地味な男

これは、一人の中学生の話である。

彼の名前は秋生、秋に生まれたから秋生、大変分かりやすい名前である。

彼は大変地味な男であった。
狭いコミュニティである義務教育中でさえ、そういえばそんなやつがいたなという程度で、そんなやついたっけなんてことも珍しくはなかった。

しかし彼はごく一部の人間にはよく知られた変人で、彼の周りにはあぶれ者や変人が集まった。
はっきりとは話さないが人に言えないと秘密を抱える者も多かった。
彼もその秘密について察しながらもそれに触れることは無く、しかしそういう人には自分の抱える似たような秘密はさらけ出した。

彼の周りに集まるのは、特に芸術系を得意とする人間と、やけに音楽が好きな人間と、居心地の悪い環境に身を置く人間だった。
それから何故か後輩、特に不良に好かれていた。

彼は否定しない。
肯定も、あまりしない。
ただ投げやりに「いいんじゃないか」と言うだけだった。
彼の口癖は「面倒くさい」と「仕方ねぇな」だった。
彼は面倒くさい自分でやれと言うが、お人好しで面倒見が良かった。

彼は地味で、大勢の中に放り込まれれば簡単に紛れて見えなくなる。
しかし少数で集まればそこそこ人に好かれる男だった。

彼の腕には等間隔の傷があったし、その傷のことを周りの人間たちは知っていた。
口を開けば分かりやすく面白いことを言うこともあったし理解の難しい話をすることもあった。
それでも彼は目立たなかった、徹底して地味だった。
服装もダサいことは無いがオシャレなことも無く、持ち物もどこまでも普通。
気が付くと居ないし気がつくといる。
人の意識から外れるのを特技としているようだった。

彼の家庭環境は、悪くない、
むしろ良いと言える環境だったが、彼は家に帰るのを拒むように放課後をギリギリまで引き伸ばした。
彼は一人きりの時間を愛していた。
誰もいない教室を探しては廊下側の壁に背を付けて座り込んだ。
たまに同じく放課後を引き伸ばしたい誰かが彼を見つけて、駄弁る。
彼は誰かといる時間が一人きりの時間をより愛しくさせるのだと知っていたから、一人きりに割り入れられたってむしろ歓迎した。

彼には秘密があった。
彼は男でありながら男が好きで、自らの性自認が希薄、つまり自分が男であるという自覚がほとんどなかった。
性欲も強くない、女性より弱いかもしれない。
彼は別にそれで困ってなかったし、初めのうちは隠してなどいなかった。
そもそも、自分のこういう面が珍しいと知らなかったため、隠すという発想も無かった。
しかし彼は現在これを隠すようにしている。
彼は自分のこういう面を特別不快に思う人間がいることを学んでいた。

彼は、意識して地味であろうとしていた。
ファッションに興味が無いながら、ダサすぎて目に止まらないために家のPCで服装や髪型について調べたこともあった。
彼は、何が地味でどうすれば人の意識から外れることが出来るのかを考えることが多かった。
人に気が付かれないことに喜びを見出していた。
人を喜ばせることもないが不快にさせることも無く、たまに居ることに気が付かれないまま、もしくは気が付かれて驚かれると嬉しくなった。
彼は、透明人間になりたかった。
彼はただ、誰かに特別好かれるのも嫌われるのも嫌いだった。

そのうち、彼は学校に来なくなった。
それに気が付いた生徒はいつもつるむ数人の友人だけだった。
特に親しい友人が心配して彼の家を訪ねると、彼は玄関越しで嬉しそうに「やっと願い続けてきたことが叶うんだ」と言った。



数日後、彼は死んだ。
遺書はなかったと言う。
彼は死んでも周りに存在を主張することなく、部屋で静かに死んだらしい。
若くして人が一人死んだのに、学校でもそんなに話題になることもなかった。
彼は恐ろしいほどに、人の中にいなかった。

彼は、卒業アルバムに残らなかった。
カメラを避けていたようでアルバムの中に彼が写ったもの残せなかった。


彼は、地味な男だった。
印象に残らないように工夫することを楽しんでいた。

彼は私と同じ同性愛者で、自傷癖がある、私にとって数少ない仲間だった。
放課後に屯することもあった私たちあぶれ者は、彼を中心に集まっていた。
仲間がいるという安心感で、それぞれがそれぞれのサバイバルのような日々を生き残ってきた。

彼は恐ろしいほど人の記憶に残らなかった。
しかし彼にもちゃんと墓はあって、そこには毎月、きちんと生花が咲いている。
彼は20年も生きなかった。
それでも毎年、墓の前で誰かと鉢合わせる。

彼は大変に地味で、しかし私たちの恩人だった。

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