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色即是空 空即是色

はらみっちゃんのおはなし

なんという罰あたりな文句!
般若波羅蜜っちゃんですって!

いつもの通り、ハイテンションな見出しから始まります。
今回のテーマは、色即是空 空即是色の謎に迫る、です。

般若心経の一説を、ざっくり解説していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。


まず、仏説般若波羅蜜多心経という有り難いお経があります。
「はんにゃーはーらーみったーはらーじ
しょうげんごうんかいくうど いっさいくやく・・・」

…から始まる、一般的なお経です。

唐玄奘三蔵法師が、天竺から持ち帰って訳したとされています。
西遊記の玄奘三蔵ですね。
孫悟空、猪八戒、沙悟浄をお供に…。

過去、私は「波羅蜜を簡単にでも勉強しとくと、仏界で差を付けられるかもよ」と、いい加減な事を呟きました。
波羅蜜はとんでもない量があり、「え…どれ?」となりますが、なんでもいいです。
自分の心の琴線に響くものを。
それが正解です。

波羅蜜ってなんなの?
簡単に言うと、菩薩行らしいです。

般若心経の冒頭に出できます。
観自在菩薩と。

観音というのは、全てを観ることができ、全ての音を聞き分けるが可能な存在を指すのですが、なんと真の意味での観音は三千世界に一人しか存在しなかった、ということです。

文献にある情報と、実際の神霊界・幽界仏界とは少し認識のズレがある、という。
これは、時代の成長の具合を意味しますね。

宇宙全体の成長段階なるものがありまして、密教全般の情報はちょっと古いです。
平安時代に末法の世の始まりとされていますが、それがたった1000年前。
それ以前の資料は、古すぎて現在の彼岸を越えた先にある真実の仏界では通用しない、という。
しかし、古い常識であったとしても、多少の目は通すくらいはしておくべきです。
中には、自分のソウルメイト集団のおえらいさんの名が載っていることもあるので、現世で勉強していなかった、なんてことになったら組織の中で爪弾きにされかねません。
ソウルメイト集団で肩身が狭い想いをするのは辛いですよ。

実は、そういった世界観を描いているのが灼眼のシャナ。
幽界のソウルメイト集団から除籍されようとされている主人公・ユウジをシャナが助け、二人で逃避行しようとする、という話。
あの話に出てくる神様は、ソウルメイト集団のまとめ役でした。
本当の神ではないですし、世界を創生していないです。
そのくらい、死後の世界は村社会っぽいです。
自分の属する世界が世界の全てだ、と思っている人が多いです。
故に、誰も神様なんて信じていませんし、いないと思っています。
いるとすれば、自分の上司だけ。

そういった背景もあって、予習のつもりでお経の勉強をするのは大事です。
真の意味で功徳が現れるとすれば、その辺りになる。
「勝手がわかる」
意外と重要です。

観自在菩薩に話を戻します。
菩薩というのは、ハッキリ言ってしまうとアークトゥルス次元を現すのですが、実は色々ありまして。
物凄く次元の高いアークトゥルスと、非常に次元の低いアークトゥルスの両極端に分かれてしまいます。

そも、菩薩というのは観音ほどではないけれど、世界の音を聞き分けることが出来る存在、という意味があります。
実際の文献の情報とは違うかもしれませんが、2024年現在・幽界にある仏界情報からすると、そのように定義されているのです。

簡単に言うと
話をちゃんと聞いている高次元アークトゥルス民
話を全くに聞かない低次元アークトゥルス民
に分けられる、ということです。

崇拝心を持ってコンテンツ(失礼)を見ると、「そんなわけあるかい!」となってしまうのは当然ですが、具体的になんなのだ?と分析を進めると、「そんなことかよ…」と思ってしまうような説明になる、という。

実際、菩薩や如来は現界に人間として転生し、普通に生活を営んでおられますので、意外に身近すぎて実感が湧かないのはあると思いますよ。
「あの人、付き合いやすいと思ったら本当は菩薩の生まれ変わりだったんだよ!」
なんてのは、かなりある。

輪廻の環を抜ける、とは「もう現世であくせく働かなくてもいいんだね!」とかいうものではなく、解脱段階の一種とも言える状態を現しており、現界転生自体は自由です。
ソウルメイト集団を変える。
それだけです。
ソウルメイト、死後の魂の集まり・魂の親族または友人集団みたいなものですが、似たような思想の持ち主が固まっているのです。
思想を脱する、という感じですかね。


故に、普段から私は「超越が必要」と言っており、
現在の認識を良い感じにアップデートすると、自然にいい人と付き合える。
それが幸せの一歩よ。
とやんわりと伝えている訳ですね。

観自在菩薩とは、

話をちゃんと聞くアークトゥルス民にとっては、アセンションの為の手掛かり率いては観世音菩薩を目指す行となります。

話を全く聞かないアークトゥルス民にとっては
「話を聞かないのはしょうがないけど、せめてちゃんと見ようぜ」
という一歩前進のための行となる。

ということ。

大体の人は千里眼のような特殊能力を想像されると思いますが、千里眼なんて玩具みたいなものです。
向こうの世界では、三千世界のどこでも自由に見渡せるようになっています。
この場合の「観」とは、見落としが少ない、ということ。
集中力の問題ではなく、小さな気付きを見落とさない、事細やかな精神の持ち主という意味。
神経質とも違います。
意外と出来ないんですよね。

これが波動係数のエーテルと関係してくるのですが、仏教の話に他の学問を持ち出すことは控えたいので、あまり言及しません。
Twitterの、おかしな宗教かぶりの一団を見て辟易しました。
なんで仏教関係者に、量子力学の話を持ち出すんだ!?と。
色々ミックスして考えてしまうらしいですね。
ハッキリ言って、物凄く失礼な行為です。
AIと同じ。
倫理観がない。
相手を慮れない。
なんで余所の常識を、世界の常識と勘違いして持ち出して来るの?
辞めなよね。
如来の心が足りない。

菩薩はアークトゥルスと同一視が可能、と書きましたけど、私はそれを幾度も検証し、完全なる確証を得たので前提として話を進めていますが、きちんと理解に至れない人が勝手にデータとして引用するのは望ましくないです。
アークトゥルス人は菩薩なんだって!と、ミーハーなキャラクターのスピリチュアリストがはしゃぎまくります。
肩書でしか物事をみていない証拠。
その界隈の中で、新しい単語を持ちだして知識披露パーティーをしたいだけですね。
死後の世界にて、覚悟しておくことですね。


波羅蜜は菩薩行のことですが、実は行とは別に波羅蜜なるものもあり、これも肩書のひとつなのです。
やはり高次と低次に分けられます。
中に人が入っている、ということです。
ちょ、はらみっちゃんって!
と思われるでしょう。
大丈夫です。
許可を取ってますので。

さて、般若心経ですが。


本当はこわい般若心経

般若というのは、嫉妬の象徴です。
それとは別に、本来の意味では
実相を達観するための根本的な知恵、とあります。
実相は「嘘から出たまこと」を意味します。
それを達観するって、どゆこと?

夢が叶っても冷静でいられる心です。

「そう。よかった」
感想はそれだけ。
冷たい訳ではありません。
常に冷静なだけです。
ハイテンションを表に出さないだけで、心の奥底では万歳三唱・胴上げを行っております。


大きな悲しみを乗り越え、大きな喜びに動じず、表面上は無に近い状態になる、という。

私は過去に「自分、無のエキスパートっすから」的なことを幾度か呟きましたが、自虐でも笑いを取っている訳でもなく、マジモンの無の境地に達しています。
涅槃ですかね。
死後は涅槃に行くんですか?
いいえ。死後の世界はどこも涅槃になっていますよ。
無というのは、無駄なものを一切削ぎ落とした状態ということで、煩わしいと思うことから開放されればそれで涅槃の定義が成り立ちます。

私は現世の生活の一切を煩わしいとは思っておりませんので、どこに居ても涅槃にいるのと同じですし、現世は不便が多いですがそれは不幸の要素には成り得ません。
そして平常心を保って生きられなけば、どこに行っても慌てふためく運命から逃れられない、という。
安楽の地は、気の持ちよう。
住めば都。
本当の本当にそういう風に思えなければ、真に望む涅槃の地は訪れない、という。

般若心経を、軽いノリで解説してみたいと思います。


観自在菩行深般若波羅蜜多時
さあ。菩薩行を始めよう。
般若の領域に深く侵入すれば、夢のような世界が待っているよ。

照見五蘊皆空度一切苦厄
まず、嫉妬をやめようね。五蘊(見るもの聞くもの全て)が輝いて感じる人は期待しすぎだよ。それは必ずしも君の夢を叶えてくれるものではない。隣の芝は青い、隣の花は赤い。それがどうしたっていうんだい?羨む時点で、君に苦が発生しているよ。

舎利子色不異空空不異色
お釈迦さんは、モノはモノだ、と仰っていた。
それ以上の価値を持たぬものだと。

色即是空空即是色
なんでも変動するし、何もかもが変わる。
それは誰にも止められないよ。

受想行識亦復如是
何度も何度も同じ体験をして、何度も見直しをしよう。
そうすることで意識が高まっていく。

不生不滅
人は、本当の意味で死ぬことはないよ。

舎利子是諸法空相
お釈迦さんの言葉は雲を掴むようだと言うね。
その通り。中途の祖であるため、未だ全てを解明出来る次元には達しないよ。

不垢不浄不増不減
綺麗にしよう。何もかもを、変動させて。
でも、どこか変わることはなく。

是故空中無色無受想行識
全てがクリアに見える瞬間がある。
それは、クリア、到達の証だよ。

無眼耳鼻舌身意無色声香味触法
五蘊を良く勉強して。
何も感じないと言うのなら、勉強不足だよ。

無眼界乃至無意識界
無限に世界はあるし、物事は無意識の内に到達するものだよ。

無無明亦無無明尽
光の反対は光。
闇の反対は闇。

無苦集滅道
こういったことが苦しみに思える内は、未だ道を歩いている途中だよ。
遠足の途中さ。家に帰るまで頑張るんだ。

乃至無老死亦無老死尽
年齢にこだわったり、見た目の若さなんて大したものじゃないんだよ。
それは虚無だ。

無智亦無得以無所得故
智を得ないと、肝心なところで大事なものを逃してしまう。

菩提依般若波羅蜜多故
菩提菩薩は、どんなものにも安楽をもたらす。

心無
心はないように見えてある。

礙無礙故無有恐怖
恐怖を生み出すのは、自分。
自分の中に自分がないからさ。

遠離一切倒夢想究竟涅槃
究極の涅槃が遠く見える?
遠ざけているのは自分自身の心だよ。

三世諸仏依般若波羅蜜多故
三世諸仏(過去・未来・現在)それぞれ違う歓びがある。

是大神呪
神を呪うな。
仏と神は違うが、だからといって対立を煽るのは愚かだ。

故知般若波羅蜜多
波羅蜜は全てを識っているよ。

得阿耨多羅三藐三菩提
一切の真理を正しくあまねき、己のものとせよ。

是大明呪
闇を恐れるな。

是無上呪是無等等呪
呪えば、跳ね返ってくる。

能除一切苦真実不虚
己を苦しめる要素を見極め、虚としないことだ。


これすなわち

故説般若波羅蜜多呪
自分に一理もない場合を除き、他者を侵すな。


説くな


呪うな


口を塞げ

羯帝羯帝波羅羯帝波羅僧羯帝
水の神を恐れるな。
波羅蜜は水の神でもある。

般若心経
はんにゃしんきょう でした。

菩提僧莎訶
菩提の僧より


本当にこういう意味なのですか?
そうですよ。

菩薩行の経ですが、
耳の悪いアークトゥルス人には警告になります。
「素行が悪すぎるぞ。腹括っとけ」です。

耳の良いアークトゥルス人には渓谷になります。
涙が滝のように流れ出る、有り難いお経に感じられる。

2極化する真言。


耳の悪いアークトゥルス人は
「神を滅ぼせ!呪え!」
と叫びましたが、

耳の良いアークトゥルス人は
「争いは何も生まない。静まり給え」
と言いました。

密教が常にせめぎ合いを続けている根本原因です。

修業が足らん!と。


宗教次元なるものがありまして。

一神教が喧嘩しているのを、多神教が高みの見物。

多神教の方が次元が高いんです。
しかし、油断すると全てを忘れて一神教に逆戻り、と。

神があるとすれば構造であると過去に書きましたが、それです。

多神教は、どこでも生きられるタフな魂。
一神教は、一つの事しか認めない視野が狭い状態。

しかしキリスト教徒でも、多神教の心を持った方はいます。
大抵、そういう人はミサに熱心ではありません。
「面倒だから寝てよう」とか言います。
だからといって信仰心が無いわけでもなく。

それが「許される」次元ということです。

強烈な監視社会。
幽界との繋がり。


色即是空 空即是色

ここに書き記したことを絶許な方もいらっしゃると思います。
「本来の教義と違う!」と。

故に、タイトルは色即是空 空即是色 です。

ないんよ。
そうでないと思えば、そうでないんです。
真理って揺らぐのかあ…となればそうだし、真理は真理!と思うなら、そうなのです。

モノではないので。

何が謎なもんか、と思いますよね。
色即是空 空即是色。


ここまでのわたしの得た真理。
「寄っかかると、辛いよ」

全てのことに言えますね。
そこで自律という言葉を採用しましたが、どうやら誤解のオンパレードを量産したようでした。
無限に答えが存在するのですね。
故に、無限に世界は存在する。
無意識の中から、本当の自分の真理が導き出される。

無意識の空間というのは、光そのものです。
闇は、意識を持つこと。

闇は生きているの?
こわ~い、とか言っているようじゃまだまだです。

一隅を照らす。
闇に光をあててこそ、真実が見えてくる、というね。


また何か誤解を招きそうな記事でした。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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