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いちじがばんじ。


余裕がないとなかなかできないけれど、ものごとをちゃんと判断しながら生きていくためには欠かせないよなぁと思うことがあって。

つまり「第一次情報に当たる」ということなんですけど。

世の中、日々、いろんなことが起きて、それにたいしてさまざまな言説・情報・噂・悪口などなどが耳に入ってきます。

ある出来事に対しての「リアクション」として世に放たれた言葉たちはぜんぶ「二次情報」だし、その二次情報のリアクションとして発信された言葉は三次情報・四次情報だし、この辺になってくるともともとの論点がなんだったのかは全く見えなくなって、みんなで蜃気楼に向かって拳をあげてるみたいになってくるわけで。


話の出発点がまったく違うところで話し合いを積み上げても、まったく噛み合わない会話になってしまうのは当たり前なことなんだけど、けっこう世の中には話の出発点が違うからまったく噛み合ってない会話が氾濫してますよね。


僕はふだん、舞台の上にモノやセカイを作る仕事をしているんですけど、この制作過程でも「思考の出発点をどこにするか」ってけっこう大事だなと思うことが多いです。


例えば以前、江戸時代の百姓の役をやったことがあるのですが、稽古の序盤はまったくその世界観とか身体感覚とかがわからなくってずいぶん苦労したんですね。

で、そんな僕を見かねて先輩の俳優さんたちが「黒澤映画を観たらどうだ」とか、いろいろアドバイスをくださって。でも、そのアドバイス通りに黒澤監督の映画を観ても、僕にはどうもピンとこなかったのです。

この画面の向こうの”百姓”たちも、江戸時代の人物ではなくって昭和に生きた俳優たちが想像の上で作り上げたキャラクターだもんな、と感じたのです。それを参考にしたら、模倣の模倣じゃん、っていう。

でも、江戸時代の人々の生活の姿は当然映像としては残っていないし、どうしようかなと考えあぐねたところ思いついたのが、浮世絵の存在でした。

江戸時代に生きた絵師たちがその目で見た江戸時代の人々の生活を、その”江戸時代に生きる”身体を通して描き留めた浮世絵は、僕にとっては黒澤映画以上に説得力のある「一次資料」に思えたのですね。

で、じっさい、その後のお芝居のイメージは自分の中でかなり説得力のあるものになっていった実感がありました。


翻って、いま。

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