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無理ゲー アセンション



瞑想の必要性


日々の瞑想により、心身ともにチャクラを整える事が可能です。

とでも言うと思ったか!
んなわけねーーーーーーだろ!!!

と平然と否定してくる人間、それが私です。


これらは一般的なスピリチュアル思想の例です。パワー・ヒーリングの種類は非常に多様であり、個々の信念や文化によって異なる場合があります。重要なのは、自分自身に共鳴し、自分の意図や目的に合ったコンテンツを選ぶことです。ヒーリングは個人的な信仰やサポートの手段として使用されるものであり、科学的な証明や効果に基づくものではありません。


chatGPTの回答によく用いられる「本気にしすぎちゃ駄目ですよ」というやんわり戒め的な締めの言葉を当然のことのように言い放ちます。

大抵の人は、この文句を流します。
「うっせ」ということで、文字数を圧迫する余計な心遣いという目で見ます。

非科学的な質問をすると、毎回出ていましたからね。

多くの人間はインスタントを求めます。
直接的な答え。
自分の知りたい情報にダイレクトに響く要素。

それは突進力ともいえます。
突き進む心。
周囲なんか見えない。
兎に角、熱く!
と気付かぬ内に、そうなっています。

カウンターを喰らいやすい、隙だらけの状態です。

そこで、考えさせられるのが鹿児島の剣法。
薩摩示現流。
防御しているにも関わらず、構わずバシバシ叩いてくる薩摩隼人の兵法です。
熱さの中の冷静さの心で、一瞬の隙を見抜く剣術です。
失敗すると、反撃されて逆に叩きのめされます。
無謀とも言える戦法ですが、極めれば最強です。

剣道は基本的に、隙あり!と言いながら竹刀で突く気合合戦なのですが、気を張って防御していても、剣士の根がチャランポランであるとどうしても隙が生まれてしまうのです。
気を張り続けることの重要さ。
大変な精神力の極みの先にあります。

「いやあ、でも、叩けばいいじゃん?」
とか素人は思います。
そういう人は土俵にすら立てていません。
次元の低い薩摩示現流。
達人の領域まで引き上げられるのに、半世紀以上の鍛錬が必要になります。

鹿児島では町の隅にある農協関連のお店かな?
そこで、時期になるとジビエが売られていました。
銭湯に行くと、高齢のマダムが「イノシシ貰ったから、それを捌く」とか普通に話していました。
地方ではよく見られる光景なのでしょう。

しかし、地方出身とはいえ中途半端な都会色に染まり育った私には非常に新鮮に感じられました。
猟師だ…!と。
猪狩りの一団に、薩摩示現流の達人が混じっているのではないか?と眼を輝かせたりしました。
剣で斬ることもあるかもしれない…。
ニホンオオカミを滅ぼした一族の末裔ですからね。


それはともかく、あまり熱くなりすぎると、隙が生まれてどこかで返り討ちに遭ってしまうかもしれない、という話です。

更に、重要なのは落ち着きです。
石の上に三年。
そこまで行かなくても、無闇矢鱈と焦る必要もない、という。
普段からセコセコ焦っている人ほど、肝心なところでエンジンがかからず、何故か大損をします。
また、損に対しての耐性がなく、いつまでも失敗を引きずって正念場で本領発揮できない、という


集中力、そして落ち着き。
どこで身につければよいのでしょうね。

日々の鍛錬でしか身につけることが出来ません。
それは、イライラとの戦いです。
何故自分はこんなに苛立つのか、という心理分析が求められます。
茨の道です。
一朝一夕で身につけられるものではありません。


そのために、瞑想は補助ツールになりうるのか?という疑問。

エントランスでウロウロする程度の効果でしょうね。

一般的な座禅。
基本的には動かないことにあります。

しかし、多動持ちの人には辛い試練ですね。
そして人間は石のようにじっと動かずにいることは不可能です。
自重で細胞に圧がかかり、血流が悪くなって体の防衛反応が働き、どうしても動いてしまいます。

警策(叩き棒)を持って修行僧の周囲を回る師範は、どのような基準で叩いているのでしょうね。
「動く=根性がひ弱」
という証拠にはなりません。


喝!

えこひいき


結局、座禅で叩かれるかどうかはエコ贔屓で決まります。
動くかどうかなんて、実は関係ないのです。

叩かれても逆恨みしない人。
目の敵にしている人。
かわいがりの対象としてロックオンされている人。

上記の条件で、師範は「喝!」と叩いてきます。

見回る師範も結局人間ですので、普段の行動から得た印象を元に警策を振り下ろすのですね。


人間的に叩かれやすい人、というのは主に出る杭は打たれるということで、良い意味でも悪い意味でも、ちょっと人より抜きん出た人がそうです。

アンチが付くということは、目立つということ。
良いんだか悪いんだかで、その後の対応で更にその先の評価の明暗が分かれます。

  1. 派手な行動に出る

  2. 世間から評価を受ける

  3. 認知度が上がれば上がるほど称賛の中に批評も入り交じる

  4. 愉快犯によるからかいが出始める


この流れを基本とし、どうやっても大小問わず炎上するのが人間。
そこからどう振る舞うかで人間性の真価が浮かび上がってきます。
この場合は、下手に動くと悪循環に陥ります。
簡単に謝罪すると、火に油を注ぐこともある。
かといって反論すれば、更に炎上する。
最適解は、ベストタイミングで無難な謝罪をし(これも技術が必要)完全にダンマリを決め込みます。
それについて何も言わない。
貝のように引きこもる。
人の噂は75日と言いますので、3ヶ月もすれば少しは静かになるでしょう。


こういうのは有名になってから言えよ…という感じですが。

いえ、私も規模が小さいですが叩かれた経験はあります。
少し余波が発生しまして、遠回しにとんでもない嫌味を言われたりもしました。
しかし、それから暫くその話題を封印しましたらば全く話題に上がらなくなりましたので、ダンマリというのは有効だなと思ったものです。
他の人の炎上パターンを見て「そういう時はこうに行動するんだな」というイメトレをしていたのもあります。
前例から学んだということで。


私の場合はフォロワーも少なかったですし、知名度も低く普段から発信に対する反応が乏しいので、アンチらしいアンチがいないというのはあります。
母数が増えれば、意にそぐわぬ事を言われる確率も上がるのは当然のこと。
煽り耐性を身につけ、スルースキル検定を受けておくことが重要です。

昭和の時代と違い、自宅まで特定されて窓に石や火炎瓶を投げ込まれるようなことは無きに等しいとはいえ、下手に反論をして敵を増やしても良いことは一つもないので。
いえ、平成の時代もこういうことはありました。
庭に犬の死骸を投げ込まれたり、ポストに脅迫状を投函されたり。

人間というのは、憎しみに駆られると何をしでかすか分かりません。
仕舞いには目的まで見失って、ただ攻撃性を向けるだけの状態になることもしばしば。

そうなるとアンチの行動は愉快犯の領域に入っていきますので、冗談抜きでディフェンスモードで耐えきるしかないです。


ひでえ…と思われることでしょう。

しかし、憎しみに駆られてしまう人というのは、総じて座禅で叩かれたりはしません。
叩かれる人を見て、影でほくそ笑む側にいます。

少しでも自分の意志に反したことが起こると、フイと席を立ってしまうような人。
こういった行動に出やすい人は、真の意味で落ち着きのない人間と言えます。

本当に落ち着いた人は、放置しますので。
本当になにも触らない。
声掛けすらしない。




修業とは…。

無理ゲー アセンション


「無理ゲー」とは。
難易度が高すぎてクリアするのがほぼ不可能なゲーム」という意味です。 基本的にはゲーム関連の事柄において使われる言葉ですが、最近ではゲーム以外の分野でも使われています。 その場合、「解決したり、実行したりするのが無理だと想定されるほど難易度の高いこと」を意味します。


noosologyの整理の為に組み立てた4コママンガ。
構成が不十分な為、ちょっと分かりづらい内容です。

描き直したいけど、元気がないなあ…(´・ω・`)


落ち着きを得るためには、アセンションをする必要があります。
アセンションとは、知的好奇心や未知領域を潰しに潰して、開拓の楽しみを失うことを意味します。

ふお〜〜〜〜!!
すげえ〜〜〜!!
うああっ!!
カタルシス!!!

みたいな快感とオサラバすることを言います。
無限遠点が無限ではないと気付くこと。

記憶リセット転生状態以外からカタルシスの快感を得ることはなくなり、目新しいことは何も無い、という精神状態となります。
それをどんどん経験していくことで、人は落ち着きを得ます。

飽きた、つまんない。

じゃないんですよ。

飽きを通り越して、惰性で続けるのみです。
Fall。秋?
収穫もなし。
落ち葉を片付けるのみ。
Winter状態になるのです。
毎日 吹雪 吹雪 氷の世界

無です。
無の領域に侵入すること。

それが、真のアセンションです。


それなら別に、無理にアセンションする必要もなくない?

その通りなんですよ。
アセンションする必要があるのは、弥勒だけなのです。

他は、実はあんまり関係なかった。
わざわざ苦しい想いをしてまでカタルシスを卒業する必要がある?
その認識と天秤をかけて、カタルシスの快感は大事でしょ、となる人はアセンションのことなんて考えなくても良いのですよ。


そもそもアセンションは明確には外から見た状態を表すものを指し、日本語では次元上昇と翻訳されますが、本来は他人事感覚で受け取るものです。

ほーん?
次元上昇ねえ?
あ、地球がね。
住んでいる場所の次元が上がるわけ?

そういうことです。

住んでいる場所というのは、3 6 9。
量子パターンの、青チャクラのドラムロールの領域を指します。

つまりアセンションとは未来のミロクの世であります故、我ら人類は普通に暮らしていくだけで十分ですし、そもそも出来ることも殆どありません。
デセンションはありますけどね。

そして、次元は1028で頭打ちでした。
それから先は冪乗の世界になります。
1028^n この繰り返し。
ずーっとトーラスです。


こう聞くと、そこまでしてアセンションしなくても…ねえ?となるのは当然と思われます。

まず、5次元。
ディバインの世界への侵入すら人類は難しい。
これを乗り越えて、10次元のグラビティへ入るのはマジのマジで無理ゲーとなりますよ。

ここまで昇った人は、実は芸能人になれます。
どう頑張っても芸能人になれない人というのはいるんですよ。
人望がなさすぎて。

元フォローさんに17次元の方がいらっしゃいましたが、その方は実は望めば世界的なセレブも夢ではなかったです。
敢えてその座を選ばずに、一般人への転生ルートを歩んだようですが。

普通は無理じゃね?という生き方でも、なんとかなってしまうんですよねえ。
そのくらいの次元になると。

グラビティ次元を抜けるとセレブ階級を選択肢に入れず、縛りプレイの人生を送るようになります。
それがアセンションの結果と言えますね。


ちょっと前に炎上した、まやまやぽん体操。

検索してもあんまり芳しくないですが、これが真実を物語っています。


まずはジャガーさん。
これが10次元までの人。普通の芸能人。
お金持ちのひと。

次が鷲の戦士ですが、スペイン王家のハプスブルク家。
実質的な世界の王者ですね。
芸能人のジャガーさんと癒着し、悪魔信仰が猛威を奮っています。
ふざけているとしか思えませんが、影で謎の儀式が行われている上に、それを通過しないと芸能界でのし上がれません。
ここまでが19次元。

その次がケツアルカトル。
悪魔信仰を卒業し、経済を地味に引っ張る普通の民衆です。
流行をつくる人のことを言います。
発信に留まらず、ノセられる人が殆ど。
「こんなの流行っているんだ?」
とか言いながら、流れるプールの要領で巨大な流通の流れを作ります。
999次元までがここですね。

最上位にあるのが蝶々さん。
てふてふは、人生の負け組を指します。
紙一重なんですけどね。
脳ある鷹は爪を隠すで、敢えて縛りプレイをして苦に身を晒す人。
流行にもついていけません。
1000次元越え。
ここまで来ると、該当するのは一人だけです。
黄神。
黄龍です。


弥勒は、蝶々さん次元まで昇ることを強要されています。
にも関わらず、未だにケツアルカトルの場所にいる。
これは由々しき事態です。

弥勒が辿り着けないと、他の霊魂も同じようにアセンションが出来ません。
世界が脆すぎて。


物理的にアセンションは無理ゲーとなっているのですね。


人間がするべきこと。
楽しいこと探し。
カタルシスが発生するうちは、心から楽しんでおきましょう。
アセンションしちゃうと、この快感が得られにくくなりますよ。
恋くらいしか楽しみがなくなる。

私はこれを聞いただけで、特に何をするわけでもないんですけど。
メモ替わりに書き留めておきます。

この記事も、数週間前に書きかけにしておいた下書きを発掘しただけです。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。




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