のスキルアップにもなる。自分ひとりの力では会えないような人たちと一緒に仕事ができるし、自分ひとりの力では会えないような数のお客さんの前でパフォーマンスをすることができる。


反対に、大きな仕事のない時期の生活は、とても地味だ。

でも僕は、僕自身の人生として、その地味さが好きだ。

作品に向き合っていると、なかなか本を読む時間も取れない。映画を見たりすることも難しい。見たい芝居や展覧会に足を運べないときだってある。料理もなるべく少ない時間で仕上がるものに限定されたりもする。

けれど、いまの僕には自由な時間がいっぱいある。だから、のんびりした時間のなかを、自分のやりたいことを優先して塗りつぶすことができる。モノを書いたり、しっかりとした昼食を作ったり、ぼんやりとジェームズの姿を眺めたりできる。


先に決まっている仕事や、参加する予定のワークショップや、6月と7月のライブ出演の準備を見据えてやらなきゃいけないことをリストアップすると、それほど悠長なことは言っていられない感じもある。が、そうはいってもそういった作業の合間で、自分のやりたいことを組み込んでいく余裕だってしっかりとある。


世はどうやらゴールデンウィークらしい。どこかに遊びにいったり、のんびり過ごしたりしている方も多いのだろうか。

僕は特に、ゴールデンウィークは関係なく過ごしている。けれど、たっぷりと与えられた自由な時間の中で、テキパキと自分のやりたいことを積み上げている。


いろいろなことが動き出していく。そんな予感がある。







読んでくださってありがとうございました!サポートいただいたお金は、表現者として僕がパワーアップするためのいろいろに使わせていただきます。パフォーマンスで恩返しができますように。