音楽のはじまりは芸術じゃないと思うんだよね。

音楽とは何かを定義してみる記事を書いたんだけど(https://note.mu/yamanononote/n/na09390a69195)、もう少し詳しく書いてみようと思う。

僕としての定義は

音楽とは、宇宙にある音に秩序をもたらそうとする営みのこと

というもの。

この定義のすごいところは、すべての音楽にちゃんと当てはまるというところ。自画自賛だけど。笑

世界中には本当にたくさんの種類の音楽があります。にもかかわらず、音楽をたとえば「音で美を表すもの」とか言っちゃうと、芸術や美を第一次的に目指していない音楽は、その定義の指の隙間からこぼれ落ちちゃうワケ。たとえば、アフリカの民族の子守唄とか。それはとっても切ないことじゃないですか。どれも音楽なのに。

でも、「宇宙にある音に秩序を」ってすると、すべて拾えると思うのです。ガムランにはガムランの秩序(独自の楽器や理論)があるし、雅楽にも雅楽の秩序があります。クラシックは秩序を基盤にして発展してきたわけですし、そこから派生してるジャズとかポップスも同じレールの上にあります。

秩序、というと堅苦しいけど、つまりルールということです。

で、それぞれの音楽の秩序のなかで、芸術性を目指したり、即興性を目指したり、祈りのツールにしたりしてるわけです。

僕はクラシック音楽について日々考えてるので、クラシック音楽のルール(=秩序)に親和性があるんですけど、これの元をたどっていくと「古代ギリシア」にいきつくんですよね。

古代ギリシアというと哲学や自然科学が隆盛を極めた時代で、「この世界とはなんなんだ」「生きるとか死ぬとか、どういうことだ」「善く生きるとは何か」ということをいろんな人が考えてたんですけど、その流れで、「宇宙に存在するはずの天体の音楽ってどないやねん」って考えた人たちがいた。

で、音を観測して振動だってことがわかって、オクターブが1:2の関係だということがわかって、そのあいだをうまいこと埋めそうな音を基音からの5度関係で導き出していくと、7音の並びができた。それによって、旋法で奏でられる音楽というのが成立した。

これ、宇宙にある無数の音のなかに、秩序を見つけていったこと以外のなにものでもないですよね。というか、それ以前に、音を観測しようとした時点で、その波に周期と再現性がある"楽音"が対象とされたわけです。いわゆる噪音というのは秩序から除外された。

うわーーーー、なんか難しいはなしになっちゃったよ。まあ、いちばん大事なのは、いまの僕らにとってとてもポピュラーな「ドレミファソラシド」の音楽は、「この世界ってなんなんだろう」という哲学の範疇からスタートしたってことだと思います。

----------

ちょっと話は変わりますけど、「クラシック音楽」という言葉。この「クラシック」の意味ってご存知でしょうか。

古典とか、古いとか、そんなような意味だと思ってる方もおられるかもしれません。

この話は、僕がたいへんにお世話になった俳優さんから教えていただいたのです。音楽の専門家の僕が知らずに、人から教わって初めて知ったのですが。

クラシックは、古代ローマの最上階級市民をさすラテン語の"classici"という言葉が、「第一級の」を意味する形容詞"classicus"に変化して、そこから"classic"と英語になっていったとのこと。

たとえば、WBCと略される野球大会は、ワールド・ベースボール・クラシックですね。世界で最も上級の野球大会ってことです。

だから、クラシック音楽とは「第一級の音楽」「最上級の音楽」という意味なんですね。なんか偉そう。

ただ、なぜクラシック音楽がクラシックと名付けられたのかというと、そこに明確な秩序、つまりルールがあり続けたからだと思うのです。

古代ギリシアで発見された旋法は、新興宗教だったキリスト教に採用され、その布教過程でヨーロッパに広まります。聖歌で用いられる際に教会旋法へと発展し、悪魔の音程を避けることで「ドレミファソラシド」の音楽へと転じていきました。その後も和声法などを含め音楽理論として様々なルールが付け加えられていき、活版印刷の普及と共に音を紙の上に書き留めるための"記譜法"というルールもできあがりました。

ヨーロッパの文化は、数多の学問のように理論で体系づけられたものを重んじる傾向があります。理性がもっとも尊いという思想ですよね。

だから、その他の民族音楽よりも、教会に庇護され、その下で様々なルールによって秩序を身につけていったある種の音楽を「最上級だ」と呼んで、クラシック音楽と名付けたのでしょう。

--------

僕としては、べつに、クラシック音楽が最上級だーと思ってるわけではありません。日本の音楽だって好きですし、フラメンコやインド音楽も好きです。

それに、音楽が芸術であるべきだとも思いません。クラシックはたまたま芸術志向が高いだけであって、心が休まる音楽としてのお母さんの子守唄なんて、ベートーヴェンの交響曲と比べても遜色のない価値があると思うのです。人間として。

それでも、やはりどの文化圏のどの音楽も、よくよく見るとそこにその音楽としての「秩序」が見えてくる。

というか、その文化圏の人間が、そこに根付く文化に照らし合わせて音に秩序を与えてきたことによって、ただの自然音が、音楽たらしめられている。

僕はそう感じます。

読んでくださってありがとうございました!サポートいただいたお金は、表現者として僕がパワーアップするためのいろいろに使わせていただきます。パフォーマンスで恩返しができますように。