【#一分小説】適音《第十二話》
『「思い出なんて、いらない。」と。
「喜びも、哀しみも、怒りも、憐れみも、メロディーの邪魔になる」という類のものだ。
こうなれば、「社会なんて以ての外。文化を操作出来るなら、言葉は今を超えられない。」と、こうくるわけだ。』
デンハムの紙袋から、裁ちばさみだけ取り出し、ディキンソン夫人は、シワシワの500ミッケル紙幣を叩きつけ『春朽ちて』の前半の山場を再現してみせた。
『春朽ちて』『ミゲール』『大トラ・サンダー』(※昔は『大トラ・サンドラ』と呼ばれていたが、これは誤訳で、後版では修正されている。)『機械』などの演目は、ディキンソン夫人の学友・マキシムが手掛けたものだが、ウイスキーをかっくらった勢いとはいえ、夫人は、敢えて彼の中でも一番表現の危うい『春朽ちて』をわざわざ演じてみせた。そのこと自体に驚きすぎて、私はしばらく席を立てなかった。
外は雨が降っていた。
6月も、とっくに終わっていた。
しかし、『とっく』とまでは言い過ぎではないか。
そもそも、『とっく』という言い草はないではないか。
とっく……とっく……とっくとっく……
(つづく)
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