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大慈大悲をテーマに



アクセス出来た模様

何度かサイト訪問を試みた結果、ロロロロ様にアクセスが可能となったので漫画データを引っ張り出してきました。

だいじMANしぶりんぐ

2011年にアカウントを作成したきり放置していたlivedoor Blog様に転載しました。
このサイトも通信があやしい?みたいですが、一覧から投稿した分を見れます。

精神的に疲弊したので、ちょっとお休みしたいです。

これもnosの一環

大慈大悲の考え方を面白おかしく漫画にしています。
大慈大悲とは、途方もない慈しみ、最大の喜びという意味。
しかし未だストーリーは序盤の序盤なので、あんまり慈しみっぽさはないです。

慈しみってなんなの?
愛とはなんなの?
人生における最大の喜びとは?
をテーマにしています。

nosさいころじー の一環となります。
5次元を身近に感じるように意識して描いたものです。

テーマが壮大っぽいので
なんだ?
お前は大慈大悲の根本となる思想を知っているのか?
となってしまうんですが、風呂敷の拡げ方の問題で考えてください。

仏教の宇宙観は三千世界全てに該当する途方もない無限の世界ではありますが、その全てを見渡したとて真理はなかなか見つからないものとなっております。

本当に大事なものはすぐそばにある

という認識の元、筆ならぬマウスを手に取りました。

喜び 幸せ 愛

自分の生活から離れれば離れるほど遠ざかるものとなってしまいます。
目の前の小さなこと。
些細な変化。
喜びの意識点。
小さな小さな模索の中に、真の大慈大悲が潜んでいます。

だいじMANのお話は異世界転生あるあるを描いたパロディ込みのギャグテイストでお送りしておりますが、実は昨今猛威を奮っている「異世界モノ作品」の概念こそ、多くの人類が望む幸せのカタチの一つであるとみることが可能なのです。

記憶引き継ぎの認識を持ったまま、知らない世界で無双する。

攻略本ありきの世界で、道筋が何となく分かっているかもしれない状態になりたい。
という願望が、掃いて捨てるほど世に生み出されていますね。

イージーモードが求められているのです。
この世界は難易度が高すぎる。

という考察を下敷きにし、小説で書こうと思っていた案をおもいっきり崩して漫画形式にしました。

如来以上の存在に寄る大慈とは、民衆の願望に応えること、それが第一歩と言えるのです。

私も一時期、願いました。
「現世に転生するの辛い。輪廻転生の輪から抜け出したい」
と。

それは次元を上げれば済む話だったのですが、当時の私はアセンションとは何かを知りませんでした。
現在は「輪廻?なんでもいいよ」と思っています。
願望が願望ではなくなってしまった。

輪廻転生が嫌なのは、人生が辛いからですよね。
人生が死ぬほど楽しければ、死を願うこともなくなるでしょう。
(矛盾した文章)

地上天国に住まうこと。
それが全人類の悲願です。

その為に大悲が必要、と言われています。

大きな悲しみ?
と思いますね。
大きな悲しみです。
それが最大の喜びとされているのですよ。
仏教の世界では。

あんまりでしょう。
意味が違うと言われても、字面がちょっとねえ。

比較からの感情の高低差から喜びが生まれるんですか!
と叫びたくなりますよね。

それはちょっとね…。

その辺も描きたかったんですが、概算するとそこまで辿り着くのに100話以上かかってしまいそうなので、現時点では期待しても得られるものは薄いでしょう。
数が少なすぎて。

こういった世界を出来るだけ風呂敷を拡げず、普通の風呂敷の二四巾(90×90サイズ)ではなく、尺三巾(50×50サイズ)よりも小さく、ハンドタオルくらいのサイズ感(20×20)で描いていきたいと思っています。

心の動きや感情の変化を身近に感じる為です。
「あるある〜(☆▽☆)」
と思っていただければ御の字です。

nosさいころじー のスローガン。
最小公約数でいこう。
です。

よろしくどうぞ。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。


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