
神と仏とは
神と仏の違い
神仏の違いとは何か。
双方ともえらいお方なのでしょう。
現世にいると、漠然とそう考えてしまうものです。
神とは、万物を創世する存在です。
インドではブラフマー(創世主)と呼ばれているようですが、神は神です。
ディーヴァは神霊界に属する存在という意味が強く、厳密には神とは違います。
神は人間と同じ姿をしています。
全身から光を放っていたり現界では有り得ない程見目麗しい姿をしているものですが、基本的にはヒトの霊魂と構造が変わりません。
一方で、仏とは何でしょうか。
これはぶっちゃけてしまえば人間性のランクになります。
仏という魂は存在しません。
これらはあくまでも肩書きになります。
一般的には
仏
菩薩
如来
観音
明王
の順に地位が高いとされていますが、実際は違います。
明王
仏
如来
菩薩
観音
の順です。
明王
人間の長。人の上に立つ威のある者。
帝王学を嗜み、人民の混乱を避ける法を常に模索する。
仏
人当たりの良い優しい人。
如来
他者の立場に立って考える事の出来る者。
菩薩
他人の言葉に耳を傾け、適切な言葉を操れる者。
観音
全ての聲を聞き分け、世界の全てを観ることの出来る者。
大した事ないじゃん。と思われるかもしれません。
しかし、これを出来る人が中々居ないのです。
そして同時にこれらをごく普通に行動原理としている者が、自然に神と呼ばれるようになるのです。
誰がえらいとか尊いとか、そういうものは本来存在しません。
そして万人に優しいヒトというのもあり得ません。
それは人の感じ方は千万無量であり、全ての生き物のニーズに応える事も願いを叶える事も不可能だからです。
あとは仏性というのでしょうか、そういった人間性が高められることによって霊力というものも自然に身に付きます。
仏陀は尊い存在と言われていますが、実際は元が神の魂でした。
イエス・キリストもムハンマドも同様です。
人間では無いと言っても、次元が異様に高いだけで宇宙を構成する一魂と同じです。
インド仏教に於けるアートマンとブラフマンのブラフマンこと創世主・創造神に当て嵌まりますが、アートマンとして立ち振る舞う事もあるためどちらも言える存在であり、同時にどちらとも言えません。
アートマンとは“己”である魂そのものを指し、輪廻転生を繰り返して御霊磨きを続ける存在であります。
どちらが上だとかそういう次元の話は、高い低いの基準で言えば低い事になります。
神はどの世界、環境に身を置こうとも己に出来ることを模索し続け、世の為人の為に活躍するべく最大限の努力を惜しみません。
例え誉められずとも苦にもされずとも、その身を静かに捧げます。
そういった人間性から、いつしか神と呼ばれるようになったのだと思われます。
そしてその陰の功労者こそが、真のライトワーカーと呼ばれる者です。
スピリチュアルの世界では、霊能力を扱う人民を導く職業として認識されがちですが違います。
霊能は無くとも社会の為に奉仕の心を持ち、勿論自己保身は絶対ですが、その上で無理のない程度に持ち得る力の最大限を発揮し社会貢献に努める方。
それこそが真のライトワーカーであり、次元の高い人です。
それが自分の人生を生きるという事。
華は無くとも努力を惜しまず、心だけでも朗らかに。
そういう人が自然とアセンションし、死後の世界で真に穏やかで美しい世界へと生を賜る事を赦されるのです。
これを決めるのは神ではありません。
天と地の意志。
誰にも裁かれる事も罰を受ける事もなく、誰もが皆ごく自然に安寧の地へと足を踏み入れる権利を持つのです。
神はアートマン達が生きる環境を創る。
ただそれだけの存在です。
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