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ご飯は愛なのかもしれないなー。

『ご飯をつくること』は、私にとっては苦痛でしかなかった。

何を作るか考えるのも大変だし、あれしてこれして…と段取りを考えるのも、あまり好きではなかった。時間をかけて作った割に、食べるのは一瞬…


のんびりと、非効率かもしれなくても、自分なりのペースでできればいいのだが、、

「切り方が揃ってない!」

「この手順の方が無駄がなくていいのに!」

などと夫から口を出されると、更に嫌になる。


ある時、実家の母を見て思った。 

母は私の前では父のことをあまりよくは言わないが、毎日のお弁当はきちんと作っている。

父が祖母の家に行くといって、でかけたきりなかなか戻らないことがあったそう。実はかなり遠くまで、ドライブしてきたらしく、行くならちゃんと言ってから出かけてよー!!とか、、、父が夜中にこっそりおやつを食べてることが信じられない!!とか、、、

もろもろ…悪口とまではいかないが、母が私にする、父の話は、、、大半が文句のような、、笑い話のような話ばかりである。


でも、そうやって、あれこれと父の文句をいいつつも、お弁当は毎日作ってる。



あー。もしかしたら、これが、父に対する母の愛情表現なのかもしれない。と、ふと思った。

本当に嫌いだったり、嫌なやつになんて毎日お弁当は作らない。

『ごはん=愛情』

だとおもえば、毎日の『ご飯をつくること』も苦痛ではなくなるかもしれないと、自分の中で気づきができた。


自分ひとりの時は自分への愛情。
夫との食事の時は、夫と自分、両方への愛。


ご飯は愛なのかもしれないなー。


苦痛から愛情へと考え方がかわったら、毎日のご飯を考えることも、作ることも苦痛ではなくなってきた。


家族の愛とご飯の関係。
少し考え方が変わっただけで、すごく軽やかな気分。

最近では、美味しいご飯が作れた時に、不思議とやったー!嬉しい!って言葉が出るようになり、自然とテンションもあがるようになった。

自分の変化に驚きである。


毎日お弁当をつくる母にも、たまには手抜きが必要なようで、お弁当が作れない時は500円玉をそっとおいておくそうだ。



まぁ。それも愛情かな。

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