情報量の差が、価値を生む


昨日も書いたのですが、
僕は俳優さん向けに、楽譜の読み方を教えるっていう講座をやってます。
グループレッスンは月に1〜2回ぐらいのゆるい頻度ですが、
それとは別に不定期で、希望のある方との個人レッスンもやります。

僕が人間として凄いから
そういうことができるわけではありません。

人に何かを教えてるっていうと
「すごい!先生なんですね!」みたいに言われるけど
別に、僕の人格がどれだけ立派かみたいなのは
ぜんぜん関係ないわけです。

僕が、俳優さんたちに楽譜の読み方を教えることができるのは
そこに「持ってる情報量の格差」があるからです。
ただ、それだけの理由です。

教えられるから、先生だから「偉い」わけではないのです。

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僕は大学4+1年間(笑)を通じて、
クラシック音楽を勉強してきました。

声楽が専門だったので、歌の技術はもちろんですが
歌うための準備段階として絶対的に必要な、
楽譜を読む技術というのも、時間をかけて学びました。

というか、大学に入る前から
「楽曲の構成」とか「テキストの解釈」みたいなことには
とても興味があったので、
大学の受験勉強の範囲を超えて、
オーケストラや吹奏楽のフルスコアを分析してみたり、
作曲家や指揮者や音楽学者が書いた本を読んだり、
著名な演奏家のインタビュー動画を見たり、
楽譜を読むことに直結しそうな学びは
いろんな角度からやっていたように思います。

大学出てからも演奏活動や日々の練習のたびに
楽譜を読むという作業からは逃れられないわけですから、
一般の方の人生と比べれば、
かなりの時間数、楽譜と対面して生きてきたのは明らかです。

で、そんな僕が楽譜の読み方を俳優さんに教えることができるのは、
楽譜を読んだり楽曲を演奏したりする過程で、
僕の人間性が育まれ、教師にふさわしい素晴らしい人格者になれたから
ではありません。一切。

たまたま、他の人よりも楽譜に触れる時間が長く、
そこに書かれていることを読み解くための知識や
書かれていることを解釈するときに
明らかに間違いである選択を排除できるだけのサンプルを
経験として持っているから。
ただそれだけの理由です。


たとえば、デリケートな問題ですが、
猥褻行為などで逮捕された小学校教諭がいたとして。
でも彼は小学生たちに、足し算や九九を教えることができます。
それは、その人の人格が優れているからではなく、
子どもと大人という経験の差から生まれる
情報量の格差があるからこそ、教えることができているのです。

どんなに優れた人格者の小学校教諭だとしても
10歳で大学院レベルの数学を理解できる天才児に
足し算の仕組みを正確に教えることはできないでしょう。
人に優しくすることの大切さや、失恋からどう立ち直るかの方法は
教えることができるかもしれませんが。

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自分にとってどうってことないと思える知識でも、
他に人にとっては喉から手が出るほどに欲しい情報だったりする。
そんな可能性は、どこにでもあります。

僕はわざわざ芸大卒の音楽家に
「楽譜の読み方教えてあげるよ」なんてことはいいません。
そこでの情報量の格差は、無いに等しいですし、
多くの場合、相手の方が楽譜を読むことに熟達していて
僕の方が学ぶことがたくさんあるって事態になるだろうからです。笑

でも、そういった人には無価値な僕の知識でも、
提供する場さえ選べば、有益な情報になりうる。

価格が低く得られる場所で仕入れ、
より高く売れる場所で売る。

これは誰もが知っている商売の基本ですが、
情報についてだって同じことが言えます。

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さて。
そんな、誰もが理解できるような真理にたどり着いたとき
そこから先、僕はどうしたらいいのか、と考えます。

僕はこれから、俳優と歌手として、生きていこうと決めています。

きっとこの生き方から学ぶ多くの事柄は、
サラリーマンをやったり、起業をしたり、
雇い主から給料を得ながら生きる生き方から学ぶこととは
まったく違うのではないかなと思います。

この情報量の差に、僕はとても可能性を見出しています。

とはいえ、
その情報量の差を利用して、業界の裏話を暴露しながら、
そのゴシップ記事の原稿料で食べていこうとか、
そういうことではないのです。

たとえば一昨日、昨日と、
表現者の立場からのエントリを投稿しました。

ひとつは、
「アンサンブルという役割で舞台に立つときに心がけたいこと」
みたいな内容。

もうひとつは、
「楽譜を読むことであらためて見えてくる、レ・ミゼラブルのすごさ」
みたいな内容。

こういう内容って、やはり、
1日のうちの多くの時間を、舞台や音楽のことについて考えているような
生活をしていないと、行きつけない着地点じゃないかなと思います。

で、そういう生活の「外側」にいるような
お客様やファンの方にとっては、
なかなか持ち得ない情報なのではないかな、と。

でも、上の2つのような観点って、
舞台作品や音楽作品を観るときに知っていると
鑑賞の仕方のバリエーションを、ひとつ拡大するような
そんな内容だと思うのです。

僕は表現者として、
ひとりでも多くの「良いお客様」に
自分のパフォーマンスを観ていただきたいから、
「本当は知ってたら鑑賞もより豊かになる」ような情報は
積極的にシェアした方がいいと考えています。

「プロの手の内は見せない」のが常識、
みたいな時代もあったのでしょうが、
これからはすべての人がクリエイターになる可能性がある時代。

クリエイターの視点を持った鑑賞者が、
絶対的に増えていく時代なのです。

それに先んじて、
プロのクリエイター・パフォーマーの端くれである立場から僕は、
「一般には知られてないはずだけど、知っててもらった方が有益」
という情報は、ガンガン発信していきたいのです。

僕の書いたことによって、鑑賞者の解釈が限定されてしまうのは嫌ですが、
「こういう観点もある」という選択肢のひとつとして、
誰かしらの心に刻まれたら、嬉しいなと思うのです。


そうやって、鑑賞者の視野が広がり、
その観点が多層化・多角化していくことは、
舞台の上に立つ表現者にとってはとても苦しい状況です。

無知な観客にはバレずに誤魔化せていたようなことが
バレるようになっていく、ということですから。

観客のレベルが高ければ高いほど、
中途半端な実力の表現者は淘汰されていくのです。
そしてその分、残ったものの実力は向上し、
市場に供給される作品の品質も向上していく。

僕は、それぐらい洗練された市場でも
ちゃんと生き残ることができるような
実力のある表現者になりたいのです。
そのために、日々、努力をしています。


ひと昔前でしたら、
世間に対して自分の考えを表明するには
雑誌や書籍やラジオ、テレビの力を借りなければいけませんでした。
そこに取り上げられるには、とりあえず有名である必要がありました。

でも、いまは違います。
インターネットを利用すれば、
僕みたいな無名の俳優であっても、
数百人、数千人、ときには数万人の方に
自分の考えや思い、自分が持っている情報を
届けることが可能になったのです。

これを利用しない手はありません。

ということで、僕はこれからも
作品や楽曲の裏側や、表現者が何を考え舞台に立っているのかや、
「観せる側」として本当はお客様にキャッチしてほしいことなど、
いろいろな情報をみなさんとシェアしていきたいと思います。

読んでくださってありがとうございました!サポートいただいたお金は、表現者として僕がパワーアップするためのいろいろに使わせていただきます。パフォーマンスで恩返しができますように。