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いらすとやさんで学ぶnoosology(2)



どこまで理解に至りたいか

noosologyはヒトの心理を事細やかに分析し、想いの理想図を未来までずっと伸ばして世界を作る、そのコントロールを可能とするためにオコツトによりおろされたと分析します。
既存のヌーソロジーとnoosらしんばんは印象が違うため、本当に同じことを言っているのか?と訊かれたりしました。
同じことを言っています。
難しそうか、なんかポヤッとしているかの違いだけで、同じなんですよ。
これが膜の性質の違いというものになります。
核質は同じ。
付帯質を決める座標が違うため、回転が変わって膜の様相が違って見えるのです。
こういった違いの理解も、noosologyの理解が進めば分かるようになる筈です。

表相

幾何学で言うと四角錐

表相とは、見た目の印象を言います。
膜を少しむずかしく説明したものとなります。
回転から発生する膜なので、球じゃないのか?
とか思ってしまうのは誤りです。
膜を球だと思うこと。
表相を四角錐だと思うこと。
思考の切り替えが行われると、同時に幾何学結晶も変化します。
幾何学とは結果であり、数学でいうと計算方法の違いとなります。
導き出し方が変わってくる、式が変化する。
柔軟な思考が求められる世界です。


元止揚空間

天使状態

「ぼくのなかの黒い犬」
という鬱病患者の心理を表した絵本があるのですが、黒い犬(=鬱の心)に対抗すると出現する精神空間が元止揚(ゲンシヨウ)となります。
しかし、この精神状態は人によっては最高。
また違う人によっては最低の地獄。
印象が変わってきます。

シャンパンタワー

表相ことピラミッド。四角錐の高さの問題です。

三平方の定理を使って求める

高さhの座標が、頂点に近ければ近いほど元止揚空間に侵入しやすくなります。
シャンパンタワーの上の方の位置。
量子力学の基本定数 h プランク定数を表すものと同義です。
これにより、ディラック定数の発動条件が変動します。

幅化

ヨーヨー釣り

物理的な視界の広さのフラクタル。
周囲の環境からどれだけ情報を取得できるかという指標。
視界の幅が広い。
イラストを例に取ると、ヨーヨー釣りの容器の中にどの色がどれだけあるかを認識可能かどうか、です。
知らないことをいきなり誰かに尋ねられても分かりませんね。
自分の中の意識の幅に、尋ねられた要素が含まれていないせい。
「赤いヨーヨーはどれですか?」
と訊かれて、視界にすぐに赤いヨーヨーが入って来ないのと同じこと。
少し探せば見つかります。
脊髄反射とまではいきませんが、刺激から感応、応答までの経過時間に影響します。


奥行き

ピンボケ写真

物理的な視界の距離ではなく、精神的な理解度を表します。
解像度の高さを言います。
写真は写真であると分かるけど、何が映っているのか分からない。
歩いて、手にとって見る必要がある。
その状態です。
同時に、時間の経過の果て。
未来の到達点を言います。
奥行きの子どもたち、という本は未読ですが(すみません)
目を凝らして未来を見ると、視界の先に子どもたちがいる。
ぼくにきっと良いものをもたらしてくれるに違いない。
という意味に取れます。

迷化

迷子の張り紙

幅化が上手くいかず、目的のものが見当たらない状態を言う。
ヨーヨー釣りなら
「赤いヨーヨーが欲しいのだが」
「緑のヨーヨーしか見つからない」
と言ったやり取り。

画像は緑主体の犬になっていますね。
迷化状態の人は、極端に聴力が落ちています。
「赤」「ヨーヨー」という単語が耳に入りません。
そして、ヨーヨーの張り紙を出さず、犬の張り紙をします。
頓珍漢な行動に見えますが、これが人間の常です。
探しているものは、いつだってみつからない。
それは、己の中の神を探すことに似ています。
繰り返します。
神なんかいるわっきゃねえんよ。
虚像を探していないで、実像に意識のピント合わせをしなさい。
それが迷化からの脱出です。

潜在化

投資している人

最終構成、つまり完成までの道筋の途中のこと。
未来への投資をしている状態。
潜在能力とは、未覚醒の力を意味しますね。
それと同じことです。
未だ蕾の姿。

顕在化

潜在化の結果を表します。未来予想図が現実となること。

投資成功


投資失敗


物理的にお札に水をやってもこうなるだけ

自分の選んだ結果の現れです。
どれになるかは誰にも分からない。
これについては、波動定数を駆使して量子計算しても完全な結果を導き出すことは不可能。
つまり、未来を見ることは出来ない、ということになります。
ある程度は予想できますけどね。


差異


理想


現実

思い描いていた様子とまるで違うことを言います。
明るい未来しか視えてなかったけど、実情はけっこうショボかった、みたいな。
逆もまた然り。
顕在化の結果パターンによる、受け止め方です。
哲学では差異という概念の議論が白熱しているようですが、みな理想を追い求めすぎですよ、という。
すみません。
noosらしんばん と本家ヌーソロジーの
「なんだこれ?おなじなの?」
という拍子抜けみたいな感じです。



私のイメージでは、次元観察子をガンガン駆使した説明こそがnoosologyって感じのイメージだったんですけど、これが結構難しい。
前回の記事で、次元観察子は「枡」「お米」と例え話をしました。
次元観察子の考え方も、いらすとやさんの画像を借りてやんわりと説明記事を書きたいと思います。
ますます混乱を招いていたら申し訳ありません。
ますだけに。
とかいうのは偶然生み出された文章ですが。

math(数学)で表すのが手っ取り早いですが、式を書き出すのが面倒です。

無意識に大系観察子オメガが発生するようになっているので、理解に至る(=精神球に知識が組み込まれる)のは少し難しいのです。
これはnoosologyに限らず、人間の性質なんですね。
焦らず、じっくりです。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。


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