【いそがしいとき日記】その35
目まぐるしく変わっていく日々の状況のなかで、「こんな気持ちもたしかにある」というのを記録するために書いてみます。
元来、僕は外に遊びにいくことが苦手です。そして、友だちと遊ぶこともあまり得意ではありません。
小学生の頃の放課後、ほとんどは家でテレビを見たりゲームをしたりしていました。週に2度のサッカーの日は、なんとかだましだまし行っていました(土曜の夕方に放送していたハンター×ハンターが観たくてサボったこともありました)。
毎日下校して家に直行してそのまま誰とも遊ばないでいると、まるで友だちのいないやつみたいに思われるんじゃないかと、それを恐れて「放課後遊ぶ相手がいないわけじゃない」という既成事実を主張できるぐらいには同級生の家に遊びにいっていました。
中学の頃はバスケ部に入っていて放課後は基本的には部活だったけど、特にバスケが好きだったわけでもないから3日に1度はサボっていました。家に帰って、テレビを見るかゲームをするか、あるいはギターを弾くかパソコンをするか本を読むか、そんな感じでした。
休日に誘い合って外に遊びに出かける友だち、みたいなものはほとんどいませんでした。
高校になるとようやく、吹奏楽部の仲間と部活後にファミレスに行ったり、休日に演奏会を聴きにいったりしましたが、カラオケに行くとか、お祭りや花火大会に行くとか、イオンに行くとか、そういうのにはてんで興味がありませんでした。
いまも、僕の友人関係はひじょうに狭く、限定された仲間との限定された交流がときたまあるぐらいです。
「飲もうぜ」と外に出るきっかけをくれる友人はひとりだし、その他の友人たちはどちらかというと僕と同じ属性で、比較的インドア派。散歩の途中で見つけた花の写真を送りあったり、面白い本を読んだら情報をシェアしたり、そんな感じの交流です。
さて、そんなこんなで新型コロナ。いろいろあって外出自粛の要請。
さまざまな不便と、困惑と、不安と、経済的打撃と、もしかしたら絶望、いくつかの別れ、そんなこんなで日々が過ぎていき、いまはもう6月になりました。
政府による緊急事態宣言は解除され、引き続き感染対策は取りつつも、東京の生活は少しずつ「以前」のかんじに近づいているようです。それはもちろん、喜ばしいことでもあります。
でも。でも、でも。僕の心の中には、こんな思いもあるのです。
「ずっと家にいるの、心地よかったな・・・・」
あの、もちろん、舞台の仕事がなくなったり、飲食や音楽や演劇や踊りや映画や美術展が身動きの取れない状況に陥っていたということはとても切なかったしやるせなかったです。そして、それらの再開の目処がついてきた、ということは嬉しいことです。
でも、そういう気持ちもたしかにありながらも、僕の心の中には、何を求められるわけでもなく、背追い込むべき責任があるわけでもないこの奇妙な「外出自粛」の時期の生活の心地よさへの愛着みたいなものが、そっと鎮座しているのです。
まるで、いつのまにか自分の部屋に住み着いていた小さくて白い猫のように。
現代という時代が進んでいくスピードはとても早くて、SNSを中心とした「発言や表現をすることを前提とした自分メディア」の蠱惑的な魅力も強くて、「発信をしなければ存在しないと同じ」と錯覚するような "自己肯定感満たすぞゲーム" はある種のラットレースみたいな様相を呈しています。
そんななかで、「何もしないことがいいこと」という数ヶ月が突如頭の上に降ってきたのは、僕にとっては幸せなことだったのです。
いや、もちろん、この数ヶ月のせいで、経済的困窮を極めている方や、その他ありとあらゆる種類の苦悩や悲しみを抱えていらっしゃる方がいることは重々承知なのです。
でも僕は幸運にも、それほど経済的にも困窮せずに済みましたし、健康についても問題がありませんでした。これは不幸中の幸い。そんな自分の境遇をありがたいなと思います。
しかしながらこのありがたさと、「何もしないことの幸せ」は別物なのです。僕にはたしかに「誰に何を要求されるでもなく自分の気の向くままに過ごした日々の幸せ」があったのです。
その「気ままな日々」もどうやらそろそろ終わりを迎えるようです。
世間はなんとか経済活動を「できるかぎり以前と同じように」再開しようとしています。満員電車にすすんで乗りたい人なんてほとんどいないだろうに、と思うんだけどなぁ、僕は。
だから今は、仕事場に近いうちに再合流できるかもしれないという期待の心と、その傍らでこの気ままな日々に名残惜しさを感じる心とが、僕のなかで同居をしています。
人間、けっきょくは無い物ねだり、ってことなのかなぁ。
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しかしまあ、いまの状況で劇場を再開するっていうのは、相当の気遣いと覚悟が必要ですよね。
今日は、巨人軍の選手に新型コロナウィルスの陽性反応が出たということで、予定されていた練習試合が当日に中止になったという報道がありました。
これは絶対って言い切ってもいいと思ってるけど、ここ1ヶ月のうちに必ず、演劇業界からも稽古場や劇場公演に参加している関係者から、新型コロナウィルスの陽性反応が出る人、いますよ。
どれだけ個々人が感染防止の努力をしても、どれだけカンパニーで感染対策をしても、自宅と稽古場での行き帰りとか、外出自粛期間よりも外出者数が増えたスーパーやコンビニや駅や電車内とか、どこでウィルスに感染しても、おかしくないですから。
と言いつつ僕は、「だから稽古も本番もやめろ。経済活動もやめろ」って言いたいわけじゃなくて。
可能な限り対策をした上でも、いわば不可抗力的に発生してしまう感染っていうのはかなりの確率であるだろう、と思っているということです。で、それに対して、過剰に非難したり叩いたりするのはやめようよ、と思っているということ。
例えば僕はこれまで、本番期間中にインフルエンザにかかったこと、ないんですけど。これはただ単に、運が良かっただけだと思っています。
もちろん、予防接種はするし、手洗いもいつも以上に気をつけるし、寝不足にならないように気をつけるし、栄養バランスにも気を配ります。でも「だからかからなかった」とは思わない。たまたまかからなかっただけだな、って思います。
稽古の期間中にインフルエンザを発症して1週間ぐらい休養を取らざるを得なかった共演者の方とかいらっしゃったけど、その人がまったくインフルエンザの対策をせずに、怠惰だから罹患したとも思わないです。
舞台に携わる人間なら、体調管理の重要性とその難しさは、誰もが痛いほど知っているわけですから。
演劇や芸術は、スケープゴートになりやすいというのは、ここ最近の出来事を振り返らずとも、歴史を見れば理解できることです。
そのリスクを負うことを覚悟の上で、劇場再開に向けて動き出している方々に心からの敬意を示したいと思います。
自分がいつの日か再び劇場に立つときに、どこまできめ細やかな自己管理ができるだろうかと、僕自身は不安に思っています。これまでだったら、軽度の風邪であれば、ベストコンディションではないにしろステージに立つことはできたわけですが、これからは、たとえその咳がSARS-CoV-2によるものでないとしても、咳症状があるだけで一発アウトでしょうからね。シビアや。
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